第276話 悲境を押し返す可憐
*
第1国家憲兵隊の包囲より抜け出したラァムとダルフ。『魔物使い』と呼ばれた少女の激情によって現れた大狼が、二人を連れて都を疾走していく。
「ハグゥア……ッ!」
「あっ! その人を食べちゃダメよ魔物さん!」
大型の魔物に背に乗せられたラァムは、口元に咥えたダルフが噛られているのに気付いて、魔物の耳をバシバシと叩いた。
「ぐるゥウウ……」
ヨダレを垂らした獣は不服そうにラァムの命令に従った様だ。やはり魔物を操れるというのは彼女の能力によるものなのだろう。覚醒した自らの力に無自覚であった少女も、その時にはやや理解して来た様子であった。
「ダルフ、死んじゃうの? 血がいっぱい出てるよ……」
腹に穴を開け、顎をかち割られた男が、魔物の口元で力無く項垂れて流血している。
「イヤだよ、私を庇って死んじゃうなんて……絶対にイヤ!」
「……っ」
彼にかけられた呪いの事を知らず、ラァムは今にも泣き出しそうになりながらダルフを覗き込んだ。
「ラァム……泣かないでいい、俺は『不死』だ」
「不死って……え、死なないって事?」
ダルフは今、喋り出すだけでも激痛であったが、彼女を心配させまいと、顔をしかめながら言葉を紡いでいた。
「ああ、痛み……は、感じるが、死なない」
当て所も無く夕焼けを駆けていく魔物の背中で、憂い顔となったラァムは結局涙を流した。
「それって……苦しい。きっと、死ぬよりもずっと……」
「……」
泣き虫で優しいロチアートの少女を見上げ、ダルフは黙した。
「私が絶対に……もうダルフを傷付けさせないから!」
助けを求めに来た筈の少女が今や、逆にダルフを守ろうと奮起している。それが何か、ダルフにはチグハグに思えた。
「ごめんね、私が来たせいで、こんな事になっちゃって」
少女は先程も、泥沼に沈んでいこうとするダルフに手を差し伸べて掬い上げた。
まだ幼いというのに、ラァムは自分よりも他人を思いやる事の出来るとても優しい子だ。
「やっぱりここから逃げよう……襲って来る人間は、私が全部殺すから!」
その決断も、殺意ですらもが、家族を思う少女の優しさによるものなのであろう……
ラァムは人間達に家族を皆殺しにされている。つい先日に起こった、少女にはまるで耐え難い筈の絶望を間近に眺めておきながら、彼女はそのトラウマに立ち向かっていた。それがたとえ復讐という形であれど、家族を思うその顔は、俯かずに前を向き続けていた。
ダルフはただ、今の自らが喪失してしまった強い心を持った存在を見つめていた。目も当てられぬ程の
――その暗黒に浸かるのでは無く、自らの持った光で闇を押し返そうとしていく、勇敢な在り方を……
「……」
彼女の能力の事や、都を占領し始めている魔物の事について尋ねたかったが、腹に穴を明けた体ではもう叶わなかった。
大通りを駆け抜けていくその前方に、ラァムは
その人影はどうやら、数多
「どけ、人間ッ!」
ラァムは目を細めると、そのまま一直線に大狼を突っ込ませていった。
「ん?」
近付いて来る大型の魔物の気配に振り向いたのは、リオンとピーターの二人であった。返り血に濡れた彼女達は、獣が口に咥えている存在に気付いて眼を見張る。
「ダルフ――ッ!?」
「な、なんでダルフくんがここに居るのよ! シェルターは!? それにあの魔物は!?」
大狼はすばしっこく民家の壁を駆けると、そのままリオンへと鋭利な爪を振り下ろした。
「何なのよコイツ――ぬァアッ!!」
ピーターの持つ、長い鎖の先に棘付き鉄球の付いた武器――フレイル型モーニングスターの横払いの一撃が、獣の横腹を打ち付けて爆発した。
「キャッ! なに!?」
ラァムと共に悲鳴を上げた獣は、腹から爆煙を立ち上らせたまま体制を立て直す。
「また強い人間だ……ッ!」
少女の赤目が灯ると、リオンとピーターの周囲に小型の魔物が溢れ出し始める。
「ええっ何よあの子! 魔物を従えてるの!?」
獣を振り払っていくピーターに対して、リオンは髪を風に流して静かにダルフを見上げた。
「逃げるからねダルフ!」
「……待て、ぅっ……」
開いた傷に呻いたダルフが、大狼と共に大きく飛び上がっていく。どうやらラァムは、そのままリオン達を飛び越していく算段のようだ。
「『
「――え?」
青い冷気に髪を踊らせたリオンの手元に、特大の氷の槍が形成されていった。
そして静かに憤る彼女の氷は、頭上に飛び上がった大狼の左足を貫いていた。
「うわぁあ!!」
「キャウン……ッ!」
獣と共に地に墜落したラァムとダルフ。残党狩りをピーターに任せたままに、リオンは悠々と少女の頭上に立って、手元に氷の鋭利を溜め始めた。
「ああぁ……起きて、魔物さん、起きてよ!」
「ロチアート……関係無いわ。私のダルフを奪い去ろうというのなら」
「ウワァアアア!!」
今やラァムに向けて、氷の
「リオン……!」
ハッキリと聞こえたダルフの声に、リオンは口を開けて氷を仕舞い込んでいた。
「その子を……殺す……なっ!」
「ダルフ! 喋れる様になったの?」
苦しそうに血を垂らして話す彼に、リオンが走り寄る。
頭を抱え込んだラァムは、ギュッと閉じた瞳を開けて緊張の息を吐き出した。
「知ってる人、なの……ダルフ?」
訳の分からないでいる少女の正面に立ち、腕を組んでいったピーターは眉を下げて困惑した。
「ん〜と……とりあえず、この状況、説明して貰えるかしら?」
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