第291話 冥府に続く虚空


 共闘の意を示しあった二人。だがヘルヴィムは、また鬼の様な形相で振り返りながらラァムを見やった。


「ただしクソガキィ……ロチアートユダは捨て置くと言ったがぁ、この魔物騒ぎ、治められぬのならガキンチョはぁ……」


 聖十字を肩に担ぎ上げようとしたヘルヴィムを、ダルフはラァムへと振り向きながら止めていた。

 少女は一人、冷や汗を垂らしながら魔物の制御を試みている。


「ごめんなさい……私」


 パチリと目を開けたラァムは、苦々しい表情でダルフを見つめた。


「いいやラァム……きっと出来るさ、聞いただろう? 彼等はもう君に手出しをしない。だから今は人間への憎悪を抑えるんだ」


 ラァムの無意識下で発動している能力『魔物使い』は、間違い無く彼女の中に渦巻く人間への復讐心に反応している。それを抑えなければ力の制御は叶わない。


「出来る……かな?」


 ラァムの周囲に凄まじいオーラが立ち上り始めている。思えば都全土を包む魔術を行使しているのだ。少女の内包する途方も無い魔力量に、信者達も面食らっていた。


「きっと出来る。人間への復讐を、今は忘れるんだ。そうすれば君はもう自由になれる」

「……自由なんてなったって、私にはもう家族が居ない……何処にも行く場所なんて無いの」

「もし君さえ良ければ、俺と共に旅をしよう」

「ダルフと……私が?」

「色んな世界を見て回るんだ……君の家族の分も色んな事を知って……楽しい事をいっぱいするんだ」

「……!」


 歩み寄って来たダルフへと微笑みを返すラァム。彼女の周囲には怒涛どとうの風巻の様な魔力が吹き荒れている。

 ――魔物が再びに影を潜め始めた。動きも鈍くなり、それぞれに赤い瞳を消していく。


「もう少しだラァム……」

「ダルフ、私。それでもやっぱり、みんなを殺した人間への思いは消しされない」

「……!」


 申し訳無さそうに語ったかと思うと、次にラァムは一人の女として、赤らめた頬をダルフに見せていた。


「でも私……あなたは、あなたの事は、人間でも……」


 とても照れくさそうにしながら、伏目がちにダルフを眺めて、少女は続けた。


「あなたの事は、大好きよ」

「……っ!」


 そこに含まれていた純真無垢な感情。そして真摯な想いがダルフへと伝わる。


「だから、私……っ」


 ラァムはダルフというただ一人の人間の為に、その怨毒を抑え込んだ。

 願うラァムの元から魔力が消えていく。それと同時に周囲の魔物は地に溶けて消え、都全土から感じていた脅威の気配と、民の悲鳴も聞こえなくなった。


「やった……出来た、できたよダルフ!」

「出来た……ほん、とうに……っ!」

「うん……!」

「凄いぞラァム……!!」


 満面の笑みで座り込んだままのラァムの元へ、ダルフは涙を振り撒きながら駆けた。


「私がんばったよダルフ……」

「頑張った! 本当に良く頑張ってくれた!」

「これで……ダルフと一緒に同じ時を過ごせる? 死んじゃったみんなの分も、これからは、あなたと一緒に」

「ああそうだ! これからは色んな経験を俺と一緒にしよう、俺と共に色んなものを見て、沢山笑うんだ!」

「うん……っ、私本当にあなたの事が……っ」

「え……?」

「あなたの事がっ――――す…………っ…………?」

 

 少女の元へと駆け寄る途中で、ダルフはラァムが突如として吐血する光景を目撃した。


「ラァ…………ム?」

「あ――れ……なにこ、れ? え……」

「夢見てんじゃねぇぞHoly shitクソ野郎……」


 ラァムの背後、その胸から――黒いレザーグローブの拳が突き抜けていた。


「ぁ…………っ」


 煌めいた瞳に闇を落としたダルフは、先程まで笑みを見せていた少女が、苦しみ悶えながら口から血を垂らし続けていくの見ていた。


 レザーグローブの甲で、聖十字の刻印が白く発光している。……そしてフゥドがその手を引き抜くと、ラァムは力無く地に横たわっていった。


Shitクソ! ふざけるなよ……ロチアートユダを、侵入者を赦すだと! そんな事があって良い筈が無い……良い筈が無いだろうガ!!」


 怒るフゥドを真っ直ぐに見つめながら、目尻に貯めた涙を静かに流したダルフは、呆然としたその瞳に、燃え盛る激情を刻み込んだ――


「ぁぁ……ァァああッ! ぁぁあああ!! アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!! フゥドォオオオオ――!!」


