第365話 血の紅蓮と、父の残夢宿し……


「ぁあ……ッ……ぁあああああぁああ!!!」


 半身を吹き飛ばされたヘルヴィムが力無く地に横たわるのを、フゥドは嗚咽を漏らして眺めていた。

 凍り付いた人間達が見上げる中で、黒き魔王はその手を天へと突き上げる――


「なんだ……」

「ぁぁ、そんな……」


 赤黒い天に低き曇天が立ち込め、闇に鴉紋の右目が輝いた。


「『黒雷こくらい』――!」


 鴉紋の右上腕に白き魔法陣が起こると同時に、空より黒き落雷が絶え間なく降り注ぎ、人を焼き始めた。


「うわ! うわぁぁあ!!」

「逃げろ……逃げ……ど、どこに!? 一体何処に逃げ場なんて!」

「ギャァァァ!!」


 阿鼻叫喚の人々。無数の赤目が暗がりに灯って騎士達へと喰らい付き始めた――


「殺せ……思い知らせろ、人間共ヲ皆殺しにシロッ!!」


 戦火の中心に佇んだ悪魔が吠える――

 鴉紋の上げた稲妻の狼煙のろしを発端に、数千とひしめいた騎士はただ一方的に虐殺される形となった。


「そんな……嘘だ、うそ……こんな事、絶対に」


 赤目猛る戦乱の中で、一人残された黒きスータンの男は父の元へと歩み始める。


「ぉ…………親父っ」


 父親を真似た丸いレンズの鼻眼鏡アイグラシズから涙を流し、絶句するままの表情で、フゥドは体の中心を吹き飛ばされた無惨な父親の傍らで膝を着いた。


「勝手だろ……アイツらも、ルルード伯父さんも……アンタも……っ」

「…………」


 白熱を上げた体内より光を放散するヘルヴィムの亡骸。あれ程雄々しかった筈の父の相貌は、もう瞼を挙げられないほどに弱々しく脱力されている。


「また俺を……一人にするって言うのかよ!」

「……」

「なんとか言えよ! アンタは神罰代行人だろ!」

「……」

「誰にも負けねぇ、最強の……なぁ、違うのかよ……父ちゃん」


 沈んだ面持ちは影へと染まり、フゥドは父の胸を軽く小突いた。


「――!」


 ただそれだけの衝撃で、ヘルヴィムの体はボロボロと崩れ去って光に変わり始めた。神罰代行人の身を包む光明が、より強烈となって体を焚き上げていく。

 砕けた胸よりポロリと落ちたロケットペンダントが、フゥドの眼下へ滑り込む。


「母さんを殺して……アンタも勝手に居なくなって! それに黒の狂信者アイツらまで……俺にはもう何も、誰も残されて――」


 口元から垂れるヨダレを拭う事も忘れ、フゥドは咽び泣いた。父の側で最期に、あの頃の様に……


「……フゥド」

「……父ちゃ…………?」


 か細い声に顔を上げると、閉じていた筈の父の瞳が光の中で確かに開かれ――フゥドを見ていた。


「この話しは墓場まで持っていくつもりだったがぁ……お前が何時までも泣きベソをかいていやがるからぁぁ……今から俺の懺悔ざんげと独白を聞かせてやるぅ」


 自らと同じ紫色しいろの虹彩を真っ直ぐと見下ろしたフゥド。

 おぼろげな視線を空へと向かわせるヘルヴィムは、ただ一時、あの辛く激烈なる惨劇へと立ち返っていった――


未曾有みぞうの寒波がケテルの都を襲ったあの極寒の夜……凍て付く外気など物ともせずにぃ、俺の心は何か感じたことも無い程の温もりで満ちていた」

「……」

「それはきっとぉ……最愛の妻との二年目の婚約記念日だったからか、都で山程買って腹に匿っていたホットアップルパイのせいかぁ……はたまた、お前が産まれて浮かれていたからかぁ……思えばそのどれもが当てはまったのかも知れねぇなぁ」

