第329話 新たなる闇の一滴


 平静を取り戻したミハイルは、玉座に直って頬杖を着いて言い放っていった。


「形勢はどちらに傾いているかな、ルシル……」


 悪風に鍔迫り合う人間達の闘志を前に、ミハイルは細い目になって鴉紋を見下ろし始めた……それは酷く侮蔑するかの様で、また同時に、来たる自軍の勝利を確信しているかの様でもあった。

 天に開いた赤黒い豪魔の空の陽光に、黄色く灯るミハイルの“先見の眼”――


「万の軍勢を率いた暴虐の覇王ならば分かるだろう?」


「「「――――――ッ!!」」」


 ミハイルの放ったその瞬間に、禍々しい空が割れて空に白き天輪が現れた。

 そこから垂れる煌めかしい白き陽光が、鴉紋のおぞましい天輪を押し返しながら自軍の騎士達を照らし出していく。

 ――その瞬間より、更に逆巻き始めた人間達の英気。


「……っ」


 数では明らかに上回っている鴉紋であったが、ミハイルの語る言葉に図星をつかれて歯噛みを始めていた。

 そうしてミハイルは続けていく。天使然として、神に遣わされた使者として、空に現した白き天界に照らし出されながら……

 

「私の目には見えているぞ。甚大な被害を出しつつも、勝利するのは我々人類であると」

かせ……」


 ジャンヌ・ダルクが旗を振るう。天界より後光を受けて、奇跡の御旗を人類の為に――

 闇を照らす光明を得る人類。

 みるみると白き闘志を強くしていく人間達が、ナイトメアの軍勢を照らし、赤黒い陽射しまでもを照らし出し始めている。


「いっひひひ、光よりも強い闇などあろう筈がありません。闇とは、そこに光が無いが為に満ちるだけのものなのですから」


 数の有利を押し返し始めた光の軍勢に、ロチアート達は目を白黒とさせて、生まれ変わったかの様な人間達の姿を目撃していく。

 そんな光の配下を眼下に降臨した大天使は、立ち上がると、緩い笑みと共に六枚の翼を躍動させた。


「血で血を洗う不毛な争い。それでもお前は続けるというのだろう? あの時の様に……なぁルシル」


 その目に勝利を見据えたミハイルが、圧倒的な兵力差を練り上げた個で凌駕りょうがしていた。

 後退を余儀なくされ始めた赤目の群れ――追放した筈の生命達が、眩い光に呑み込まれていく。


「フッハッ!! 勝機は我が祖国にありっ!」


 未だ退かぬ悪風に巻かれた鴉紋の前に、興奮で肩を怒らせたゲクランが、ハルバードと共に踏み出していた。

 すると彼は、満面の笑みと共に驚くべき事を口走った。


「貴様に決闘Duelを申し込むぞ、終夜鴉紋!!」

「……っ!」


 再び肉の様な砲弾となってハルバードを中段に溜めていったゲクラン。彼は生前当時より事ある毎に繰り返し、そして何れも勝利を収めてきた、一対一の決闘を鴉紋に申し込んでいるのだ。


「さぁ構えッ!」


 彼は掲げた高尚なる騎士道に従い、相手が構えを取るまでハルバードを放たない。だが代わりに獰猛どうもう猛禽類もうきんるいの様な眼光が鴉紋を覗いている。


「構えッ!!」

「は……?」

「鴉紋、そんな挑戦受ける事無いよ!」


 苛ついた眉に変わり始めた鴉紋に嫌な予感がして、セイルが彼に近寄っていく。こんな挑戦を受けてもナイトメア側には何のメリットも無い。


「さぁ構えッ! 恐れているのか終夜鴉紋、俺はただの人間だというに!」

「貴様……!」

「ちょっと駄目だってば鴉紋、敵の思う壺だよ!」


 二人の間で凄まじい闘気がぶつかり合い始める。人類側からすれば、そこで勝利を収めればそれで万々歳、そして敗れたとしても残る七人の英傑達が控えている。

 

