第280話 弱者の夢。振り払えぬ幻影
ダルフのボタボタと垂れていた血液が止まり、欠損した部分に肉芽が形成されていった。溢れ出した怒りは彼の歯牙をみるみると剥き出しにしていく。
「ウウウウウ……ッ!」
「来いよクソ野郎」
向かい合うフゥドが指先でダルフ挑発している。
しかしダルフは逆上した眼を、目前の男から外していった。
「Shit……まぁそうなるよなぁ」
駆け出したダルフが目指すは、処刑の準備を進められていく少女の元である。
呑気に頭を掻きむしったフゥドは、小さく短足してから姿勢を低く構えていった。
「ハァ――――ッ!!」
遅れて駆け出したにも関わらず、その超人的な身体能力によってダルフの背後に追い付いたフゥド。
「させねぇけどなぁぁッ!!」
「ゥあっク……ッ!?」
風を切ったままの速度でダルフの肩を掴むと、振り返りざまに拳の一発をお見舞いする。
「
「ゲはッ」
そして次に脇腹を――
「
「おぼ……ッ!」
トドメにこめかみに右のフックを叩き付けた。
「
「あ――ッ!!?」
巧みなコンビネーションで三連撃をプレゼントしたフゥドは、解いた掌を擦り合わせながら笑う。
「それだけ? クッッ…………ッソよええなッ!!」
極度に仰け反ったフゥドは、振り子の様に勢いをつけて彼を見下ろす。足元に転がったダルフへと満面の笑みを見せ付ける。
「そこを退けぇフゥド!!」
「Shit……! 俺の名を気安く呼ぶんじゃねぇよぉ!!」
フゥドの恐ろしく早い手刀が、ダルフの足首へと迫っていく。
「『
手の甲で発光した聖十字が白き道筋を残し、ダルフの足首へと振り下ろされていった。
「ナ――ッギぃァァ!!?」
――噴き上げる血飛沫。アキレス腱を断裂されて皮一枚になった足首。
激痛で小鼻にシワを刻み込んだダルフであったが、再びに力を加速させて砕けた足を再生していった。
「また歳をとっちまったなぁダルフ」
ダルフの正面に立ち塞がりながら、フゥドはまた棒付き飴を取り出して口に咥えた。
「フゥド――!!」
「あ〜ん?」
立ち上がったダルフは、敵の背後に見えるラァムの元を目指す。だがその為には、この男をどうにかせねばなるまい。
「……ッ!!」
覚悟を固めたダルフがフゥドに拳を振り上げた。
「ぅオオオオっ!!」
「ようやく人を殴る気になったってかぁ……だが――」
放たれた拳はフゥドの繰り出す細かいジャブに叩き落とされ、おまけと言わんばかりに、カウンターの左ブローがみぞおちに炸裂していた――
「ぉぶ……っ!!」
呼吸もままならくなって膝を着いたダルフ。揺れるその頭を、フゥドはポンポンと撫でた。
「お前は剣士だろう? インファイトで俺に敵うとでも思ってるのか?」
「だま……黙れぇッ!」
「ほ〜……」
鬼神の闘志で踏み込んだダルフが、中腰のまま天を突き上げる――が……
「全然駄目だ。ますますと
捩った首の顎先スレスレで止まった拳に、フゥドはキスをして見せた。
「
「へブ――ッ!!」
お返しとばかりに、天を突く膝がダルフの顎を砕いた。
「ぅうううッ!!」
「うおっ、なんだお前!」
しかしダルフは、割られた顎を喰い縛りながら、繰り出されたフゥドの膝を抱え込んでいた。
「離せクソが!!」
滅多打ちにされるダルフであったが、掴んだその膝を頑なに手放さないまま、殴られるのも構わずに勢い良く立ち上がった。
「うおッ!」
バランスを崩したフゥドが転倒する。そしてしかめた
「Shit……調子乗り過ぎちまった」
「ふぅ……フゥウウウッ! ッオオオオ――ッ!!」
「く……っ」
血に濡れて乱れ切った髪。正気も定かで無い眼光のまま、ダルフの拳がフゥドの顔面を捉える――
「ッ……! くそぅ、なんで……どうしてッ!」
「ん……?」
まるで腰の入っていない形だけの打撃に、フゥドは瞑っていた目を開けて呆れた。
「ラァムを助けるんだ……なんで、なんでなんでなんでッアア!」
恐怖に竦んだ目付きのままに、ダルフは眼下の男を殴り付けた。けれどどうしたって上手く力む事が出来ずない。呼び起こされるトラウマに震えた拳はまるで、夢の中で決して敵わぬ存在に抗っている様である。
「舐めてんのかテメェ……」
「ぁブォ――ッ!!」
胸を打たれてよろめいた隙に、捩じ込まれた足で蹴り飛ばされるダルフ。余りにも無力な自分を呪いながら呻いていると、フゥドは悠々と立ち上がってスータンに付いた土を払った。
「ラァムを助けなきゃいけないんだ、ラァムを、なんとしても! それなのに……っ」
この期に及んでも、ダルフは鴉紋の幻影を振り払う事が出来なかった。それ程までに彼の心は、奴に粉々に砕かれていたのであった。
「立て、立てっ! 立てぇええ!!」
しかしダルフは振り払わねばならない。さもなくば、自らの眼前で大切なものが次々と砕き去られていくであろう。
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