第367話 戦場を駆ける乙女
*
左足を引き摺った鴉紋を先頭に、1000の騎士を蹂躙した赤目の群れが続く。
都の中心より突き出した岩山。その頂点に鎮座した巨大なる修道院を目掛け、傷だらけの魔王は歩む。
「いっひひ、遅かったですね」
「貴様……」
やがて鴉紋の前に現れたのは、あろう事か、たった一人で風に亜麻色の髪をなびかせた少女の姿であった。
「ジャンヌ・ダルク……八英傑をまとめ上げるお前が、何故こんな所に一人……」
目前に修道院を見上げられる正面入り口にて、ジャンヌは鋭い八重歯を覗かせたまま、光の御旗を地に突き立てて鴉紋を待ち受けていたのであった。
「殺されに来たのか?」
「そんな馬鹿な事はしません」
ジャンヌに迫るは、500のロチアートと100もの魔物……加えて悪意逆巻く恐ろしい魔王である。ジャンヌの立つ広大なるその場には、まるで伏兵が潜んでいる気配さえ無い。
「私はただ、ミハイル様へと至ろうとする貴方を退ける為にここに居るのです」
「退ける、たった一人でか? クック……やれるものならやって見せろよ」
するとジャンヌはそこで、場違いな程に
「はい、きっとそうなります」
「……確かに妙な気配の女だ……しかし」
鴉紋の十二の暗黒が空へと躍動してジャンヌを威嚇する。味方でさえが腰を抜かしそうになる殺意の波動であったが、少女は涼しい顔付きをして薄く笑った。
「いくら自らを強く見せようとしても無駄だ。俺の前で力を偽る事は出来ねぇ……ジャンヌ・ダルク。貴様からもまたヘルヴィムに近い神聖な力を感じるが、少なくともお前という“個”には俺に迫る力は無い」
「いっひひ……そうですね。私はとても弱いです。剣を振るうよりも、御旗を振るう事を選択して来た生涯でしたから」
怖じける様子も無い少女の頭上で、桃色の光が揺らめく。
「息巻くなよ人間、それが殺されに来たという事だッ!」
すると鴉紋が、激烈なる面相で空へと掌をかざした――
「テメェを殺してとっととミハイルの元まで行かせて貰う……ッ『
「気が短いですねぇ……」
曇天より降り落ちる黒き
「殺されて来た訳では無いと、先程言った筈です」
「なに……?」
黒き閃光はジャンヌでは無く、彼女の後方に墜落して地を抉っていた。突風に髪を逆巻かせた少女は、自然と自らより逸れていった衝撃に
「俺の『黒雷』が外れた……いや、奴を避けた?」
「主の恩寵を受け、奇跡を体現するこの私に、生半可な攻撃は当たりません。主が守って下さるのですから」
「あ……? 寝惚けてんのかテメェ」
ギリリと奥歯を噛み締めた鴉紋が、その拳を強く握り込みながらジャンヌを睨んだ。
「
桃色の瞳を弓形にしたジャンヌが、光の御旗をバサリと振った。
「あら、それは怖い……やはり
背に暗黒の翼を凝縮し始めた鴉紋……一挙にそれらを解き放って少女の首へと迫る構えである。
だがそこで、鴉紋傍らの足元より黒きモヤが立ち上り始めた。
そこよりい出るは、何時ぞやの雌鹿であった。
「王ヨ……」
「んだテメェ! 今から奴の首をすっ飛ばすんだからすっこんでろ!」
「西軍ノ戦況ガ困窮シテイル。コノママデハ恐ラク、全滅スル」
耳を疑った鴉紋が雌鹿の赤目を見つめ始めた。
「西軍といやぁ……セイルとシクスの居た所だろうが! 2000の兵も引き連れている。あいつらに限ってそんな事が……」
「戦況ハ一刻ヲ争ウ……王都ノ落城ニハ、我等魔族ノ不敗ガ絶対条件……向カウナラバ早クシロ」
「くっそ……ッ!」
眉をしかめた鴉紋を見据え、未だその場を一歩も動かずに居るジャンヌが白い歯を見せ付けた。
「言ったでしょう? 貴方を退けると……いひひ」
「……こいつッ」
憤怒した鴉紋であったが、その鼻筋にシワを寄せながら、二度程ピクつかせた所で深い息を吐いた。
「これもまた神の奇跡だとでも言うつもりか……?」
「はい、紛れも無いまでに」
輝く八重歯と桃色の虹彩より視線を外していった鴉紋。
残る戦力でジャンヌを襲撃させても、目前の少女はいとも容易く赤目の群れを一蹴するだろう。力が無いとは言っても、それ位の芸当はやってのける程度の能力は宿している事が鴉紋には分かった。
「私もここを離れます。それではまた逢いましょう、終夜鴉紋」
「チッ……!」
鼻に付く少女の可憐な笑顔を横目に、鴉紋は疾風迅雷と暗黒を噴出してその場を後にしていくしか無かった。
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