第三十三章 死灰、未だ猛火に焼かれ精錬と

第260話 正義の亡霊

   第三十三章 死灰、未だ猛火に焼かれ精錬と


 神罰代行人ヘルヴィム・ロードシャインの手から逃れる為、エルヘイド家のシェルターに身を隠す事になったリオン達。

 先日のメロニアスとの食事の席で感情らしいものを露わにしたダルフであったが、それ以降この三日間で彼に反応らしいものは無い。


「……」


 食事も取らず呼び掛けに反応も見せない。虚ろな視線は誰とも向き合わずに虚空を覗いていたが、時折か細い声で呻いて涙を流していた。その事からもダルフに意識が戻っている事は明白であったが、メロニアスが最後に残した言葉通り、そこに立ち上がる心が無ければ同じ事であった。

 エルヘイド家の執事長、ルルードの手によって定期的に運ばれてくる食事。それをリオンは無理にダルフの口元へねじ込んだが、生きる事すらも拒否しているかの様な彼には、どうしても充分なエネルギーを与える事が出来なかった。

 痩せ衰えた四肢を力無く伸ばして、ダルフは今も車椅子の上で項垂れ続けていた。

 あれ程に煌めいていた心火は影も無く消え失せて、今彼は何を考えているのだろう。過ぎ去っていく時間に無為に身を寄せるだけの彼の心には、恐怖と落胆、そして絶望と哀しみだけが渦巻き続けている事がリオンには理解出来た。


「こんな所になんて、やっぱり来なければ良かったわねダルフ」

「……」


 トラウマの中へと意識を引きずり込まれている彼に、もう常世の声は届かない。


「この三日間、メロニアスからは音沙汰も無いし、ヘルヴィムが襲撃して来る気配も無いわ。もういっそ私達だけで都を脱してしまおうか?」

「……」

「そして森に帰るの。貴方と出逢ったあの森へ二人で……。貴方は良くやったわ、多くの人も救った。だから後は静かに暮らそう、この現実から離れて、もう何も見なくて良いから」

