第358話 代償と神聖。奈落と邪悪


「どうなっていやがる……ヘルヴィム!」

「…………」


 淀んだ視線を足元へと落とした男は、光の槍を握り込むのと同時に、先程までとは比較するまでも無い程に――異様で近付き難い雰囲気をその身に纏った。


「なんとか言いやがれクソオヤジ! さっきまでの威勢はどうした! 俺を噛み殺さんとする気迫は!?」

「……」


 鴉紋のこめかみから汗が垂れていくのが見える。そして歯軋りをしながら目前の男へと警戒を示す様からは、明らかなる狼狽ろうばいが感じられた。

 あのルシルでさえが畏怖する御力を纏い上げ、ヘルヴィムは何かに取り憑かれる様に繰り返し始めた……


「神を思いなさい。神を謳いなさい。神を愛しなさい。神を敬いなさい。神を記しなさい。神を信じなさい……」

「なんだってんだ……っ」

「――『神降しゴッド・オブ・ベル』」


 ヘルヴィムが能面の様になった顔を上げると、槍の穂先に光が集いその神聖が彼の身を包み始める。


「――――くっ」


 ヘルヴィムの懐より、発光を始めた無数の聖釘せいていが浮かび上がって周囲に飛び交う。腕に巻いたイバラがその棘を巨大なる鋭利に変えて鋼鉄の強度を宿す。何処より飛び込んで来た聖骸布せいがいふが砕けた左手に巻き付いて光を灯した。


「聖遺物が真の力を解放していやがる……まるで本来の持ち主の手に――に戻ったかの様に……っ」


 ――神の意志を宿し、神罰を代行する……そう、これが神罰代行人の真骨頂。今そこに、彼は依代となりてをその身に降している。


「……」

「だんまりか……いいだろう。いずれ貴様の喉元へも喰らい付くつもりだったからな」


 その背に暗黒のとぐろを巻いた鴉紋が赤黒い邪悪な光明に照らし出され、その身に暗黒を爆発させた――


「少し予定が早まっただけだ、殺してやるよクソ野郎……!」


 覆い被さる超常的なる恐怖に笑みを向け始めた鴉紋が、舌舐めずりと共に手元の稲妻の爪を激しく噴き上げた。

 ――その様な悪党に視線を下ろしたヘルヴィムは、顎を引いて影となったその面相に――徐々に徐々にと不気味な笑みと、彼本来の獣の様な覇気を刻んでいった。

 丸い鼻眼鏡アイグラシズを光らせて、神は語る――


「思い上がっているなぁ蛇ぃ……神を殺せるのは神のみであるぅ。貴様は尊大なる主の前に、ただの愚図に等しいカスよぉぉ……いヒィアががが」


 爛々らんらんと灯る紫色の眼光を、顎を上げた細い視線で見返した鴉紋は、ヘルヴィムと同じ様に薄く笑った。


「思い上がっているのはお前だヘルヴィム。人の身に過ぎるその力……?」

「蛇ぃぃ……」

「そしてその莫大な力への代償は? 命か? そのチンケな供物の一つで何秒神を体現していられる……クク」

「あがが……全て承知の上よぉ」


 ルシルはその力の全てを見通していた――我が身を代償としたヘルヴィムがその力を行使していられるのは、精々が180秒程度である。その刻が尽きた時に、彼の身は莫大なる神聖に耐え切れずに死に絶えるであろう……


 滾り合う邪悪と神聖がぶつかり合い、向かい合う両者には共通の予感が過ぎ去る――


「結末はそう遠くは無い」

「向こうで俺を待つ家族達の為にぃぃ……貴様の首を貰っていくぞぉ


 同時に構えを取った両者が、強烈なる視線を交わらせた……


「誰がやるかよ、一人で奈落へ行きやがれヘルヴィム」

「ハレルヤァァァ、なれば強引に貰い受けるぅ、ただ神の意志としてぇ……秩序の為にぃ」


 闘争の開始を示し合うかの様に、両者は雄叫びを上げて怨敵へと迫る。


「チィツジョノ為ニィィイイイイイアッッ!!!」

「ォォオオオオオオラァァアアアア――ッッ!!!」


 全開の黒き波動と神聖の極みが、そこに肉薄する――!!

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