第281話 そんな顔で笑うな


 恐怖にガクつく情けの無い体にムチを打ちながら、血眼になったダルフは立ち上がる。乱れた髪の隙間から覗く敵が、また鴉紋のおぞましい姿と重なっていく。


「おねが、い……ダルフ!」

「……ラァム?」


 フゥドの背後に、泣きじゃくった少女がうつ伏せにされていくのが見える。

 傷だらけの背中を隠す事も許されず、あざける様に踏み付けられながら、頭上の男が十字剣を振り上げていく。

 ――それでも彼女は、ダルフへと声を投じていた。


「もう……傷、っつかないで、欲しい」

「ぁ……っ」

「もう痛い、思いさせたくっ……ないの」


 節々でしゃくり上げながら、ラァムは涙を土で拭う。

 そして少女は、今度は血と泥に濡れた相貌で、大人びた笑みを見せていった。


「ありがとうダルフ」


 痛くて恥ずかしくて悔しくて堪らない筈であるのに、少女は泣く事すらも押し殺して、可憐な笑みを見せ続けた。


「ラァム……君はっ、なんで……」

 

 最期の時――誰に気遣う必要も無く思いの丈を吐露するべきであるのに、そうしたい筈であるのに……少女はそれをせず、自らでは無く他者の――ダルフの為に微笑んでいた。何処までも優しい……優し過ぎる少女は、ダルフの足枷にならぬ為に、精一杯に笑う。


「駄目だラァム……おねがいだから、そんなっ顔でッ!」


 ――だが何故だろう……

 美しく、健気で清廉せいれんとした笑みが、侵害出来る筈の無い、清々しいまでのその笑顔が――

 ――ダルフにはものに見えた。


「駄目だラァム……こんな所で、そんな顔で……あぁ、ああぁ、ッアアアアア!!」


 まるで、定められた因果に強要するかの様に咆哮したダルフ。すると彼の体に薄く雷光が纏い始めた。


「死なせないッ!!」


 足に雷撃を纏わせたダルフは、先程までとは比べようの無い速度でラァムの元へと駆け始めた。

 しかし――――


「何処行くんだよShit……」

「くッ……フゥド!!」


 フゥドが迅雷の如き速度の首根っこを掴んで、地に引き摺り落とした。そしてうつ伏せとなったダルフの背後に回ると、その両腕を同時に引き揚げながら背骨を踏み付ける。


「グゥうが――!!」

「見ろよダルフ。同じ格好にしてやったぜ?」


 人を食った態度の男が、ラァムと同じ様にダルフを拘束した。そして身動きの取れぬままに、ダルフは少女を愕然と見やるしか無い。


「ぐああぁッ!!」

「もうすぐお前もああなるんだ。よく見とけ」


 ラァムもまたダルフを見ていた――

 そして汚れた顔で、ダルフに向けて目を細くしていく。


「大丈夫、私死ぬから。みんなの為に死ぬからね、ダルフ」

「ラァム……あぁっ!」

「ダルフはきっと生き延びてね。そして、可哀想なロチアートを助けてほしい」

「……ぁ、ぁ、駄目だ、こんな時まで、他人の事……君は、君の気持ちはッ」

「さようなら」

「君の――――!」

 

 弓なりになった目、大きく開かれて吊り上がった口角。前歯の抜けた白い歯を見せて、少女は屈託のない笑顔になった。

 こうあるべきだという、そんな理想から一歩も踏み外さぬまま――実に見事に、ラァムは最期の時まで健気に演じ通した。


 幼気いたいけな少女が、間際の時まで気遣わねばならぬ世界とはなんだ。自らの願いを押し殺したまま、死なねばならぬ世界とはなんだ。


 ――――そんな顔で笑うなよ。


 子ども達が、こんな笑顔をしなくて良い世界の為に、彼は闘って来たのでは無いのか?


