第375話 愛する兄者へ


 幽霊でも目撃した面持ちとなったジル・ド・レが、慌てふためいたままセイルへと剣を振り抜いた。


「なに――!?」


 だがショーテルによる飛ぶ斬撃は、巨大に変貌したセイルの全身を、まるで夢か何かでもあるかの様にすり抜けてしまって手応えすらも残さなかった。


「な、何が起こっている……? なんだ、なんだあれは!! ギーよ!!」


 ごうごうと盛る黒き焔より上った不可思議なるセイルの姿に、ジル・ド・レは強く動揺を示しながらギーの対応を急かした。


「慌てるな兄者っ! どうせまたソイツの見せてる悪夢ダ!!」


 不可解なるセイルの巨影を見上げたギーが、勢い良くノートにペンを走らせた――


「“愚かなる穢人けがれびとの幻影は嵐に消え去る”!」


 勢い良く振り込んだ空よりの嵐であったが……それはセイルの姿を揺らめかせる結果としかならなかった。


「ァぎょ!!?」

「またしてもギーの能力が!? だがしかし、次のトリックは一体!」


 現実に見えている風景を思いのままに操作できるギーの能力。そこに居る少女が幻影であるならば、間違い無く消し去る事が出来る筈である。

 ――いや、斬撃をすり抜け嵐をも物ともしないセイルの巨影は、間違いも無くである。ギーの能力によって消し去る事の出来る筈の幻影であるのだが、黒き炎より立ち上った巨大なセイルの姿が、どういう訳なのかそこから立ち退かない。


「アッハハハ!!」

「イッヒヒヒヒぃ」


 セイルが肩を揺らし、シクスがせせら笑う。

 ジャンヌ・ダルクへとゆったりと向けられていく炎の矢じりを、ギーとジル・ド・レの二人は眺めている事しか出来無い。


「おのれ家畜共!!」

「ホォアアアア乙女ェエエエ!!」


 余りにも歯痒い思いをする二人の将は、セイルの立ち上る場を遮二無二かき荒らして風景を一変させてしまった。そこに残るは万物焼き尽くすまで終わらない漆黒の火炎のみ。未だセイルの巨影は代わり映えもなくそこに佇んでいる。


「なっ……『捩れツイスト』!」


 苦し紛れで放ったジル・ド・レの攻撃が、黒き炎を捻って立ち退かせる。するとそこに立ち上っていたセイルの幻影が煙と消え去っていった――

 ピンと来たジル・ド・レは顔を真っ赤にして、ジャンヌの側で動転したままのギーへと叫び付ける。


「“蜃気楼しんきろう”だ、ギーよ!! この幻影のトリックは、灼熱の起こした歪んだ光景だ!」

「蜃気……楼?」

「そうだ! 故にはこの炎に紛れて何処かに……――ぁ!!」


 ギーに移していた視線を黒き灼熱に巻かれた商店街へと戻していったジル・ド・レ。そうして次に彼が対面したのは、あちこちの黒炎より発生したセイルの蜃気楼。まるで分身体の様に複数体となりながら、光の御旗へと狙いを定めていく少女の姿であった。


「あに……兄者、こんなに広大な炎の渦の中に居るたった一人の本物を……今から探し出せって言うのか……?」

「そ、そうだ……それしか無い! やるのだ、やるしか無いのだギー!」


 そこに立ち上るセイルの幻影はシクスの『幻』による夢では無く、周囲にひしめいた灼熱との温度差によって引き起こされた、現実の自然現象であった。故にギーの『俺の観測する世界ヘブンリー・レター』でも容易には消え去らない。


 ――巨大な炎の矢じりが、一斉にジャンヌ・ダルクへと照準を定める。


「は…………!」

「っ…………!」


 もうどうする事も出来なくなってしまったジル・ド・レとギーが泣き出しそうな顔でその場に放心すると、何処かからシクスの声がした――


「ヒョロガキ……テメェの能力の制約は――人に直接的な影響を及ぼせない。余りにも現実から掛け離れた事象は再現出来ない。ノートに記さなくてはならない……そしてなによりぃ――」


 滝の様な脂汗をかいたジル・ド・レが、足元で投げ出されたままのシクスへと緩々と振り返り、強く歯噛みしていった。


「――お前は目撃しているしか改変できねぇ」

「き、貴様……道化を演じてなんと狡猾こうかつなっ」

「自然の発生させているそのものには擬似的な介入をするしか無い……だからこの現象を発生させ続けている黒い炎を消すか、この炎の何処かに居る現実の嬢ちゃんを見つけ出さねぇ限り……この悪夢が消え去る事はねぇのさ」

「おの……れ…………おのれ、このぉおッ!!」


 憤慨したジル・ド・レがトドメの一撃をシクスへと振り下ろそうとしたその瞬間――

 ――風を裂いていった熱波が、人間達の希望の象徴となる光の御旗へと解き放たれていった。


「乙女!! アンギャァァアァアアアアッ乙女ぇええええええッ!!」

「ギー!!」


 光の御旗へと迫る灼熱の豪炎に、ギーは無力なまま飛び込んでいった。


「アンギィィィァァァァァッあっぁ…………っ兄…………者……」

「――――ッッ!!!」


 そして御旗に着弾した焔と共に、ギーはジャンヌへと手を伸ばしたまま、火炎に呑み込まれていった。


「ギ、ギー……ッギーよ!!」


 絶望を刻んだ悲痛なジル・ド・レの声が、横たわったギーの耳には確かに聞こえた。

 彼は遠くの景観に、肉も骨も無く焼きと溶かされていくジャンヌ・ダルクを目撃し、そして言葉も無く涙を流すと、自らの体にも同じ様に着火した黒き火炎を眺めた。


「馬鹿なッお前、何故! ……ギー! ギー!!」

「あに、兄者……」


 足下より消え去っていく自らに最早痛みも忘れたギーは、兄の声を聴きながら、最期にやり残した事がある事に気が付いた。


「へ……へへ……ウヘヘ」


 ズタボロの貴族服の懐より、ジル・ド・レに貰った魔石を取り出して覗いていったギー。


「フヘ……ウヒャヒャ」


 心酔するジャンヌ・ダルクの湯浴みを記録したという、ジル・ド・レに貰った魔石に映り込んだのは――


「ホォアッッ!! うゲェええ!!」


 ――やはりただの、給餌のおばばの入浴シーンであった。


「兄者ぁぁあ許さねぇ!! 絶対許さねぇぞおおおッ!!」


 そう強く最期に咆哮したギーであったが、魔石を目元より離していった彼の表情に残っていたのは、兄とたわむれ朗らかになった、少年の様な笑みであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る