第305話 邪爆の翼――今そこに天を侵す


「何よこの部屋、ドロドロに溶けてるじゃない! ってMyモーニングスターもちょっと溶けてるぅ! ダルフくんもメロニアスくんも大丈夫なの!?」

「ダルフ、助けに来たわよ!」


 奇妙な惨状の部屋を見渡した二人の元へ、ダルフは舞い降りていった。


「ありがとう助かった……ラァムはどうなったんだ?」


 鎖付き鉄球を手元に引き寄せたピーターが、ダルフの溶けた体を痛々しそうに眺めながら口を開いた。


「出来る事はして来たわ……あとはあの子の運と生命力次第ってとこね」

「それよりメロニアスは何をしてるのよ」


 腐蝕ふしょくの霧から解き放たれたメロニアスは、耳聡くリオンの声を聞きながら炉に向き直っていく。


「奴には聖遺物と神遺物しか効果が無いのだ……奴を打倒し得る武器を今、造っているのだ!」


 傷尽き果てた体のまま、メロニアスはせわしなさそうに火槌を打ち付け始めていた。


「Shit……侵入者のみならず、ユダにまで救われるとは」


 溶けたスータンを払い、焼けた背中を剥き出しにしたフゥドが、忌々しそうにリオンとピーターに振り返る。


「あら〜、アンタは助けたくて助けた訳じゃないわ」

「死んでなくて残念ね」

「フンっ……ならば恩に着る必要も無いな」


 フゥドの憎まれ口が終わる頃合いに、氷塊に包まれた少年から紫色の煙が上がり始めていた。人体をも一瞬で凍て付かせるリオンの氷も、やはり僅かな足止めにしかならないらしい。


「リオン、お前の左目で奴の術を止められないか?」

「もうやってる……!」


 閉じられた眼瞼。その左を押し開き、魔力を打ち消す魔眼を開いたリオンであったが、予想通りに敵の行動は静止していない。


「駄目よダルフ。終夜鴉紋の時と同じ……奴等の扱う未知の魔力には、私の『魔消ましょう』は通用しない」

「駄目か、ならばやはり、メロニアスの剣の完成まで持ち堪えるしか無いか……!」

 

 みるみると氷が溶け去ってドロドロの液と変わっていく中で、ピーターは一人怒号を上げる。


「それはやってみなけりゃあ――っ!」


 振り抜かれた棘付き鉄球がベリアルを押し固めた氷塊を叩き潰したかと思うと、強烈な爆発で四散させた。

 ――そして続け様に、髪を払ったリオンが彼の二の句を継いでいった。


「――分からないわ……!」

「やっちゃいなさい、小娘!!」


 散らばった氷の破片。その内部で蠢く不気味な液を目標に、リオンは閉じた両の瞳を押し開いた。


「魔眼ドグラマ両の目第三の目虚無鬼眼』――!!」


 鍛冶場の丁度中心に現れた一メートル程の“虚無”。色も奥行きも見えない、ただひたすらに深い暗黒が、その場の全てを次元毎に呑み込み始めた。


「虚無界に引きずり落としてあげる」


 凄まじい引力に皆の髪が逆巻き、そこに吸い寄せられる程に刻も感覚もが引き摺られ始める。

 メロニアスは魔女の繰り出した想像を絶する魔力に顔を引きつらせ、フゥドは度肝を抜かれて柱にしがみついていた。


「これはなんという……っ!」

「なんだよ……これ、shit! ロチアート一人が、なんて力を……!!」


 音も時間も存在さえも消し去る“虚無”が、ベリアルの体を形成していたモノを呑み込んでいく。もしそこに彼の意識があるのなら、黒点に触れた瞬間から、刻の牢獄に閉じ込められたかの様な茫漠な時間の感覚しか残らないであろう。

 は対象の時間を、感覚を呑み込み、果てしの無い無限に連れ去るリオンの極限技。

 そこに吸い寄せられていく程に、意識と感覚にラグが発生して何処までも引き離れていく。

 ――気の遠くなる程の無限……そして無が、虚無に飲み込まれた者には与えられ、やがて存在毎に崩壊していく。

 まともな神経をしているのならば、その黒点に触れた瞬間にはもう、自我が崩壊を終えているであろう。

 赤目を灯らせたリオンは、消えてしまった存在へと言い残す……


「貴方が仮に、人の手の及ばぬであったとしても……」


 ――やがてリオンが赤き魔眼を閉じると、虚無へと続く次元の狭間が消えていった。

 そこに残されたのは、強烈な引力で地を呑み込んだ痕跡と、精神的に酷く疲弊したダルフ達であった。


「なんて……技出しやがる……ユダ、殺す気か!」

「終わっ……たのか…………?」


 酩酊した様な有様のフゥドが正気を取り戻すと、メロニアスは嗚咽を漏らして瞳を上げていた。


「ぉえ……や、やったわね小娘……」


 ピーターは頬のコケたげんなりとした顔を上げると、跡形も無く消え去ったベリアルの存在に気付いて喜び勇み始めた。


「やった、やったわー! あのとんでもブラックホールに引き摺り込んだら、もうどんな奴も戻って来れないわ! フッフゥ~っ!」


 内股でピョンピョンと飛び跳ねるピーターであったが、未だベリアルの居た地点を覗き続けているリオン。


「リオン……?」


 彼女の異様な雰囲気に気付いたダルフが、声を掛けようとしたその時――


「――全員伏せて!!」


 ――邪悪な風巻が巨大な一柱となり、地より突き上げて宮殿をいた。


「――――ッ!!?」


 リオンの叫声の後、地に現れた黒の魔法陣より突き上げた紫色の波動。それは要塞の城を崩して頭上に空を覗かせていた。


「嘘よ……虚無に引き摺り込んでも駄目? そんなの一体どうすれば……」


 口元をパクパクと動かしたリオンは、信じ難いものが今再びにその魔法陣より現れて来る感覚に、息を呑む事しか叶わなかった。

 そして“魔”はそこに再誕する――


「驚いたよ。でも……である僕には、時間という概念が希薄なんだ」


 怒涛に突き上げて止まらない邪気にその場に居る者は皆腰を抜かしながら、地から浮き上がって来た遥かに遠い次元の生命に、改めて呆気に取られていく。


「ベリ……アル……!」


 一人僅かな正気を保っていたダルフは、湧きいでた“悪魔”に相対しながら、無意識に鉄塊を構えていた。


 ――――鴉紋……


 邪爆の翼を空へと昇らせた少年に、ダルフは今再びにに立ち返った様な感覚となる。


 そして邪悪が夜闇を割って天を突き、そこに莫大な天輪が開いた。

 ――輪に囲まれた空から、赤黒い空が!


 そこに緊張感の無い、子どもの声だけを残して……


「僅かな時しか生きられない……人間達キミ達と違って」

 


 ――――獄魔の空が天を侵食する!



「……ねぇ、?」


 爛々らんらんとして灯る魔族の瞳が、舐め回す様な視線でダルフを見上げる。

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