第275話 Holy shit


「誰か突撃して来るよダルフ!」

「……っ」

「助けて魔物さん!」


 前方から苛烈に踏み出して来たフゥドの気迫に気付き、ラァムは掌を組んで祈る。するとやはり、列を成した魔物の群れが彼女の前に現れた。


「ありがとう魔物さんっ!」


 目前に現れた魔物の群れに対しても足を止めないフゥドは、冷酷なる目付きをしながら、懐から棒付き飴を取り出して煙草の様に咥えた。


「Holy shitだクソ野郎……」

「え……っ!」


 フゥドは巧みなフットワークで魔物をいなし、それでいて尚、猛烈に突撃して来る。


Crapクソ!」


 レザーの拳で打ち付けられた魔物は、その凄まじい衝撃に破裂する様に四散していった。


「何あの人! 止まんないよ、魔物さんがどんどん殺されてっちゃう!」

muckクソ!」


 フゥドは下劣な言葉を吐き捨てながら、流れる様に魔物をかわして拳を的確に打ち込んでいく。

 獣の死体を築き上げながら、凄まじい速度で迫り来る男は、遂に魔物の群れを抜けて二人の前に躍り出ていた。


「――うわぁっ!」


 怯えたラァムが足をもつれさせて尻餅を着いてしまった。そこに振り上がった容赦の無い拳は、へたり込んだ少女を狙い澄ました――


dungクソッ!!」

「きゃぁあー!!」


 聖十字を宿した拳が肉を打って爆ぜる――


「ゴフッ……!」

「ダルフ!?」


 車椅子から勢い良く飛び出していたダルフが、フゥドに腹を貫かれて血を吐いていた。


「チッ、動けたのかよ……っ!」

「……ゥ!!」


 ラァムは自らを庇って腹に風穴を上けたダルフを愕然と見やると、カチカチと歯の鳴る程に震え始めた。


「離せクソッ!」

「ウゥゥ……!」


 フゥドの拳がダルフの腹から離れない。それは顔を真っ赤にしたダルフが、腹筋を固めてその手を拘束していた為だった。


「――ゥウウッ!!」

「くっ……」

 

 ダルフが敵を殴り付ける構えとなる。フゥドは為す術も無く、甘んじてその拳を受ける覚悟を決めて歯を食い縛った。


「……ぅ……っ」

「あぁ…………?」


 目を見張ったダルフは虚空を見つめながら、振り上げた筈の拳をぷるぷると震わせるだけであった。


「Shitッ!」

「グはッ!」


 隙を見付けたフゥドは、無理矢理に腕を引き抜いてからダルフの顎をかち上げた。


「なんだぁー!! どうやら終夜鴉紋にこっ酷くやられたらしい!」

「……ぅ、ク」

「人を殴れないのか!? その程度の覚悟で戦場に来るなよ! ハァーッハハハハ!!」


 彼の見抜いた通り、ダルフには鴉紋の幻影が絡み付いていた。

 ――人を痛め付ける事、そして痛め付けられる事に、吐き気を催す程のストレスを感じている。


「ハッハハっ! 年の頃は俺と同じだから、大した根性の奴だと思っていたら……とんだ腰抜けだ!」


 フゥドの声に信者達も同調して腹を捩り始める。そして彼はダルフに向けてレザーの拳を振り上げた。

 

「――ぅああッ!!」


 反射的に目を瞑ってしまったダルフは、ビクリと肩を跳ね上げて子どもの様に頭を庇っていた。


「マジかぁお前? これじゃ俺が弱い者いじめをしているみたいじゃないか!」


 その体たらくを眺めたフゥドにまた笑いが込み上げる。


「ハーーッハハハハ!!」


 そして続けざまの拳骨一発で、ダルフは体を投げ出していた。その情け無い姿に、無数のスータンの肩が愉快に上下し始める。


「アッハハハッなんなんだコイツ!」

「ヘルヴィム神父、これが侵入者ですか!?」

「腹が痛えぇハッハハハ!」


 信者の笑いが渦巻く最中で、ダルフは唇を噛みながら土を握っていく。


「くそぅ……ッ!」


 ――その悔しさをバネに憤怒の顔で立ち上がるが……


「――あッ!」


 目前で拳を構えていたフゥドの姿が、鴉紋の姿と重なって驚愕とした。


「ぅう、アッ……!!」


 ダルフの奥歯がガチガチと鳴り、あの日のトラウマが呼び起こされていく。愕然とした目付きで放心した彼は、身動きも取れずに眉をひそめるだけであった。


Bull shitクソ野郎ッ!!」


 地を這う様に低空から迫った拳は、そのままダルフの顔面に打ち込まれた。


「――ゥあ……ぐッ!!?」


 地を転がったダルフが、今の一撃で折れてしまった鼻に悶える。おびただしい血液が、四つん這いになって覗き込む大地に、ボタボタと垂れて止まない。貫かれた腹から血溜まりが広がっていく。


「あぁ……うう、うう……ぅ」


 鼻を抑え込んだダルフは泣き始めた。自らの情けの無さと、怖くて仕方が無くなってしまった暴力への恐怖に、子どものように怯えるしか無くなっていた。


「アッハハハハハハハハ!!」

「ぎゃはははははっ!!」


 魔物を駆逐しながらに、信者達の下卑た笑みがダルフを包み込んでいく。

 襲い来る悔しさと恐怖に愕然としながらに、ダルフはただ静かに落涙していた。

 痛み。それよりも胸を刺す、悔しさと情け無さ。……海よりも深い暗黒が、彼の心をまたむしばんでいく。


 破顔する人間達。しかしその場には一人……


「…………!」


 獣の様な目付きでダルフを見据えているヘルヴィムが居た。

 フゥドはニヒリスティックな顔付きでダルフへと歩み寄ると、レザーグローブの聖十字を灯らせながら、鉄拳の照準を定めていく。


「じゃあな親戚さんよ。ちゃんと地獄に逝くんだぜ?」


 トドメの一撃がダルフの頭をかち割ると思われた時、閃光の様な少女の声がその場に走っていた。


「ダルフを笑わないで――ッ!!」


 フゥドは瞳を赤く光らせた少女の前に、強烈な気配が現れ始めたのに気付いて額をピクつかせた。

 そして押し黙った人間達へと報復する様に、ラァムは怒りを露わにした。


「笑うなァア――ッッ!!」

「――大型の魔物ッ!? ――ぐぁあっ!!」


 凍て付く様な眼光の大狼が、その俊足しゅんそくでフゥドへと迫って爪を繰り出した。


「Shit!」


 虚を突かれた彼であったが、流石の動体視力で後方へと飛び退いていた。

 一瞬唖然とした大通りに、ヘルヴィムの怒声が響き込む。


「なぁあにやってんだぁあ! 逃がすなぁあ!!」

「――ッ!」


 フゥドが前方を見やる頃には、大狼は背にラァムを乗せて、口元にダルフを咥えながら走り去っていってしまっていた。


「チッ……Holly fucking shit……!!」


 歯軋りを立ててフゥドは棒付き飴を噛み砕いた。

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