第270話 臭いだけの液体(聖水)
*
血塗れの男は、全身に突き立った長針を引き抜きながらエルヘイド邸を歩いていた。
「墓に片足突っ込んだ老いぼれがぁぁ……」
辛くも打ち破った老騎士。とっくに現役を引退した筈の宿敵によって思いの他にダメージを負ってしまったヘルヴィムは、フラついて肩を壁に預ける。
「血が足りねぇぇ血がぁ……」
自らの血を媒介に、神罰代行人の継承具――
歯軋りを立てる顔も何処か力無い。直ぐに血を補給するなり、全身から垂れ流された血液を止めるとしなければ、彼とはいえ蒼白になって地に伏せるだろう。
「回復しなければぁぁ」
ヘルヴィムが懐から小瓶を取り出していく。そこに突き立った針を引き抜くと、透明の液体が勢い良く流れ始めた。
瓶の蓋を開けた彼は、それを真っ逆さまにして被り始める。
「聖水ぃ」
代行人の崇拝する聖なる山より、やたらめったら摘み取って来た薬草を煮詰めて濾過した、彼特製の妙な液体が頭から降り注いでいく。
「痛みが和らぐぅぅ」
しかしその不気味な液体を『聖水』と称しているのは彼だけであり、
「血が満たされていくぅぅ」
眉唾ものの『聖水』を盲信しているのは彼だけであった。
「――かぁぁいふくスルゥウウウ!!」
残る臭いだけの液体を口に含んだヘルヴィムは、ゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み下すとにんまりと笑った。
「完全回復したぁぁ、来る時と寸分変わらねぇぇ」
ヘルヴィムの全身を貫いた傷は決して回復などしていなかったが、彼の感じていた痛みは確かに軽減していた。
自己暗示というのだろうか……こうなって来ると、もはや彼を人間と称するのも何か違和感を覚えてしまう。
やがてヘルヴィムは薄く発光するシェメシ鉱石のシェルターへと辿り着いた。やはり胸のロザリオはその内部を指し示している。このシェルターの内部に、標的である侵入者――ダルフ・ロードシャインが居る事は明確であったが、鉄壁の壁が彼を阻んでいる。
「なぁぁにが俺の力を基準にしただぁクソガキがぁ……俺の
この都の混乱の最中にて、他の隊長達に護衛を任せ切りにして宮殿に捨て置いて来た天使の子――メロニアスに向けてヘルヴィムは毒づく。
そして胸のロザリオを大槌へと変化させると、彼はまた聖水を取り出した。
「ジジィの血で穢れちまったぁ、神聖なる聖遺物の力が
彼にとっては万能薬でもある聖水を大槌に振り撒き、すっかりと浄化を終えた様子のヘルヴィムは、苛烈な目付きでシェルターを見据え始める。
そして聖書を片手に詠唱を始めた。
「主よ導きたまえ。我等は神罰代行人。ただ神の意志として断罪を。ただ神の意志として粛清を。脈々たる血は主の為に。厳粛たる手は主の為に」
詠唱に合わせてヘルヴィムの握る聖十字が発光をしていった。
聖書を閉じたヘルヴィムの苛烈な眼光が逆巻く。そして粛々とした詠唱は、ヒドく乱暴で粗野な文言へと言いかえられていった。
「神の作りし庭園に、土足で踏み込む愚か者ぉ……。ゲスがぁ、ゲスがぁ……このッゲス野郎があ!! 今、主の御名の元に! 断罪執行! 楽園追放! 慈悲も無く!! たぁぁだロンギヌスの槍の様に!! 神の胸を貫いた!! ぁぁあの聖槍の様にィィ!!」
眩い輝きの拡散する聖十字をヘルヴィムは大きく振り被って――
――一歩踏み出し! 力む!!
「――チィィィィイツジョノタメニィィィィイイイイイイッッッ!!!!」
凄まじい炸裂音と共に、最硬度を誇るシェメシ鉱石のシェルターが破壊されていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます