第269話 覚醒のシンクロニシティ


   *


 時を同じくして、ダルフは一人メロニアスの建造したシェメシ鉱石のシェルターに籠もっていた。

 籠もっているというより、置いて行かれたという表現のが正しいだろうか。しかしそれは彼自身が望んだ事でもあった。


「……」


 車椅子に座った形で項垂れた彼は、やや軽快して来たとはいえ明確な意識を取り戻している訳では無い。先程やや反応を示したのは、潜在する本能的な反射に過ぎ無かった。

 彼の心は未だ壊れたままだ。だが外界からの刺激は微かに認識しているらしく、リオンはそんな彼が示した僅かな意識を汲んで、魔物の大災害に見舞われる都へと出て行ったのであった。

 彼の起こしたという燈灯ともしびを見て……


 先程からシェルターの内部には激しい戦闘を物語る騒音が響いていた。

 どういう訳か自らをと呼び、この命の始末をつけようと奔走している神罰代行人の存在はダルフも認識している。


「……ぁ……っあぁ……!」


 愕然の瞳が虚空を眺めてパクパクと喘ぐ。

 ――しかし今の彼には、とてもそんな事に気を割ける余裕など無いのだ。


「は…………あ……ヒ……ッ」


 微かな意識を取り戻し始めたダルフの目前には、繰り返し繰り返し……


「ああぁ……ッうぁぁ…………っア!」


 全力で抗い、そのうえで完膚無きまでに叩きのめされ……見せ付けられた――力、悪意、憎悪、心火……

 あの底の見えぬエネルギーの塊、人の及べぬ“魔”の領域。

 心も、体も、頼った武器も、親も、仲間も、すべて!!


「ぅあ……ッぁあーあああぁアアッ!!」


 そのすべてを……あの黒く禍々しい拳でぐちゃぐちゃの泥になるまで殴り潰されるイメージ。

 目前で振り上げられた黒腕……あのおぞましい豪魔に殴殺されたその身の痛みが、心に受けたトラウマが、恐ろしいあの悪魔の形相が――!


「わァァァァァァァァ――ッッ!!!」


 ダルフの脳裏では延々と繰り返されていたのだ……


「……ぁ…………ぁ…………」


 陰った金色の瞳は上転し、疲弊しきった意識は失神しかける……いっそそうなってしまえば僅かに楽にもなれたのだろうか? いや、彼はそれを夢にも見る。何処にも逃げ場など無いのだ。

 干涸らびたその体の、何処から溢れて来るのかも分からぬ水分が、彼の目から、鼻から、口から垂れて止まらなかった。


「…………」


 また虚空に悪魔の幻影を見始めたダルフの背後で、何やら物音が立ち始めた。


「ぅん……ぐ、ぬぬぬぬぬ」


 背後にあるのは、薄く発光するシェメシ鉱石の白い壁だけであった筈だ。


「ぅう〜ぬぬぬぬぅ〜!!」


 だが確かに……人類最強の打撃力を持つという、神罰代行人の力を想定して建築されたその鉄壁から、少女の声が侵入して来るのを感じる。


「んんん……っうりャぁー!」


 ――スポンと壁を抜けた少女が一人、その勢いのままシェルターに転がり込んでテーブルにぶつかった。

 激しい物音と共にひっくり返る家具。


「ぅぅうう〜」


 涙目になった幼い少女が、頭をスリスリと撫でながらダルフの前に立ち上がっていた。

 年の頃は十代の前半であろうその少女は、薄汚いボロ布を着た出で立ちで、パッと表情を輝かせた。


「見つけた……やっと見つけたんだ!」


 薄い青色をしたミディアムヘアーの少女は、ダルフの膝元へと駆け寄ってでダルフを見上げた。


「私ラァム! 貴方はダルフ・ロードシャインでしょう?」


 有り余るエネルギーに任せて少女は話し掛けるが、ダルフは何処を見ているのかも判然としない視線で少女を一瞥しただけだった。

 

「私ね、農園のロチアートの生き残りなの! ずっとずっと貴方を捜してたのよ!」


 目前の男の尋常ならざる状況も差し置いて、ラァムはこちらものっぴきならない状況なのだと言わんばかりに捲し立てる。


「貴方はロチアートの味方なんでしょう? みんなが言ってたの! お兄ちゃんも妹も親友のリートも!」

「……」

「ロジーやエリスやキットンや……んん〜と、あとポートだって! マルフェス先生も内緒で話してたんだよ!」


 何処か楽しそうに友や家族の名を話していた少女は、やがて何かを思い起こした様に下を向いていった。


「もうみんな……死んじゃったけど」


 大きな瞳にジワリと涙を溜めたラァムは、反応も示してくれないダルフを、一縷いちるの希望と思って語り掛け続けた。


「みんな殺されたの……誰も悪い事して無いのに。ずっと人間様の言う通りにして来たのに。妹も、お兄ちゃんも、親友も先生も友達も……みんな、みんな急に……」

「……」

「反乱するかも知れないからって言われて……みんな剣で切られたり、焼かれたりされて……っ」

「……」

「痛い痛いってみんな言って……でも人間様の言いつけだからって、みんな順番に並んで……でも私、何でかな、私……」

「……」

「いつもね、ニコニコしてた妹が、私の目の前でうつ伏せにされて背中を刺された時、その時ね……」


 一泊置いたラァムは押し溜まり、そして涙に溢れた顔を再びダルフへと向けて言った。


「すごく痛そうな顔になって、苦しそうで、悔しそうな顔になって……私に手を向けたの」

「……」

「だから、だからね私……その時なにか違うって思ったの。ずっとずっと人間様に食べられる為に生きて来たのに、何か間違ってるって、私思ったんだ……!」

「……っ」

「妹もそうだったの、私と同じで人間様に食べて貰いたいって言ってた……でもね、でも……その時私に向けて伸ばした小っちゃな手が、痛くて苦しくて悲しそうな妹の顔が……私に逃げてって言ってるみたいだった」

「……」

「だから逃げたの……でも何処に行ったらいいかも分からなくって、ずっと隠れてた」

「きみ……は……」

「そしたら、貴方が来た」


 ダルフを見上げた赤い虹彩は、燃える様に赤く灯っていた。


 人間に喰われる事だけを喜びとし、その為だけに生きる農園のロチアート。目前の少女も、そんな彼等と違わぬ家畜のであったに違い無い。


「お願いダルフ、人間を……」


 しかし彼女は芽生えさせたのだ。目前で殺されていく家族を間近に眺め、

 ――としての“自我”を。



「人間を殺して……っ!」



 ロチアート達の覚醒の可能性。

 そう述べたメロニアスの推察は的中してしまったのかも知れない。


 小さな体に宿る紅蓮のゆらめきを、ダルフはその瞳に見る。

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