 しかし、ダルフの振り上げた怒りの拳が落ちていくよりも早く、ヘルヴィムが前に出てフゥドを殴り付けていた――


「こぉの……ッボォオオオオオオケガァァァァアアアアアッッ!!!!」

「ぇブ――――っ!!」


 民家の硬い外壁に叩き付けられたフゥドであったが、ガクついた膝を震わせて立ち上がると、ヘルヴィムにも負けぬ程の怒号を張り上げる。


「甘い……何処まで甘くなるおつもりだヘルヴィム神父ッ!!」

「んあ……?」

ロチアートユダを……侵入者を赦すだと!? 我等の目的は、徹頭徹尾こいつらの駆逐にある!! こいつらのせいで都はこんな事になった! 家族がどうした! そんな事はッ神罰代行人としてあるまじき行為だ!!」


 フゥドの意見に賛同する幾人かの信者達が、彼の周囲に集まり始める。しかしてヘルヴィムは荒い息を立てたまま、瞳を怒らせて答えていった。


「見間違うなぁ……今の人類の敵は、こいつダルフでもロチアートユダでも無い……小物に構っている猶予など最早残されていない。蛇はもう目前にまで迫っているのだぁ、恐ろしく野蛮な、あの蛇がぁ!!」


 そんな中、ダルフは一人ラァムの元へと走り寄り、少女の体を胸に抱いていた。赤い鮮血が溢れ返って、ダルフの体を染めていく。


「ラァム……ぅっ……なんで、なんでこんな事に、なんで!」

「ダルフ……」


 まだ微かに息のあったラァムは、青褪めた顔で痛みに悶えた。そして次に、少女の赤い瞳は燦然さんぜんと輝き出す。


「いたいよ……痛い」

「ラァム……! あぁ、どうしたらいい、出血が止まらない……俺は、俺はぁあ!」

「みんなも、こんな……に、痛い思いを、……させられて来たんだ、……に」

「え……」

「人間から……みんな、こんなに辛い痛みを、押し付け、られた……んだ」

「ラァム?」


 何処までも純心に煌めいていた少女の瞳に、深い深い、狂気の念が刻み込まれていくのをダルフは眺める事しか出来なかった。

 そして少女はおぞましい程の魔力を解き放ち、事切れる前にこう言い残した。



   「人間が…………憎い……」



 ――そして次の瞬間であった。ダルフのすぐ傍らに、ラァムの起こした黒き魔法陣が現れる。


「ンぁ――――!!」

「なんだ――――」


 その場に居た全ての者は、冥府へ続くかの様な漆黒の魔法陣の出現と同時に――


 ――冷たく、そして茫漠ぼうばくとした。果て度もない深淵に浸からされたかの様な怖気を覚えていた。


 目を剥いたヘルヴィムの手元で、聖十字が熱くなる程に発光を始める。信者に続いてリオンとピーターもまた、まるで途方も無い狂気に足を竦ませた。


 ――それは言うなればまるで、終夜鴉紋のもう一つの人格を垣間見たあの時の様な、あの冷酷無比なる力を目前にした時の……


「…………っ!」

「…………!!?」


 この存在の前では、自らがとても矮小わいしょうな存在であると思わざるを得ない……そんな人外めいた神秘の生命体が、ラァムの現した黒き魔法陣より這い出て来ようとしている。


「あのガキは……『魔物使い』では無かった……!」


 意見を割っている所の騒ぎでは無くなってしまった彼等の元で、奥歯を震わせながらヘルヴィムはそう呟いていた。

 その冷たい狂気にガタガタと震えた信者達は、まるで言葉を返す余裕なども無いままに、ヘルヴィムの声を待っていた。


「奴は『召喚士サモナー』だ……!!」

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