第361話 あくまで真正面


「ハゥ?!! ――ァッ……!!」


 神の威光を宿した筈の聖槍ロンギヌスが退けられた。


「――――っけハァあ!!!」


 ――そして今、ヘルヴィムの腹に鴉紋の右手が捻り込まれている。

 神罰代行人の噴出した鼻と口からの血液が、宙に弧を描いて地に墜落する。何人も侵害出来ぬ筈の神の力が、黒の螺旋を渦巻かせた悪魔によって打ち破られたのだ。


「ぁ…………あ」

「…………ぅ」


 呆気に取られるしか無い激戦と、余りにめまぐるしい戦況に、最早その場に声を残せる者もいなくなっている。そこには数千の息遣いだけが残り、二人の雄の果たし合いを傍観するのみである。


「……フゥ……フゥ……!」

「……ガ…………っ!!」

 

 腰を曲げていた鴉紋が、血みどろの体を起こして地に伏せた男を眺めていく。先の鍔迫り合いにて深く裂けたその右の拳には、確かに肉を打ち破り臓器を貫いた感触が残っていた。


「おの……れ…………ヘビ」


 ヘルヴィムを中心に血溜まりが広がっていった。彼に刻まれたダメージに勘付き、フゥドはわなわなと震えながら土を握り込んでいる。


「…………」


 鴉紋の目付きが勝敗は決したと物語っていた。それはその場に居る傍観者達も同じである様子で、周囲は騎士達のすすり泣く悲壮な声に満ちていく……


「……あくまでぇ……真正面よりぃ、殴り……抜けるぅ」

「……!」


 ヘルヴィムの体には未だ神の御力が宿っている。故にこの男はまだ――


「それが……どれ程強大な……ゥ……敵であろうともぉ」

「……まだやるのか」


 ――地鳴りがする程強烈に地に足を着きながら、ヨレヨレと立ち上がって来る……

 肉のかき混ぜられたヘルヴィムの腹部を聖骸布せいがいふが包んでいく。血で真っ赤になった相貌を無理矢理に笑わせて、紫色の虹彩を光らせる。


「己で立ったその道はぁぁ……決して譲らねぇ……っ……たとえそれがぁ……ッ――何人なんぴとであろうともぉお」


 亡霊の様な姿で起き上がってくる男には、流石の鴉紋もやや表情を歪めていた。しかしヘルヴィムは、未だ宿るその神聖を一身に纏い上げながら、光の槍と共に二足でそこに立ち上がっていた。

 するとヘルヴィムは何を思うのか、滝の様な血反吐を吐いたまま、ニッカリと笑ってみせた。


「俺とぉ……同じだなぁ――

「……!」


 腕を組んだまま顎を上げる鴉紋は、目前で強大な敵が起き上がってくるのをただ黙して待っていた。産まれた子鹿のようになった標的をほふるのは造作もない事であり、追い打ちを掛ける余力も鴉紋には残っていた。未だ神聖を宿したその男には、弱りきった鴉紋を返り討ちにするだけの力を充分に宿している。


 ――――だが


「覚悟は良いかヘルヴィム……」

「上等だぜぇぇ……ッッヘェビィイイ!!!」


 ――鴉紋はそうはせず、真正面よりこの男を打ち破る事を選択した。


 互いに血塗れとなり深い傷を負っている。しかしこの男達は、その身の精根尽き果てるギリギリまで滾り合うのだ。

 まるで獣の様にして――!!


「ホォォオオザァアンナァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――ッッッ!!!」

「このオレの前デェッッ調子こいてんじゃネェぞオラァぁああああああ――ッッッ!!!!」


 雄叫びを上げた彼等の血が飛び交う。聖槍を構えたヘルヴィムに残された時間は

 ――およそ30秒!

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