第三十六章 最期の闘争
第334話 優しき魔王
第三十六章 最期の闘争
鴉紋の宣戦布告より丁度一月と十日後……
冬空を覆った重い曇天の明朝より、鴉紋率いるナイトメアの軍勢が、人類最期の都ティファレトに襲来した――
空に鳴き、大地踏み締める赤目の群れ。虐げられし生命が、いま母なる大地を奪い返さんと吐息を荒ぶる。
永く食用として飼い慣らされて来た
“船”への乗船を許されず、遥かに追放されし
復讐心をその身に宿す、
「来たぞ人間、お前等の守って来た者を、大切な者を、愛する全てを……全部奪いに!」
半人半魔と化した“魔王”――終夜鴉紋。
それは最早、地獄から這い出して来た使者の進軍であった。
赤目を灯らせた悪魔達が、大天使ミハイルの守護する人の世に手をかける――
平坦な砂地を越えて、岩山の様になった王都を取り囲むと、彼等は5000を超える大群を分団し、それぞれの指揮官の後に続いていく。
鴉紋と共にこの世界を破壊して来たロチアート達が、それぞれの無事を祈り、そして名残惜しそうにしながら散会していく。
「兄貴……」
「シクス」
「鴉紋さん」
「フロンス」
「鴉紋様!」
「クレイス」
「鴉紋……」
「そして、セイル」
それぞれの団を率いる彼等に、健闘を祈る様な視線を投げ掛けた鴉紋は、真一文字に食い縛った口元を開く。
「これは死ぬ為の闘争じゃねぇ、俺達が生きる為の闘争だ……だから――」
最後にセイルを眺めて口元を綻ばせた鴉紋は、優しき……とても魔王とは思えぬ様な、優しい顔を彼女に向けていた。
「――死ぬな」
人類より、血も涙もない悪逆非道と思われる彼だが、魔族達から見れば、彼は誰よりも優しい王であった。
感極まって堪えきれなくなった様子のクレイスが、背後に率いるグラディエーター達と共に大声で泣き喚き始めた。
「鴉紋様、俺達は貴方に付き従って来て良かったと思っている! 貴方の覇道に寄り添っていなければ、我等はあの小さきコロッセオで、今も尚仲間達を斬り付け、そして人間達の笑い者にされていたのだから!」
「……」
足を止めたクレイスを見やり、フロンスもまた立ち止まって鴉紋に微笑み掛けていく。
「あの日あの時、貴方が農園に来なければ、私は今も燃え盛る不満を抱えたまま、子ども達を食肉として人間の為に出荷していたのだと思います……そして、サハトへのこの愛も押し殺したままであったと……だから、幸せに思います。貴方と共に世界に反旗を
「……」
振り返ったシクスが、辛気臭い二人の姿に目を回して溜息を吐く。
「おいおいやめろよ、今生の別れみてぇじゃねぇか! ……つってもまぁ、そうなる可能性もあるにはあるか……」
「シクス……」
人とロチアートの混血であるシクスは、これまで右の赤き目を覆っていた眼帯を、左の人間の目を隠す様にして付け替えていった。
「兄貴! 貧民街でアンタに出会ったあの時、俺は何てトンデモねぇ男がいるんだって度肝を抜かれたぜ! 俺よりも遥かに狂った奴がこの世界にいるなんてよぉ、ヒッハハハ!」
「お前も大概だろう……シクス」
「いいや……兄貴にゃあ叶わなかった。この俺が心底ブルったのは、あれがきっと最初で最後だぜ? へへっ……なぁ兄貴、全部ブッ殺して叶えようぜ、ガキ共が笑って過ごせる世界をよぉ、騎士も天使も全部全部握り潰して!!」
「……ああ」
シクスの狂気じみた笑顔を見つめた鴉紋の胸に、赤毛の頭が飛び込んで来た。
「鴉紋っ!」
「……っセイル?」
胸に収まったフワフワとした赤毛が、鴉紋の背中を必死に掴んで離さない。
「お、おい……」
「貴方こそ……絶対に死なないで」
強く胸に埋めた顔を上げたセイルは、涙を溜めた焔の視線で鴉紋を見上げる。
「私は貴方の為に生きてきた、貴方の居ない世界になんて、私にとっては何の意味も無い」
「……」
「私貴方が好きなの、鴉紋」
「……っ」
少女が宿すは、逆巻く灼熱の恋心。
「私に生きる意味をくれた……私を泥沼から
鴉紋には彼女の心が分かった。
そんな既視感を覚える情景に、鴉紋はもう二度と後悔を残さぬ様に、今できる事を、伝えられる想いを彼女に告げる。
「俺もお前を愛している、心の底から」
永く唇を重ねていると、繋がった口元に涙が垂れて来た。
「死なないでね鴉紋」
「お前もだセイル」
涙に濡れたセイルは彼の胸を離れ、可憐な笑みを見せたまま、背を向けて火炎の翼を開いていった。
「さぁ叛逆の刻だ――」
悪魔そのものである様な、恐ろしい面構えへと変貌した鴉紋がそう叫ぶ。
漆黒の鎧に身を包んだエドワードへと視線をやると、彼の兜が頷いた。
そして魔王の鼓舞に共鳴を果たす、魔族達の咆哮が都を包囲していく。
それぞれの方角へ向けて歩み出す仲間達。
鴉紋は王都を正面に見やり、押し開いた黒き掌で高い尖塔を握り潰した――
「狂った世界に終止符を打つ!」
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