「……」


 彼等をここに導いてしまったピーターは、部屋の隅に腰掛けながら気まずそうに口を尖らせた。


「でも外に出たらヘルヴィムが待ち受けてるかも知れないわ。まだメロニアスくんを待つべきよ」

「ダルフにとってここは良い環境じゃない。期間も分からないまま何時までも釘付けにされている方が彼には毒よ」

「でもでも……もしヘルヴィムやあの黒の狂信者達に見つかったら」

「大丈夫よ。全部殺すから」

「え……」


 声音に静かな迫力を纏わせて、リオンははっきりと語る。


「ヘルヴィムも騎士も民草も。邪魔立てする者はみんな私が殺す。もう容赦はしない……醜く汚い者は全て私が無に変える。ダルフとこの混沌の汚泥から抜け出す為に」

「あんた……」


 氷の魔女から凍て付く殺意が漏れ始めたその時――


「――え?」

「――な、なによこの気配?!」


 リオンとピーターの二人は、都を占拠し始めた禍々しい妖気の出現に気付いた。

 ――否、気付かざるを得なかった。それは二人が魔術に精通した者だからでは無く、おそらくは都に居る民の全てが、この重苦しく伸し掛かられる雰囲気に気付いたに違い無い。


「都で何かが起きてるわよ小娘!」

「結界が……」


 何故ならばその重圧は、都の結界が完全に破壊されるのと同時に、無数となって地上を制圧してしまったからだ。


「結界が破られてるの!?」

「そうみたいね。ものの見事に破壊されているわ……」

「メロニアスくんは何をしてるの? じゃあケテルには魔物が入り放……ま、まさか!」


 唐突に地上を制圧して殺戮を始めた無数の妖気。各所から湧き上がり続けるこの陰惨な気配は、魔物のものに他ならないとピーターは推察した。

 群衆から離れたエルヘイド家に居ながら、絶え間ない民の悲鳴がピーターには聞こえ始める。


「大変よ! 魔物の大群が都を襲ってるわ!」

「そうみたいね、終夜鴉紋の差し金かしら? どちらにせよ、ここを脱する好機だわ」

「何言ってんのよあんた! この数……助けに行かないとケテルが陥落するわよ!」

「別に、結構じゃない」


 冷たく言い放ったリオンは、無表情のまま椅子へと座って足を組んでいく。


「人も都もどうなったって知った事では無いわ。それとも何? 彼等は誰か一人でも私達に手を差し伸べてくれた事があったかしら?」

「ちょっと、何言ってんのよこんな時に……!」


 怪訝な顔付きになっていくピーターに対し、ふてぶてしい態度でリオンは続けていく。


「ダルフを見捨てた人間達を私が救うとでも? 勝手よ、人間は何時だってそう」

「ケテルが陥落したら、いよいよ世界はナイトメアの手に落ちるのよ!」

「どうだっていいわ、私達はもう森に帰るの」

「ここまで来て、それで知らぬ存ぜぬで通すつもり!?」

「それに、ついこの間だってこいつらはロチアートを皆殺しにしたんでしょう? 自分達のした行いが今度は自らに降り掛かって来ているだけじゃない。自業自得だわ」


 リオンは立ち上がってダルフの元へと歩み寄りながら、今度は打って変わって愉快そうに口を開き始めた。


「魔物はロチアートを襲わない。都観光でもしながら悠々と出ていきましょう」

「本気で言ってるの? あんたはダルフくんがあんなに守ろうとした民が虐殺されていても、本当に何も思わないって言うの?」

「ええ、むしろ気味がいいわ。汚い人間がプチプチと潰れていくのは」

「……っ!」


 その言葉に腹を決めたピーターは、鋭い目つきでリオンを睨んだ。


「いいわ、でも私は行く」

「……」

「ダルフくんの救おうとした人々を一人でも守ってみせる」


 顎を上げたリオンは口元を歪ませる。


「ダルフはロチアートも救おうとしてたわ……不思議ね。貴方はロチアートが虐殺されたと聞いても、そんな気毛頭起こさなかったくせに」

「……っ」


 袂を分けた二人。そしてリオンは車椅子を押して行く為にダルフの背後に回り込もうとした。


「――ん?」

「ダルフ……くん?」


 ダルフの手がリオンの手首を掴んでいた。


「ダルフ……」


 痩せ衰えながらも未だ力強いその掌は、リオンの細い手首を必至に捉えたまま離さない。


「……」


 そうしてリオンは、項垂れたまま口も開けない彼の、微かに現れた心を読み取った。


「……っ」

「……」

「本当に……何処までもお人好しね」


 僅かに顔を上げたダルフの瞳が彼女を見上げる。陰り燻った眼光に、確かな一つの意志が蘇ってリオンに懇願する様に向けられていた。


「ダルフくん、なんて?」


 慎重に問い掛けて来たピーターに、リオンは振り返りながら長い髪を払う。


「このまま帰ったら私、一生恨まれるみたい」

「ふふ……当たり前よ」


 僅かに笑ったピーターは、歩んで来た彼女に右手を差し伸べる。


「これで仲良しこよし!」


 ピーターの差し伸べた手。歩み寄ったリオンはそれを勢い良くはたき落とした。


「そういうの嫌いなの。知ってるでしょう?」

「知ってるわ……むふふ、仕返ししてみたのよ」

「鬱陶しいわね」

「ぃよぉーし! それじゃ小娘、さっさと魔物を狩り殺してここに戻って来ましょう!」

「良いけど、ダルフを一人残して大丈夫かしら?」

「私達と居るよりはここに残った方が安全よ」

「……全く面倒だわ。次にここに入る時はまたメロニアスを呼ばないと扉が開けられないし」

「何言ってんの、メロニアスくんにまた会えるから良いじゃない」

「私あいつ苦手なの。何か調子狂うわ」

「そう? 私はだ〜いすき。……私の獲物に手出したら殺すからな」

「急に野太い声出さないで」


 そうして二人はダルフの願いを叶える為にシェルターの扉を開け放った。

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