「構えェッッ!!」

「この俺に向かって……図に乗ってんじゃねぇぞッ!」


 互いのプライドを賭けた挑発に――鴉紋は乗る。


「退いてろセイル……」

「もー! 駄目だってば鴉紋!」


 このゲクランという男……何処までが計算尽くなのか、鴉紋という自負心の塊の様な男が、プライドを刺激してやれば、どんな誘いにも乗る事を心得ている様子である。


「良いぞぉ終夜鴉紋……フッハッ……良いぞぉ……っ!」


 あるいは歴戦の彼の嗅覚がそうさせるのか、あるいは武人として天才的な直感がそうさせたのか……いずれにしても、鴉紋は半身になってゲクランに向けて拳を引き始めていた。


「この俺に挑んだ事を、後悔させてやる……!」

「あへっ……アッへへへへ こいつは凄い……凄まじい悪意の大波だぁ!!」


 燃え盛る殺人的邪悪の波動を目前に、ゲクランは笑みを携えたまま全身を力ませる――


「ふん……ッ!!」


 彼の解き放った闘志が大きく拡散すると、その凄まじいエネルギーに目を剥いた鴉紋が、そこに猪の様な幻影を見る――


「な――っ」

「怖気づいておるのか終夜鴉紋! 嘲笑の異名で呼ばれた、このベルトラン・デュ・ゲクランを!!」


 今にブチかまして来そうなエネルギーが、彼の握る巨大なハルバードに凝縮して握り込まれていく。


「この人間……っ!」

「さぁゆくぞ悪王めが! いざ尋常に――ッ」


 天災の様でもある鴉紋という存在に、それでもゲクランという猛威の男は一歩も譲らない。

 この様な絶望的状況にあろうと、まるで遊んでいるかの様に愉しそうにするゲクランという男は、正に豪傑と呼ぶに相応しき気骨を備えていた。


 さぁ巻き起ころうとする闘いの火蓋。



 ――だがその場に、言葉の通り突如湧いて出て来た陰惨な声音が割り込んだ。



「いきなり王手とは無粋なのでは無かったのか……」


「――――ッハ?」


 ――また一つ、ポトリと垂れた闇の一滴ひとしずく……

 解き放とうとしていたハルバードの突きを止めたゲクランが、確かに聞こえた声に、これでもかと言うほどに目を剥いていた。


「おま……えは……なんで、なん…………で」


 彼程に豪快な男の、その魂に深く刻み込まれた恐怖の記憶に、目は血走って手元はガタガタと震え始めた。

 残る英傑達、そしてミハイルまでもが目を疑った存在は、静かに……残虐極まる気配を闇より現した。


 そして暗黒より現れた男は語るのだ。かつて彼等が祖国を恐怖のドン底に陥れ、“騎士道の華”と呼ばれながら、熾烈極まる虐殺で各地を荒らし回った、漆黒の鎧に身を包む太子プリンスが――


「随分若返っている様だな…………


 ゲクランを指した余りにも懐かしい侮蔑の異名に、本人を含め八英傑は顎を震わせる。例え兜の面頬を下ろしきっていても、その悪魔の様な気配と冷たい声音を見紛う事は無い。


 イングランドとの覇権を争い合った百年戦争――その時代に生きた全てのフランスが、時代を違えようと、その男にだけは明確なる恐怖を抱いていた。


 百年戦争前期において、ベルトラン・デュ・ゲクランが唯一大敗を喫し、その進撃にフランスは敗北間際まで追い詰められ、彼の残した爪痕は後世まで長く尾を引く事になった。

 余りにも血も涙もない虐殺を繰り返し、フランス全土を恐怖に陥れた。敵対国最大の敵であり、ゲクランという勇姿の宿敵であったその男の名は――


 “ブラックプリンス”――エドワード黒太子こくたいしである。

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