第314話 救世の剣がそこに相成る時――下等生物は混沌を前に笑う


 赤黒い空から射す油っぽくてらてらとした陽気が、ダルフとメロニアスを照らしていた。周囲には紫色の大気が押し寄せ、壁や天井からは雫が垂れて溶解されている。


「……馬鹿者」

「……メロニアス?」


 全身を滅多刺しにされ、肉を溶かされゆく天使の子は、無残に溶け落ちた片翼を落とし、白銀の眼でダルフを見つめていた。


「怒りに、支配されるな……」


 メロニアスは半死半生の体をブルブルと震わせながら座り込むと、死を待つだけの自らを悟り、決死の思いで打ち上げた巨大剣の一刀を握る。


「ダルフ……怒りは時に力を呼び起こす。しかし、それに全てを委ねるな」

「……!」

「人とロチアートの共生……お前が望む未来の為には、闘いの連鎖を、復讐の連鎖を……断ち切る為に……煮え湯を飲んでも、剣を納めなければならない時が……っ!」


 血を吐きながらも語ろうとする彼の元へダルフは走り寄ろうとしたが、帝王の手がそれを制止していた。


「怒りに全てを任せれば……お前の敵――終夜鴉紋と変わらぬ悪鬼がそこに産まれるだけ、闇の渦巻きをより混沌とさせていくだけ……戦乱の世は決して終わらない」

「……っ」


 ややばかり平静を取り戻して来たダルフに、顔を上げたメロニアスのが向かう。

 翼が消え、先程まで灯していた色の失せた瞳は、ミハイルより授けられた天使の子の力が、消滅していった証であった。


「人を率い王となる者は……それではならん。真に民を思い未来を願うなら、この様な困難……絶望の最中に置かれても、は民の象徴として、示さねばならんのだ」

「王……みかど……メロニアス、お前は俺に何を……?」


 メロニアス本来の黄金の瞳と、ダルフの黄金の瞳が交差し合う。彼等が一卵性の双子である何よりの証拠を認め合いながら、メロニアスは懐から神遺物の火槌かづちを取り出す。

 そして帝王は渾身の魔力を振り絞り、小槌を地に打ち付けながら――ダルフへと確かに叫んだ。


!」


 ――その瞬間に、火槌より打ち出された一本の炎の柱がメロニアスとダルフとの間で打ち上がり、その身を蒼き焔へと変えていた。

 霧状となったまま揺らめくベリアルは、大気より片眼を覗かせてその光景に口を挟み始める。


「あれぇ……キミにはもう、そんな魔力無かった筈なのになぁ」


 既に枯渇していた体より放たれた怒涛の魔力に小首を傾げた悪魔へと、メロニアスはダルフと瓜二つの、正義の煌めきを宿した視線を送る。


「憶えておけ、これが人間の底力……そしてという不可思議なる未知だ!」

「……?」


 轟々と立ち上っていく蒼き焔の柱へと、メロニアスは自らの両手諸共に巨大剣を差し込んだ。


「ぐ…………ッ!!」

「何をしているんだ!?」


 炎の熱に焼かれていくメロニアスに、ダルフは困惑した表情を向けて走り寄る。だがメロニアスは歯を喰い縛った面相のまま、炎に投げ込んだ大剣を離さない。


「黙って見ておけダルフ! これがメロニアス・エルヘイドが最期に見せる輝きだ!!」

「っ……!」


 緩々と引き抜かれた焦げた左腕。そして懐より火槌を取り出して、天に示したメロニアス――エルヘイド家代々からの宝物と栄華なる一族の結晶に、彼は今この瞬間に終止符を打つ事にした!


「頼んだぞ、出来損ないのエルヘイドよ……!」


 火槌を蒼き焔へと差し込み、握った巨大剣と合わせた瞬間――目を覆う白熱が周囲に巻き起こり、炎が立ち消えていた。


「…………っ」


 咄嗟に視界を覆っていた掌を下ろし、ダルフが見据えたモノは……


「我がエルヘイドの誇りと共に……この世の悪を滅尽せよ」

「メロ……ニアスっ!」


 右腕を炎に焼かれて欠損したメロニアスが、残された黒焦げの左腕で――“救世の剣”へと変貌した巨大剣の一振りを抱え込んだ姿であった。


 死に体同然のままの掠れた視線で、天を仰ぎ掛けるメロニアスにダルフは駆け寄ると、ボロボロになった彼を胸に抱く。


「そんな……なんで、俺なんかに……」

「ダルフよすまなかったな……」


 メロニアスがダルフへと押し付けたのは、蒼き焔に差し込んで神遺物と一体化した大剣であった。

 先程まで直剣であった筈の刀身は、強烈なる焔の揺らめきにあてられ波打っていた……まるでフランベルジュの様相であるが、製法はまるで違い、より自然的な焔の揺らぎが刃を波打たせている。


