第282話 業火に炙られし者、死灰より再誕せよ。お前が正義であるが為に


 絶体絶命の危機を脱したラァムは、眉を八の字にしながらペタンと尻を地面に着けた。そして自らの望まない光景にわなわなと震え始めると、ようやくと状況を理解して来たかの様に声を上げ始める。


「ダメ、やめて……! そんな事したら、アナタ達も殺されちゃうよ!」


 ラァムが眺めるは、不思議にも争い始めた人間達の姿。リオンとピーターが、見も知らぬ自分の為に見をていして反旗をひるがえしている。


「いいの、私はこれでいいから……! 人間さん、すぐにやめて!」


 憎んだ筈の人間が自分を守る為に奮闘している。ラァムの胸が、何故だが熱く窮屈になっていって、遂には耐え忍んでいた筈の涙が落ちていった。


「だって、だって敵う筈無い……私わかるんだもん……」


 思いの他に強敵揃いの黒の狂信者達に苦戦する二人。一人投げ出された形のラァムの元へと、再びに信者達が集い始めた。

 ラァムの意志とは反して、また湧き上がった獣達が少女を守護する。しかし瞬く間に輝く十字剣にほうむられていって、もう幾許いくばくの猶予もラァムには残されていない事が分かる。


「あの神父様には、誰も勝てない……だから、だからもういいよ!」


 ラァムは遠巻きからこちらを見つめる、ヘルヴィムの恐ろしい眼光を一瞥いちべつして顎を震わせた。

 おぞましい剣撃の音と、魔物達の悲鳴に取り囲まれながら、ラァムは涙を拭ってまた表情を作り直す。


「ありがとう、私の為に、家畜の私の為にこんなにしてくれて、本当にありがとう! だからもう……っ」


 全てを諦めた少女はポツンと座り込んで、やがて迫る十字の剣に切り裂かれるのを待ち望んだ。


 これが自らの望んだ結末なのだと、

 これで自分は幸せなのだと、これで充分なのだと……

 そう言わんばかりの、可愛らしい笑顔ではにかんで――



「ラァム――――ッ!!」



「ダル……フ……?」


 ――激情の男の声が、一陣の風に乗って少女の髪を舞い上げていった。その熱波が、少女を叱りつけるかの様に額を過ぎていく。


「そんな顔で……笑うな……ッ」

「え……」

「Shit!! もがくな、貴様はそこでジッとしていろ!」


 フゥドは怒り狂ったままに、ダルフの背を激しく踏み付けながら、掴んだ両腕を引っ張り上げていく。


「グァッ……ァァア!!」


 海老反りとなり、ミシミシと音を立てていく背骨。外れそうな程に強烈に引っ張り上げられていく両の肩。

 ――それでもダルフは激痛に赤面したまま、歯牙を剥いて眼光をたぎらせ続けた。


「無理して……ぅっ、笑う、な……ッ!」

「まだ喋るかダルフ! ならばこのまま背を踏み砕いてやるぜ!」


 血走った眼のフゥドが、ダルフの腕を掴んで仰け反っていく。


「ん?」

 

 だがフゥドはその腕に、先程までは感じなかった、ダルフの抵抗する力を確かに感じ始めた。


Bull shitクソ野郎! やる気になんのが遅えんだよぉ、抵抗すれば腕が砕けるぜ!? それとも、想像を絶する痛みに、お前はこれ以上堪え忍べるとでも言うのかなぁ? っぁあーん!!?」


 フゥドの野次を耳にしたまま、ダルフはビキビキと腕を力ませていった。忠告された通り、上腕と肩に耐え難い程の激痛が起きていく。

 ――しかし金色のまなこは、ラァムだけを見詰め続けた。


「悲しければ……悲しい……ッと!!」

「もうやめてダルフ……」

「んだ、テメェ……!? じわりじわりと軋まされていくのと、一思いにへし折られるんじゃあ訳が違う筈だぜ……っ!?」

 

