第295話 再燃する伝説


   *


 程無くすると、大広間に居た200の騎士は地に伏せる事となっていた。


「オモシロクナイ」


 そう声を漏らす少年が、メロニアスの籠城ろうじょうする鍛冶場を目指して足を踏み出していく。その迷いの無い所作から見るに、彼は天使の子の居場所を感知している様子である。


「待て……」


 プレートメイルの大半を溶かしたあられもない姿で、ガルルエッドは地を這ってベリアルへと手を伸ばした。

 傷だらけになったエールトもまた、騎士の呻く隙間から闘志を宿した視線を少年へと向け始める。


「メロニアス様の元には……行か、せない……」


 手元に起こした魔法陣より、二人の魔力弾がベリアルへと迫る――


「こんな……のって」

「何が起きているというのだ……」


 二つの魔弾は少年に触れる事もなく、立ちどころに消えてしまった。騎士隊長クラスの魔法攻撃であれど、渾身の力を込めた一撃で無ければ、その未知には接近する事すら許されず、溶けて消し去られる。


 魔力を使い果たした二人は、掠れた視線になって、愕然と地に伏せていった。


「…………っ」

「……」


 そこには最早、騎士のうめき声しか残されていない。鉄と血と、臓物の溶けたすえた臭いが立ち込めて、むせ返る程の異臭に満たされていた。

 足元からは生臭く赤黒い液体が鼻を突く。それは漂う邪気に触れた人間達の、肉と鉄の入り混じった成れの“水”。かつてそこにあった人間達が全て、一緒くたの液となって混ざり合っている。まるで存在毎に溶融されてしまったかの様に……

 彼等は全てが死んだ訳では無かったが、最早まともに動ける者など居なかった。居る訳が無かった。

 恐怖と脅威に呑まれた200もの騎士は、ただそこに少年が佇んだだけで、ものの数分と保たずに壊滅した。


「……人間じゃ、無い……」


 かつて仲間達であった汚水に手を着いたガルルエッドは。たてがみをくしゃくしゃと溶かしていきながら、絶望の相貌となっている。


「あぅ…………ひ、ひぃ……こわい、こわぃぃ」


 泣き崩れる事しか出来なくなったエールトは、全身をむしばみ始めた酸の様な灼熱感に、怯えて体を丸める事しか出来なくなっていた。悶え苦しむ若い女の肌が、漂うオーラに触れてじわじわと溶け始める。


 ベリアルの流動する大翼から、紫色の邪悪が垂れ広がっている。ただそこに居るだけで世界をむしばんでいくかの様にして、何処までも陰惨なオーラが大広間に満ち満ちていく……


「このままでは、メロニアス様が……メロニアス様がぁ!」


 涙ながらにベリアルへと手を伸ばすガルルエッドに、少年は澄ました顔で振り返った。


「まだいたの?」

「……ぇ」

「もういいよ、興味も無いし」

 

 ――その瞬間、少年の背に渦巻いていた毒色の濃霧は、巨大な牙の様な鋭利となって大口を開き始めた。


「ひぁ!! ひぁぁああ!!」


 だくだくと垂れ始めた酸に、ガルルエッドのプレートメイルは溶け落ちて、肉へと雪崩込んでいく。


「メロニアス様、メロニアスさまぁあ!!」


 骨張った彼の面相が、ブヨブヨとした柔肌へと変わり、原型を変え始める。ただれた皮膚が破れ、次に肉を、そして骨を蝕んでいく。変形していく気管支に、ガルルエッドは最早元の声音を残す事すら困難になってしまった。