 罪過を物語る十字架の剣が、今少女へと向かう――


「――『爆鎖鉄球チェインボム』ッッ!!!!」


 爆風を連鎖させた棘付き鉄球が、ラァムを取り囲んだ男達へと一直線に突き抜けていった。


「ピーター……」


 驚愕としたダルフの髪が、爆風に巻き上げられて額を剥き出しにした。

 フゥドも口元の棒付き飴をポロリとこぼし、まるで理解が追い付かぬ様にして眉を上げていく。


 そして野太い男の声が響き始める。


「もう我慢出来ない……私、間違ってた……!!」


 表情を影にして、プルプルと震えていた奇抜な男は、次に力み切った血管だらけの相貌を上げていた。


「眼の前の子ども捨て置いて、ナニが罪の無い民を救うよッ!! この子救えないでぇッ誰が救えるってんだ洒落しゃら臭えッ!!」


 大気震える怒号に信者達が呆気に取られていく。手元のモーニングスターをブンブンと振り回し始めた男の隣では、リオンが静かに微笑み始めていた。


「あーあ、やっちゃったわね」

「ナニよ何笑ってんのよ、文句あるの小娘!? 私はもう止まらないわよ! ダルフくんを信じられなかった非前衛的な自分を呪い殺したい位なんだから! ムキィイイイ!!」


 ――その時、ラァムの側に投げ出されていた信者が立ち上がって、剣を抜いて断罪の一閃を振り下ろそうとした――


「文句? ……とんでもない。今私、始めて貴方と気持ちを共にしているわ」


 リオンの手元から放たれた氷塊が、剣を上げた男を彼方へと吹き飛ばしていった。

 我に返った黒の狂信者達が、怒り狂いながら喚き始める。


「貴様等、自分達が何をしているのか分かってるのか!! これはれっきとした反逆行為だぞ!」

「やかましいんじゃ小童こわっぱァアー!! んなもん百も承知だボケがァアー!!」


 キレたピーターは恐ろしい形相から、思い出した様に愛想笑いをすると、モーニングスターの鉄球を引き戻して手首にスナップを効かせる。

 そして眼前に浮き上がる鎖に連動した鉄球に、アイアンナックルの正拳を叩き付ける。


「『爆拳爆鎖チェインバーストボム――ナックル』ゥウウッッ!!!」


 殴り付けた棘付き鉄球が爆風に乗って射出されると、更に爆発を連鎖させながら、信者を一網打尽に巻き込み始めた。


「――ァうぐぁあ!!」

「ぎやァあ!! アチィイイイ!!!」


 伸縮する鎖を手繰り寄せてグルングルンと軌道を変えていきながら、爆風の嵐が巻き起こっていく。


「アアァイっ!! どんなもんじゃいぃ!!」

「貴方怒るとそんな口調になる訳?」


 鉄球を引き戻したピーターは、野太い男の声を止めて体をクネらせる。そして取り出したクシで、爆風に乱れた爆発頭を撫で付けながら、リオンを力強く見下ろした。


「最強美少女コンビ結成ね」

「……まさかとは思うけど、貴方少女のつもりなの?」

「心はセブンティーンよ〜チュッ」

「そうじゃなくて貴方オッサ……」

「あぁん!? そっから先はタブーだぜぇぇ!!」

「いや性別……ああ、もういいわ面倒くさい!」


 巻き起こり始めた旋風に唖然としたダルフ。その頭上では、フゥドが舌打ちしながら激怒し始めていた。


Shitクソ shitクソ shitクソ shitクソ shitクソ shitクソッッ! Bull shitクソ野郎がッ!!」

「グァッグァッ……アッ……!!」


 一つ唱える度に踵を振り下ろされていくダルフ。フゥドは青筋を立てて激昂すると、有り得ない程に仰け反りながら牙を剥いて吠える。


「こおおのッッ……Holyビチ fuckingグソ野郎 shit共がッッ!! 覚悟はいいなァ! テメェらは俺達に弓を引いたんだぜッ!!」


 ヘルヴィムとフゥドの気迫が重なって恐ろしい様相となり、リオンは冷や汗を垂らし始める。だが彼女は毅然きぜんとしながら、無様に寝そべったままのダルフへと口を開いていく。


「毎度わざわざ険しい道にいくのね。まぁいいわ、私言ったわよね、貴方が悪に堕ちるのならば、私も共に行くって……」

「……!」

「無計画なんて言わないでよね……またきっと、なんとかしてよねっ――ダルフ!」

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