第327話 奇跡の正体


 均衡を破って前へと歩み始めた鴉紋。その背後では無数の赤目が灯り、滾っている。


「む……待て娘、何処へ」


 ヒョイと高台を降りていったジャンヌに、ゲクランが声を掛ける。

 ミハイルの心情をおもんばかった少女は、隊列した騎士を掻き分けて一人先頭へと歩み出していった。

 そして鴉紋を正面に見据えた彼女は、鞘からを抜き出していった。


「園より立ち去れ。さもなくば、私が立ち退かせる」


 進軍して来る魔族の驚異を前にしながら、堂々たる態度で矢面に立ったジャンヌが抜き出したのは

 ――剣では無くであった。


 抜き出した刃に天上からの光が凝縮し、長く鋭く伸びていったかと思えば、燦然さんぜんたる光の旗がパタリと落ちる。まるで剣の様でさえもある鋭い旗棒の頂点に、十字架を模した旗頭が輝く。


 何をするかと思いきや、拍子抜けする得物を取り出した彼女の姿に、鴉紋の背後からシクスが下品な笑いを響かせ始めた。


「あっヒャヒャヒャ! んだそりゃあ、その旗で今から皆を応援しますってかぁ〜? アッカカカ!」


 シクスにつられて笑い出すロチアート達。しかし彼の言う通り、旗を取り出した程度の事で一体何が出来ると言うのであろう。窮地のフランスを導き、神に愛された少女とは、時の運に味方されただけの旗振りにしか過ぎないのだろうか……


 “生命の樹”を記した光の旗をジャンヌ・ダルクは振るう。風になびかせ、巨大な旗を掲げる。

 するとそれに反応を示したのは、自軍の八英傑の面々。

 ラ・イルに続いて、ザントライユが瞳を輝かせ始める。


「ああっ! 懐かしい、あの御旗こそ、我等が勝機の道標よ!」

「おおそうだ! 奮い立つ……乙女が振れば、如何なる劣勢も立ち所に好転を示した奇跡の旗印だ!」


 口をポッカリと開けたジル・ド・レは歓喜のままに体を捻じると、余りにも眩いジャンヌのその姿に、栄光を共に歩んだ輝かしい記憶を、涙を流しながら思い起こしていった。


「ジャンヌよ、素晴らしい……やはりお前こそが我等の救世主メシアに違い無い、その旗を振れば、傷付き疲れた兵達が士気を爆発させて起き上がったのを思い出す……その旗が無ければ、我が祖国に勝利の歴史はあり得なかったとさえ思う! その旗こそが、快進撃を続けた我等がみなもとなのだ! 記せギー! 何をしてでも、今再びに我等が前に立つあの奇跡を!!」

「アンギャァァアアッ!! 麗しき乙女が奇跡の象徴を掲げると彼女はまるで光の化身であるかの様に照り輝きながら悪魔の群れを照らし出し混沌に光を差すその御姿は最早天界より降臨した天使のようでもあった奇跡を仰いだ人類は皆ひれ伏しながら乙女の魅力に膝から崩れ落ち恐ろしい面々を前にしながら可憐な花のように笑う彼女はまるで人類に示された唯一無二の啓示であったァァァ、フギヤァァァァアアァ!!!!」

 

 黄昏たそがれを照らし出す光明を目撃したシャルルが、目をしぼめながらわなわなと震え出すと、彼の横に並んだクリッソンは胸の前で十字を切り始める。


「あれが劣勢の祖国を照らしたというジャンヌの……おぉ、おおお〜……しかし、駄目だ眩し過ぎる〜、あんな存在の横に居ては、私の様な日陰者は消滅してしまうに違い無い〜」

「これはなんと素晴らしい……噂には聞いていたが、まさか本当に兵達に力がみなぎっていくとは……これがジャンヌ・ダルクの奇跡なのか」


 魔族の襲来に恐れおののいていた筈の騎士が、好機を疑わない八英傑の姿につられ、心に炎を宿し始めた事にリオンは気付いた。


「なによこれ、あの女が旗を一振りしただけで……迷信、妄執、オカルト……? でも確かに、説明が付かない位の激しい闘争心が騎士に戻っていった」


 突如豹変し、空を震わせる程の咆哮を放ち始めた騎士達。見違える様な彼等の戦意にロチアート達は目を見張り、リオンは気味の悪い超常現象に顎から伝った汗を落とした。


「これが奇跡の正体なの……?」


 御旗を振るい続けるジャンヌ。みるみると増強していく騎士達の気配に、ロチアート達は息を呑み始めた。


「チッ……キショいんだよテメェらは。毎回毎回そういう所がっ」


 鼻を鳴らしたシクスは笑うのをやめたが、視線をギラつかせた鴉紋の歩みは、以前真っ直ぐに進む事を辞めはしなかった。

 赤目の大群が押し寄せるのに合わせ、剣を抜いた騎士達も歩み始めた。互いにひしめく兵の一人ひとりが、まるでバーサーカーであるかの様に猛っている。


「フッハッ! これか……これが娘の――ジャンヌ・ダルクという奇跡の御力かッ!!」


 目を血走らせたゲクランが歯を見せて笑うと、互いに大挙していった軍勢が、接敵を目前にしてピタリと動きを止める。


「いっひひひ」

「……なんだ貴様は」


 ――それは光の旗を水平にして止めたジャンヌと、歩みを止めた鴉紋の間で起こった拮抗状態であった。

 いま決戦を迎えようとする両者の大将が、軍勢の先頭に立って視線を突き合わせるのは異様な光景であった。

 睨み合う二人の直ぐ背後より、さぁ今に飛び掛かってやろうという配下が息を荒げ合っている。ギラつき合う視線が混線する中で、誰かが一石投じれば直ぐにでも火蓋が切られるであろうギリギリの状態――

 もつれ合う激しい火炎の渦中へ身を投じる鴉紋とジャンヌは、互いに深い視線を揺らさずに標的を見据え続ける。

 燃え盛る鴉紋の右目が滾る――


「俺が恐ろしくないのか、ガキ」


 骨の髄より震え上がる、そんな冷酷極まる気迫に即座に声を返したのは、何処までも深い悪意を食い入る様に見つめた、瞬きすら忘れた桃色の虹彩であった――


「私は全く怖くない。だってこれをする為に産まれて来たのだから」


 ――ピキリと立った鴉紋の額の血管。そして次に、ギリギリと音を立てて握り込まれていく黒き拳に気付く。


「そうかよ……」

「いっひひぃ……」


 微かに俯き、影に染まった鴉紋の三白眼が殺意を走らせた――!


「「「――――――ッ」」」


 悪逆の王が闘いの幕を上げようとするのを、その場に居た全てが直感した、


 だがその時――――!!


「いきなり王手とは無粋ぶすいだろう……」


 興奮する兵を飛び越えてジャンヌの前に着地したのは、巨大なハルバードを手に、嬉しそうに眉を歪めるゲクランであった。

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