 やや動転した様子のフゥドであったが、ダルフの肩が脱臼したのを手応えとして感じる。

 しかし――


「……っな、なんなんだテメェ……っ?」


 ダルフは下唇を強く噛み締めたまま、真っ赤になった顔で痛みに耐え忍び、上腕をますますと力ませていった。

 そして、未だ屈託無く笑う少女にげきを飛ばす――


「悔しければ、悔……しいとッ!!」


 常軌を逸した抵抗に、思わず口元を笑わせたフゥドは、冷や汗を垂らしながら頭を振った。

 ……そして確かに、ダルフの手首を強く握る。


「折るぜ……」


 ――――ぐしゃん。

 フゥドが全力で仰け反ると、ダルフの左上腕が音を立ててひしゃげる。


「どうだダルフ痛みに悶え――」

「……っシ……!! 死にたく無い……ッなら、死にたくないと!!」

「あ――ッ?!!」

「生きたいなら、生き……ッたいと――!!」


 未だ残された右腕で抵抗を続け、語る言葉も止めない男に、フゥドの視線は揺れる。


「S……Shit…………っ」

「自分の……っ……願いをッ!!」


 ――――ゴギンっ!!


 ――そしてダルフは残された右腕がへし折れるのも構わず、強引にフゥドの拘束を振り解いた。

 逆巻く怒りを内包した金眼きんがんは、表情を凍り付かせたラァムへと差し向けられる――!


「――――叫べっ!!!」


 ダルフは這いずり、背中を踏み付けた足を振り払う。そして折れた両腕をダラリと垂れ下げたまま立ち上がると、明らかに変貌した恐ろしい眼光をフゥドへと向けていった。


「Oh my……god……っ」


 フゥドの口元がだらし無く開かれると同時に、彼の視線の先、立ち尽くしたダルフの背後から、大粒の涙を流して叫ぶロチアートの姿が見えた。


「――死にたくない!!」


 ラァムの宿した確かな自我の一声に、信者達は目を丸くしていった。

 そして少女は続ける。

 その願いはもう誰の為でも無く、自分自身の為に――


「死にたく、ないよ。本当は……妹の分まで、行きたい、生きて……生きていたい……!」


 目覚め始めた家畜の自我に、フゥドはゴクリと喉を鳴らして、胸のロザリオを握り締めた。


「人間への復讐が……叶わなくっても! 私は、お兄ちゃんや、みんなの分も……っ」


 大きく息を吸い込んだラァムは、もう笑ってなんかいなかった。

 大人の片鱗へんりんなんてもう、何処にも見えない位に。

 歳相応の、何の打算も無い、ぐちゃぐちゃになった泣き顔で、


 少女は願いを口にした――


「助けて……ダルフ――っ」


 少女の声を背に受けて、ダルフは折れた筈の右腕を水平に掲げていった。

 ――そして頷き、確かに宿った煌めきを胸に、拳を握り締める。


おう――――!!」


 右腕のみを再生させて迫り来た男に、フゥドは並々ならぬ変貌の兆しを見つける。先程までの口先だけの弱々しい男とは、明らかに違う強烈な気迫を、ビリビリと肌に感じる。


「確かにな……お前の周りに、災いが巻き起こっていくぜ」


 丸い鼻眼鏡アイグラシズを夕陽に反射させたまま、フゥドはスータンの首元のボタンを外し、震える息を吐き出していた。

 そして聖十字の刻印輝くレザーグローブを、眼前で十字に構えていく。


「クッハハ……! 痛めつけられる恐怖を克服しても、力一杯殴れんのかよ……っああ!? 勇者様よ!」


 先に踏み出したフゥド――

 彼は得意のインファイトにダルフを引き摺り込んで、傷付いた体を猛打していく。


「どうしたどうしたぁこの侵入っ――――ッァが??!」


 ダルフは自らの顔面を、力任せにフゥドの脳天に叩き付けていた。


「ぁ――――ッ!!?」


 鼻が折れて血が吹き出すが、ダルフは精悍せいかんな顔付きをして、脳を揺さぶられたフゥドに拳を引き絞っていく。


「……どう、せ……また、殴れねぇ」


 フゥドはよろめきながら、嫌らしい目付きでダルフを笑った。


 そして怒涛の雷火を宿した熱拳が、振り被った大振りのままに、フゥドの頬を打ち抜いた!


「ぇぁアッッブゥあああ――――ッッ??!!!」


 ダルフ本来の怪力に、研ぎ澄まされた雷撃を蓄えて振り抜かれた拳は、フゥドの頬骨をうち砕き、遠く何回転もしていく程に強烈なものであった。


 血に濡れた顔を拭い、乱れた髪をかきあげて少女に振り返ったダルフは――


「もう大丈夫だ、ラァム……」


 ――かつての、あの勇姿のままに微笑んだ。

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