第290話 家族


 足を高く上げる程に地に沈め込んだ男を見下ろし、ダルフは拳を引き揚げて雄叫びを上げる。


「うおおおおおおお!!!」


 背にたぎる四枚の稲光を収めると、荒れ果てた息をして、天を仰いでいく。

 その勝利の咆哮を耳にしたリオンとピーターは、傷を負った顔でダルフへと笑みを向ける。


「よしっ……」

「すごいわ、流石ダルフくん! あの化物を倒すだなんてっ」


 対象的に絶句してしまった黒のスータン達は、声にもならない落胆と共にヘルヴィムを見つめていた。


「ラァムっ!」


 未だ座り込んだままの、少女へと振り向こうとしたダルフ。

 しかしそんな彼を見つめていたリオンとピーター、そして狂信者達もが、次に起こった光景には、目を瞬いて衝撃を受けるしか無かった。


「良いだろう……未だ雑念は残る様だが、及第点はくれてやるぅぅ」

「――ッ!!?」


 ダルフの直ぐ背後には既に、鼻眼鏡アイグラシズにヒビを入れた男が立ち尽くして、彼を見下ろしていた。


「ヘ、ヘルヴィムっ!?」


 咄嗟に飛び退いて臨戦態勢となったダルフであったが、ヘルヴィムはと言うと――


「…………」

「な、なんだ……っ?」


 鼻先をポリポリと掻いて、丸いレンズを反射させるだけであった。


「……侵入者異物である貴様への断罪はぁ、しばし保留にして置いてやろう」

「はっ?」


 ダルフのみならず……特に黒の狂信者の面々が、あの過激な神罰代行人より漏らされたとはとても思え無い様なセリフに目を丸くしていた。


「ヘルヴィム神父が……侵入者を赦しただと……?」

「あり得ない……使命の為とあらば、どんな手だって使う、あの炎の様な男が、何故!」


 ヘルヴィムの発言に一段と強い歯軋りを立てていたのは、瓦礫より起き上がって来たフゥドであった。とても正気では無いかの様な視線でヘルヴィムを睨み始めている。


 周囲の疑念を一身に受けた男は語り始める。


「我等神罰代行人の最大の宿願はぁ、全ての元凶となった最悪の侵入者……を園より追い払う事であるぅ」

「蛇って、鴉紋の事なのか?」

しかりぃ……奴こそが、数千年に渡り脈々と引き継がれて来た、我等神罰代行人全ての先祖の悲願なのだぁ」

「数千年って、鴉紋は……」

「正確にはぁ……奴の中に巣食う、おぞましい悪魔の事を言っている」

「……」

「そして長く追放されていた蛇――がぁ……この時代、俺の世代にてぇ……何の因果か、再びに園への侵入を果たしたぁ」

「ルシル……」


 かつて目の辺りにした鴉紋のもう一つの人格――ルシル。あの凄惨な存在を思い浮かべると、ダルフの肩は無意識に震えていった。

 

「ダルフ・ロードシャイン。ヴェルトの息子よ、貴様が蛇の掃討に力を貸すというのならぁ……お前への神罰、並びにロチアートユダの駆逐も、しばしは置いてやろう」

「……!」

「な……っお待ち下さいヘルヴィム神父!」


 前に出た信者の数人が、ヘルヴィムへと抗議の意を唱える。しかし彼は、信者達へと柔和な笑みを向けながら掌で制する。

 ゴクリと、誰かがツバを飲み込んでいった後で、ダルフの視線がヘルヴィムと交わる。


「ヘルヴィム……あんたは、父さんとどういう関係だったんだ?」


 すると途端に鋭い目付きとなったヘルヴィムは、ダルフの顔を舐め回すように睨み上げながら、口を開いていった。


「ヴェルト! あのクソオヤジが、俺は反吐が出る程に嫌いだった!!」

「……!」

「どういう訳だか、時偶ときたま王都から出向いて来る奴にぃ、俺は幾度と無く因縁をつけて喧嘩を吹っ掛けたもんだぁ」

「父さんからは、あんたの話しなんてなにも……」

「ケッ……いけすかねぇ聖人気取りの奴は、力をひけらかす様な真似はしなかったからなぁ」

「……」


 一度息を吐いて平静を取り戻したヘルヴィムは、ダルフへと背中を向けてこう続けていった。


「俺がぁ、この俺でさえがぁ……ついぞ奴の背中を地に付ける事は叶わなかった」

「あ、あんたが?」


 あの何の気概も感じさせなかった父の姿と、ヘルヴィムの語る父の姿が、ダルフにはとても重なり合わなかった。


「忌々しい……! 実に忌々しい奴だった、分家の分際で生意気なぁ! 俺はアイツが、嫌いだった!」

「っ……」


 ダルフに向けた背中を、また怒りで荒ぶらせていったヘルヴィムであったが、最後にはやるせなさそうに、その肩を落とした。


「だが、奴もまた“家族”であった……」


 そしてヘルヴィムは続ける。並々ならぬ悲しみと、その私怨を声音に込めて。


「勝手に死にやがって……ッ勝手に逝きやがって! ……俺はぁ、家族が居なくなるのが一番嫌いなんだよ……」

「え?」

「奴への嫌悪、それ以上にずぅっとよぉ……嫌なんだよ……家族がぁ、仲間が居なくなるのがよぉ……俺はぁ」

「あんたまさか……」

「だから俺は、侵入者を赦さねぇ……」


 何を思うか、ダルフは彼の背をジッと見つめていた。とても大きく、そして傷だらけで、何もかも一人で背負い込んで来たかの様な……その男の背中を。


「今わかったよヘルヴィム」

「……」

「ひどく不器用で荒っぽいから気付けなかった……あんた始めから、俺が立ち直れる様に……」

「俺はぁ侵入者を決して赦さねぇ……地の果てまで追い掛け回し、その喉元を掻っ捌く事に全ての心血を注いで来た……」

「……」

「だが、ダルフ……ダルフ・よ。お前もまた、憎らしい俺の家族だからなぁ」

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