「っ……」


 そこまで語ると、何処か柔和であったヘルヴィムの眉間にシワが寄り始め、その口元には苦悶の様相が顕になって来た。


「だがその日ぃ、俺の代え難い幸せは唐突に消え失せたぁ……まるで全てが泡沫うたかたの夢であったかの様にぃ」

「……!」

「明かりが灯り、暖かい筈の家に飛び込んだ俺が見たのはぁ……暖炉の前で寝かせたお前に、ナイフの切っ先を添えながら悶え苦しんでいた……ルミナの後ろ姿だったぁ」

「母さんが……俺を?」


 衝撃的なる光景にハッと息を呑んだフゥドであったが、ヘルヴィムは確かな眼で緩く首を振った。


「ルミナでは無い……ルミナはお前を心から愛していた。故に最期までそのに抗い、俺の帰るその時までぇ、想像も絶する苦痛にも堪え続けていたのだぁ」

「体内に……巣食った?」

「“侵入者”とは奇怪な術を使う……奴等はこの俺に狩り殺される前に、テメェの方から俺という驚異を取り除こうと思い上がったのだぁ……姑息こそくな手段、回りくどい方法で持ってなぁ」

「侵入者が母さんの体を……ッ」


 ヘルヴィムの深く沈んだ瞳には、何処かメラメラと炎が燃える様な気迫が宿り始めていた。


「侵入者がルミナの体に乗り移っていた……彼女は正気を失いかけた様子で俺へと振り返り、変わり果てた姿でナイフを落とした」

「……」

「そして涙を流し、俺へと告げた」


 光に消えていくヘルヴィムの目尻に、微かに輝く何かが現れた事にフゥドは気付いた。


「『殺してくれ』と」

「……!」

「俺は無論断ったぁ。初めて手に入れたこの幸せと、心より愛するルミナを失う事など直ぐには認められなかったぁ」

「なんで……いままでっ……そんな事なら!」

「だが、ルミナは言ったぁ――アイツは本当に“神罰代行人”の妻として……俺以上に自覚のあった、聡明な女であった」


 “神罰代行人”の妻として――ルミナは決断したのだ。


「『侵入者を殺せ』と……」

「そんな事、どうして黙ってたんだよっ! 父ちゃんは何も……何も悪い事なんて! みんな誤解したまま――」


 ヘルヴィムの視線がフゥドを黙らせる。そして続けていく――


「俺が何時までも決断を出来ないでいる間に、ルミナはみるみると姿形を変貌させて、正気を失っていったぁ……やがて意志も理性も尊厳も全て奪い去られぇ、足下で泣き喚いた赤子へと、恐ろしい視線を向けた――」

「な……」

「母としての威厳さえもが奪われるその前に――俺は……俺はこの手でルミナを! ……侵入者を、手に掛けた」


 フゥドは衝撃の真実を耳にしながら、語り終えた様子のヘルヴィムへと向けて、涙を振りまきながら鼻をすする。


「なんでだよ、どうして言わなかったんだ……みんなアンタを、ルルードおじさんだってアンタが家族殺しの狂人だって……今の話を包み隠さず話していたら――っ」

「いいやぁ……俺がルミナを殺した事は紛れも無い事実だ。例えその経緯がどうあれどもぉ」

「んでそんなに不器用なんだよッ……カッコつける所が、ズレてんだよっ……!」


 緩やかに笑ったヘルヴィムが、フゥドの頭へと手をやったが――


「父ちゃん……っ」


 そのボロボロの手は光と消えて感触を残さなかった。

 パラパラと舞い飛ぶ美しき光の粒と消えながら、薄い目になったヘルヴィムはまた口を開く。


「これだけは覚えておけぇ。父ちゃんも母ちゃんも……お前の事を今でも愛している」

「……!」

「お前は一人なんかじゃない……ずっと側にぃが居るぅ」


 そしてヘルヴィムは、砕けた指先に絡ませたロケットペンダントをフゥドの眼前へと持っていって、息子の掌へと手渡した。


「泣くな泣き虫ぃ……」

「…………っ」


 光へと立ち返っていくその刹那――ヘルヴィムの眼光が見開いて激烈なる闘志を息子へと向ける。

 

を宿せ。血の紅蓮をッ!」

「紅蓮……」

「お前がそのと共にある限り、我等の血の繋がりは決して断たれる事は無い!」


 ヘルヴィムより手渡され、その手に握っていたロケットペンダントが――銀のロザリオへと変貌していた事にフゥドは気付く。


 ――そして、その頭上より父の最期の声が告げられていった。


「遂げられなかった想いは全て……

 ――が継承していく」


 フゥドが顔を上げるともうそこには、光の粒子が空へと舞い上がっていく光景しか残されていなかった。


「――父ちゃんッッ」


 父の居た場所には、無数の聖遺物とヒビの入った鼻眼鏡アイグラシズが一つ落ちた。

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