「あぶぅぅるうう……ぁぶ、……ぅ!?」

「バイバイ」


 少年は何もしていない。そこに現れて目的地へと歩んだだけ。

 けれどその大広間には、もうこの世のものとは呼び難い程の地獄が広がっていた。

 災厄を振り撒き、世界を侵食し、ベリアルは大広間を抜けた先へと踏み出していく。


「あれ……?」


 ――少年の眠ってしまいそうな瞳が僅かに動いた。そして自らの手の甲に突き立ったを興味深そうに眺めると、手元の銀の一筋を融解して煙へと変えていった。


「そちらは部外者侵入禁止だ」

「……どうやったの? この針、まるで気付けなかった」


 僅かに口元を歪めたベリアルが振り返ると、そこには既に、数千の針が風を切り払って飛び込んで来る所であった。


「ぁ……っ」


 光反射する針が、壁に叩き付けられたベリアルの体を滅多刺しにしていく。

 うめきを上げるでも無く、されるがままに針を打ち込まれていく少年に、迷いも無く歩んで行く革靴の音。


「ただし、部外者である私は、当然の様にその道を歩んでいくがな」


 残された騎士は邪悪の払われた大気に息を落としながら、突如現れたそのを、震える眼で羨望していた。

 ガルルエッドは彼のボロボロの燕尾服を見上げ、涙ながらに声を漏らす。


「ルルードさん……うわぁぁ、ル、ルルードさん!」

「久し振りだなガルルエッド……最も、私の顔を知る者はお前と数名位だろう」


 閉じ掛けた瞼、傷付いた体で彼はそう語ったが、それは全くの見当違いであった。


「ルルード……ルルード・ファッソさんだ」

「あの……三英雄の一人、切り裂きの騎士、あの伝説の……っ」


 全ての者が、かつて焦がれたそのの名を知っていた。そして涙を流し、今一度彼に尊敬の念を抱いていく。


「ルルードさん、何故ここに……?」

「なに、主様の危機であろう。執事長として駆け付けぬ訳には行くまい。それよりガルルエッド、メロニアス様は?」

「え、あ……奥の鍛冶場に籠もっております」


 かつての部下にしていた様に、後ろ手に顎を引きながら訪ねたルルードは、眉根を下げて息を吐いた。


「何故、今……」

「今だからこそ……とメロニアス様は……」

「ふぅ、時に主様の言動は解せんな」


 するとその時ルルードは、針山の如く突き立った鋭利が、紫色の煙を上げて液状になっていくのに気付いた。


「ガルルエッド……お前達は下がっていろ」

「ぁ……は、はい!」


 生き残った騎士が仲間を引き摺って大広間を後にして行く。エールトもまだ生きているらしい。

 名残惜しそうに振り返ったガルルエッドが最後に退室していくと、ルルードは胸元から取り出した煙草を咥えてマッチを擦る。

 針を溶かしていった紫の煙の下に、大翼を開いた少年が佇む。

 するとルルードは手元に想像した無数の針のありったけを、四方八方部屋中に投げ放ちながら、白き空間へと消していった。


「何をしてるんだい?」


 何事も無かった様に語る少年に向けて、彼は灰一杯に取り込んだ紫煙を吐きつけ、胸元のハンカチーフで鼻の下を拭う。


「整理整頓してキレイにしまっているのだ――執事だからな」

「キミは少し、オモシロイかも……」


 すっかりと収納を終えた老獪ろうかいは、黒いオールバックを撫で上げながら、吸い殻を吐き捨てて破顔していった。


だと……クソガキが」


 これまで、ひたすら上品に振る舞っていた彼らしく無い、粗野な言動……


「おじいちゃんが遊んでやるよ……


 ――しかし、そんな不躾ぶしつけな振る舞いこそが、彼の全盛期を表す最大の特徴であった。


「えっへへ……!」


 野蛮な戦士の頭上に長針が集っていく。やがて流れ行く鋭利は結晶となり、巨大な一針となって、切り裂く様な殺意をかもす。


 笑う悪魔の背に、全てを侵す“侵食の翼”が開いて邪悪に満ち溢れる。


「人間如きが僕と遊べるのかな?」

「クソガキが老人の遊びに付き合えるものか……」

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