第325話 満ちる魔の軍勢。人類に迫る逆境
日の落ちゆく紺色の空を背景に、東の地平に無数の赤き眼光が揺らぐ。
想像以上に多く立ち並んだ敵の視線に、フゥドはポロリと口元の棒付き飴を落とし、対象的にヘルヴィムは懐からタバコを取り出して咥え始めた。
「来たかッ我等が神罰代行人の怨敵、蛇ィィイ!!」
地平より行進してくるロチアートの群れ。魔群を引き連れ、その先頭を歩く左足を引き摺った男にダルフは視線を凝らせていく。
「鴉紋……!!」
リオンもまた、鴉紋の隣にピタリと付いて歩む存在にいち早く気が付いていた。少し前とは見違える位に変貌したセイルが纏う、目を見張る様な獄炎の翼。そこから立ち上る、何者をも寄せ付けないかの様な気配が気に入らずに彼女は鼻を鳴らした。
「あの女……」
セフトの騎士達がざわめく。息を呑んだ彼等が着眼するは、地平より進軍しながら何時までも途切れる事の無い兵の数。
人類の砦――セフトの総兵力4000に対し、地を揺らし、いま目前に迫る赤き目の軍勢は、優に5000を超えていた。
騎士達は口々にせずにはいられなかった。
「馬鹿な……どうして雄のロチアートだけでこんな数が集まる、それもこの短期間で!」
「俺達が奴等を飼い馴らして来た為だ。ロチアートの総数は今や、我等の私欲による繁殖によって、騎士の数など遥かに上回っていたのだ……」
震え上がる軟弱な騎士達を尻目にしたラ・イルは、蓄えた赤髭を撫で付けてバァーハッハッハと笑い始めた。
「この程度の数で何を怖じけるか貴様等、オルレアンの時とそう変わらんでは無いか!」
ナァーハッハッハと会話に入り込んで来たザントライユは、ラ・イルを指差して笑い始めた。
「おいラ・イル。
「ああそうであった、バァーハッハッハ!
「おおそうだ。その上、敵兵はろくに訓練も積んでおらず痩せコケているではないか! 数的不利を嘆いているなら撤回せよ。この程度の不利など問題にならん、ニシンの戦いを思い出せ! ナァーハッハッハ!」
猛将二人が豪快に笑うと、騎士にも不思議と勇気が携わって来た。一面に広がるナイトメアの軍勢を前に、彼等は昂り、笑い始めた。
「勇猛は良いが、軽視はいけないな」
そう声を投じたのは、ジャンヌの背後で玉座に座り込むミハイルであった。
しかし天人自らの忠告も、
「ミハイル様。なんだー、貴公も恐れ
「いかに天よりの使者であろうと、こうして戦の渦中に身を置く事はそう無かったであろうからな、ナァーハッハッハ」
そんな彼等に、ミハイルは心を一つも揺れ動かす事無く微笑みを返していた。
「ああ、怖いし恐れているよ、あそこに灯った赤目の一つ一つを……
「ん?」
「魔族?」
鴉紋が不意に頭上に掌を掲げた。左目を残し黒に染まりきった体より、
「な……っ」
「にゃ……に?」
空に開いた天輪より、闇夜を割った赤黒い陽光が射し込むと、照らし出されたロチアート達の赤目がギラギラと輝きを増し始めた。やせ衰えた彼等一人ひとりより
「余り舐めない方が良いよ、
「王の覚醒より、彼等は血に刻まれた記憶を呼び起こしている。叛逆の時をただひたすらに待ち続けた、その
「……バァッハ!」
「……ナァッハ!」
闘志を剥き出しにして眉を吊り上げ始めた二人の猛将は、共に噴き出し、声を重ねて滾り始めた。
「「面白いッッ!!」」
動揺を刻む騎士達を他所に、八英傑はそれぞれに笑い――得物を握り始める。
だが一人、ミハイルの左隣で不服そうにハルバードを下ろしていく人物が居た。
「5000対4000……この程度の逆境で俺は昂らんぞ。そこに
「バァーハッハッハ流石は大将殿、これでも足りぬと言うのか!」
何やら1000の不足を補う算段がある様子のゲクランは、腕を組んで目を細くしてしまった。それを聞いたラ・イルとザントライユが馬鹿笑いしている。
大の戦闘狂であるこの男の事であるから、このままではまた妙ちくりんな誓約を課して、わざわざ窮地を演出しそうでもある……
「我が聖なる兵でこのまま敵を圧殺すれば、ただの虐殺と変わらんでは無いか……ともすれば俺は騎士道に
「待ちなさいゲクラン。私は言いましたよ、その必要は無いと……ねぇミハイル様」
懐から取り出したボロ布で早速視界を遮ろうとしていたゲクランが、ジャンヌの声にピタリと止まって首を傾げていた。
ジャンヌに語り掛けられたミハイルは、わざわざ不利な状況に陥ろうとする不可思議な人間に首を竦めながら、地平に並ぶナイトメアの方角を顎で示す。
「数的不利に陥りたいというのなら、良く目を凝らしてごらん」
「んん〜?」
「そこに覆し難い程の兵が産まれ落ちるから」
「は?」
こちらへ差し迫って来るナイトメアの軍勢の前方に、視界が遮られる程の黒きモヤが立ち上り始める。
「フ……っフッハッ!!」
そしてそこに現れたのは、ありとあらゆる形態をした地を埋め尽くす程の魔物の大群であった。
遥かに凌がれた戦力に腰を抜かしかける騎士が数名。
「あへ、あへへ、アヘアヘアヘ……これは逆境だぁ、ともすれば存分にやれる……あへっ」
――だが数え切れない程の赤目の群れを前に、ゲクランはとても言い表せない様な至福の表情をしているのだった。
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