第330話 おい豚よ、私を今度こそ止めてみせろ


 気配も無く闇よりいでた存在は、ミハイルの“先見の眼”を持ってしても予測し得ないものであった。


「乱れている、園の法則が……お前のせいで――ルシル」


 呆気に取られたままのヘルヴィムの胸で、ロザリオが照り輝きながら、エドワード黒太子を指し示し始めた。


「馬鹿なぁ……ここに来て、新たなだとぉ……!」


 ――漆黒の鎧に身を包んだ騎士、その男ただ一人がほとばしらせ始めた暗黒のオーラが、闇を照射しようとする八英傑達の光を押し返していた。


「知らんなら教えてやる……光を呑み込む闇もあるという事を」


 黒き死神の様な大鎌を取り出したエドワードが、落ち着き払った態度でゲクランを指し示す。


「ハァう……ァっ……!」


 震え上がったゲクランが、雪辱の大敗を思い起こして肌に粟を立てる。鴉紋に対してまで傲岸無礼ごうがんぶれいな振る舞いを辞めなかった男が、今確かに恐怖を募らせているのが見て取れる。


「俺は何を見ているのだ……ゆ、夢か? ああ5世陛下、力をお貸し下さい」


 予期しなかった彼等が時代の来訪者の出現に、ジャンヌは思わず旗を振るのを辞めて、まじまじと黒騎士を見つめる。


「貴公があのエドワード黒太子か……」


 この場に居る者でエドワードに直接面識がある者は、ゲクランと、かつて彼の幕下にもなったクリッソン位のものであろう。

 そんな彼等二人が怖じける有様からも、名だけは嫌という程に聞いたこの男が、いかに凄まじい男であるかは理解が出来た。


「お前は誰だ、光の化身……戦場に立つ女」

「私を知らない……?」


 ジャンヌ・ダルクとは、百年戦争を語る上で真っ先に名が挙がる程の存在である。であるにも関わらず、彼は“オルレアンの乙女”を知らぬと云う。


「ゲクラン、鎧を着た豚。時を逆行したお前の姿はなんだ。我等が闘争はどうなった?」


 ――明確な争いの記憶があるのに、自らが歴史から姿を消した後の記憶がスッポリ抜けている。そもそも彼が病魔に侵されて死んだというのも伝え聞いた話しにしか過ぎ無い……つまり推察するならばそれは、このエドワード黒太子という男が

 ――という風にも仮定できる。


「まぁ良いか……私はただ争いたいだけなのだ、元より国などはどうでも良い。大義名分の元に戦争をしたいだけだったのだから」


 微動だにせぬまま立ち尽くす黒太子を見やり、ジャンヌは“転生者”としてこの世界に呼び寄せられた自ら達と、奇しくも似た境遇に立たされた目前の男を結論付ける。


「貴公は我等の時代より流れ着いた“転移者”か」


 エドワードはジャンヌに構わずに、平坦な口調で好敵手のゲクランに語り掛ける。


「この面妖なる世界で貴様に会えた……それだけで私は喜ばしい」

「エド……ワード……っ」

「何を萎縮しておるのだ醜い豚よ。お前の栄光は戦場にしか有らず。その輝かしきを、今持って私に差し向けてみせろ」

「おのれ、おのれおのれェ!!」


 息を整え、ハルバードを黒騎士に向けるゲクラン。対するは黒きエドワードの大鎌。

 表情も見えぬエドワードは風が凪いだかの様にピタリと静止したままであったが、襲い来る恐怖の記憶に、鼓動を極限まで昂ぶらせたゲクランは必死の形相で顔を真っ赤にしていた。


 ――再びに拮抗した両者の陣営。

 招かれざる来訪者をその瞳に見下ろしたミハイルは、暗黒を身に宿した奇怪な存在に口を開いていった。


「君は人間だね……どうしてルシルに……終夜鴉紋に加勢するんだい?」

「異形の者か……本当に訳の分からぬ世界だ」


 ひと目でミハイルという存在の異様さに気付いたエドワードは、聞き耳を立てる八英傑の面々に向けて、まるで感情でも剥奪されたかの如く淡々と物語った。



は言いました。赤い瞳を殺すなと」


 この世に転移してからも、自らの内から湧き上がる虐殺衝動を抑えられなかったエドワードは、ただ放浪するままに目に付いたロチアートを殺戮して遊んでいた。

 鴉紋が彼に出逢ったのは、今よりほんの数ヶ月前の事である。

 エドワードは、自分の趣味をとがめ始めた終夜鴉紋という鼻持ちならない男に、持てる力を全て尽くして牙を剥いた。

 しかしまるで歯が立たず、未知の力に叩き伏せられる事になった。


 闘いに次ぐ闘い、虐殺に次ぐ虐殺。過信した自らの力は余りに強大で、あの戦乱の世ですらもほとんど敗北した事など無かった。

 心昂ぶったのは――あのベルトラン・デュ・ゲクランという猛将を相手取った、あの時一度だけであった。


 そんな自らの力を優に上回ってしまった終夜鴉紋という存在に……この様な存在の居る世界に。


 ――エドワードはすっかりと魅了されてしまった。


「なので私は言いました。であれば赤い瞳以外の全てを殺させてくれと」


 鴉紋を仰ぎ、王と呼んで忠誠を尽くすエドワードの健気な姿に対し、その口から語られる内容は、酷く歪で捻れ果てていた。


「王は頷きました。私に赤い瞳以外の全てを殺す権利をくれたのです」


 まるで赤い血の通っていなさそうな、名状しがたい底知れぬ闇に人類は肝を冷やす。


「故に忠誠を誓った。私は王の為、全人類を虐殺するのだ……」


 足元より立ち込めてきた黒き闇に埋もれていきながら、エドワードはゲクランに見せ付ける様にして大鎌を横に切り払った。


「今度こそ私を止めてみせろ…………豚」

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