「――――ッ!!」


 ダルフはその大剣に触れた瞬間に、莫大なる灼熱のエネルギーを感じて全身を痺れ上がらせた。

 

 ――もう一人、その場に置いて、完成された神の剣のエネルギーを感じ取る者が居た。


「ぁ――――!」


 大気より無理に体を現したベリアルが、緊迫した面持ちでリオンとピーターを一薙ぎの邪風で切り払う。


「父……さん?」


 らしくもなく冷や汗を垂らしたベリアルは、飄々ひょうひょうとした態度を辞めて、そこに現れた神の威光に恐れ慄き始めていた。


 ――カッと目を剥いたダルフの胸で、メロニアスは瞳を閉じ始める。


「すまなかったなぁダルフ……大変な思いをさせて」

「待ってくれ、逝かないでくれメロニアス! やっと……やっと家族と会えたのに……!」

「まだ俺を家族と思ってくれるのか……お前に辛くあたり、この関係も包み隠そうとしていたこの俺を……」

「逝くなよ……逝くなって!」


 最期の時……その瞬間を持って、始めて心を開き合えた兄弟の元へ、切羽詰まった形相の悪魔が歩み寄って来る。


「ごめん、怖いよソレ……笑えない。もう遊ぶのは辞めだ」


 邪悪の限りを空へと打ち上げたベリアルが、力を開放して世界を強く歪め始める。

 獄魔の空が強まり、強く暴発し始めた魔力に胸を高く跳ね上げたメロニアスが、血のあぶくを吹いた。


「っ……くそっ貴様は何処までもッ……おのれベリアルゥウウ!!」


 ベリアルへと振り返り、また怒りに猛り始めたダルフの額が――パチン、と帝の指に小突かれていた。


「――っ? ……メロニアス」

は示さねばならんのだ……あらゆる困難、絶望を前にしても……それを払い除けて民を導いていく為に」

「示す……?」


 長いまつ毛を伏せていったメロニアスは、死の間際に置いてまでも――そこに

 ダルフの手にフランベルジュを握り込ませ、

 ――そして示す。帝の証を継承した次の帝王へと向けて。


「いかなる“魔”が前にあっても……絶望の淵に立たされようとも――」


 ――そこに、輝きを解き放っていた黄金の瞳が消えていった。


……恐怖を押し退け、民へと示す象徴であれ」


 確かに携えた笑みと共に、最期の言葉を遺して。


「忘れるな……よ…………」


 拍動を辞めた兄の亡骸を胸に、ダルフは握り込まされた救世の剣に力を込めた。

 暴走する魔力の最中にあっても、確かに立ち上がり始めた強烈なる覇気に、ベリアルは囁く……。


「鬼に……金棒?」


 ベリアルへと相対し、顔を上げたダルフは――

 ――笑っていた。止め処なく溢れ出しそうになる涙を堪えながら、絶望を打ち払い、鴉紋の幻影すらをも切り払って。

 その笑みが、民草を、そして自らを奮い立たせる力となっていく。


 ――暗黒に立ち向かっていく無限のエネルギーが溢れ出す!


「僕の前でそんな顔をする人間は初めてだよ……」


 手元に紫色のレイピアを現したベリアルが、背の翼に乗ってダルフへと迫って来た――


「やっぱりオモシロイネ、ダルフくん――ッ!」


 ――未だ余裕気な少年は、迷う事も無く下等生命体の命を摘みに邪風に乗る。


 ――しかしベリアルは直ぐに驚愕する事となる。


「ぇ――」


 人間には干渉出来ぬ筈の邪気より創り出したレイピアが、いとも容易く波打った大剣の刃に触れて弾き落とされていた。


「な………」


 そして無防備となって晒された自らの眼下で、神の力を宿した大剣に、メロニアスの炎とダルフの雷火が纏わり付いていくのを目撃する。


「異なる魔力が、螺旋の様に――っ!?」

「救世の剣……フランベルジュよ」

「――――ッ!!!」


 次に突き出されていた切っ先に、ベリアルは腹部を貫かれて多量の血を吐いていた。


「ぐギ――ッなァ……ッがあ!!!??」

「痛むかベリアル……これが――」


 雷電の痺れと炎の熱を体に流し込まれたベリアルが、全身の血管を浮き上がらせて“痛み”を知覚する――それは代行人の残した呪いによる結果であった。


「イダ――――ぁッ、ッァアア゛ッ!!??」


「これが人間の……団結の力だぁあッ!!!」


 フランベルジュに浄化されていく体に身悶えしたベリアルが、血眼になって後退すると、空で鳴り響いていた鐘の音が止まった。

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