第三十一章 AETERNAM

第221話 魔石のハミング

   第三十一章 AETERNAM


 夕刻の過ぎた濃紺の空の下で、フロンスはマッシュを胸に抱いたままホールの屋根を転がり落ちていた。


「うわうわうわうわうわ!」


 雨に濡れた屋根にうっかり足を滑らせたままに空に投げ出される。されど少年はしっかりとその腕に収めたまま、フロンスは中空で足をバタつかせた。


「良いっ……所に!」


 眼下から飛び上がって来た魔人を引っ掴み、揉みくちゃになって墜落していく。


「守らなければならない者がッ私にはあるのです!」

 

 ――高く上がる土煙。

 翼を広げた魔人は地に叩き付けられ、フロンスは防御魔法によってその衝撃を最小限に抑えていた。


「うぐぅッ」


 魔石に戻った魔人を横目に、フロンスは投げ出されたままに少年の様子を窺う様にした。


「曲のフィナーレまで保ちそうに無いじゃないですかギルリートさん……!」


 マッシュの額に深く埋め込まれた金の魔石が、夜闇を照らして激しく明滅を繰り返していた。

 未だ都中に鳴るオーケストラに反応し、もう暴発しそうな程なエネルギーを灯している様子だった。


「無理矢理引き抜いてもマッシュの命は無さそうです。それに……」


 フロンスは少年の耳を塞いだが、魔石の発光に変化は無い。


「やはりそういう問題では無いのか……マッシュでは無く、この魔石が曲を聴いているかの様だ」


 フロンスは少年を大事そうに抱え直し、空を照らす無数の光に眉を潜める。


「とかくここを離れなければ、都から出られればあるいは……。しかし間に合うか……」


 そうこうしている間にも、数え切れない程の光の群れが飛来して来るのが見える。


「この少年には今、私しか居ないのだ」


 そしてフロンスは死屍累々の都を駆け始めた。


「いや、間に合わせるッ!」


『死人使い』の能力で民の亡骸を引き連れながら、フロンスは言葉通りの肉の障壁を形成する。

 しかしその防壁をどれだけ補充しても、空から無数にやって来る双頭の歯牙についばまれて数を減らしていく。


「「アカカカカカカッ!!」」

「クソッあなた方の餌では無いんですよ!」 


 更に上空の魔人達が腕を筒状に変化させ、そこから光弾を放ち始めた。地上を蛇行しながら何とか避けるが、ジリ貧である事は明白である。


「仕方無い、いつかのセイルさんの様な事はしたくはありませんでしたが……」


 フロンスは一人を残して死人の拘束を解く。


「『狂魂きょうこん』!」


 そして肉を盛り上がらせ始めた一人の死人の背に飛び乗った。


「頼みますよ……サハト!」


 グロテスクな容姿に生まれ変わった死人は、雄叫びを上げて街を疾走する。その速度は全てを置き去りにする程で、魔人は直ぐに小さくなっていった。


「あばばばばッ速……過ぎ、サハ…………ト、止まっ……」

「ホアァアぁあっがぉ!!」


 包囲を抜けて急停止したサハトの後頭部に、フロンスは鼻をぶつけて悶絶する。


「あたたた……ふぅ、何とか振り切れましたが、その場しのぎにしかなりませんね」

 

 空を見上げると、何処を見渡しても光の化身が占拠している。ギルリート・ヴァルフレアの使役する破壊の天使は、本当に途方も無い数の様だ。


「シクスさん達が引き付けていてもこれですか……」


 まだまだ都を抜けるには遠い。未だマッシュの額の魔石は金色に明滅している。


「これでは居場所を知らせている様なものだ」


 激しい点滅に気付いた魔人達が、空を覆い尽くしてフロンスを包囲し始めていた。


「どうしたものか……」


 サハトの足が先の疾走で半壊している。不幸な事に周囲に死体は転がっていない。


「やるしか無いんですけどね」


 フロンスが深い息を吐いて肩を落とすと、空で蠢いていた光の群れが一斉に落ちて来た。

 サハトはヨレヨレと歩み、手近にあった石の柱をその腕に抱え込んだ。


「「うギィイイイアッハ!!!」」

「ボァアァアアッ!!」


 醜い声が反発すると、サハトはその長い柱を振り回して上空の魔人を叩き落とし始める。


 ――その間にフロンスは駆け出していた。サハトが敵を引き付けられる僅かな時間を利用して、数メートル先に見つけた、民の死体の転がった噴水のある広場に向かって。


「――あ!」

「「ホギャガバババッ! あガガガ!!」」


 フロンスよりも一足先に広場に降り立った魔人達が、民の死骸を棘のような牙でバキバキと喰らい始めたのに面食らう。


「ッ貴方達も人間を喰うので!?」

「「ギャァァァグググ!!!」」


 音を立てて骨毎肉を喰らう異形の光は、そのまん丸い目を一斉にフロンスへと向けながら咀嚼を続けた。血飛沫の飛び交うその光景は目も当てられぬ程にむごたらしく、清らかだった噴水の水も、光の翼もが血に染まりゆく。


「バァアッ……ぐ、ヅァァァ!!」

「サハト!」


 サハトは無数の魔人に掴まれ、そのまま空に連れ去られながら四肢を引き千切られていた。


「「フキァッキャキャキャキャ!!」」

「ただの無機物に、ヒドイ感性が芽生えたものですね……!」


 四枚の翼、二つの首、四本の腕と足、重なり合った醜い男女の金切り声。

 正体不明のそれ等が、フロンスに向けて群れとなって迫る。


「万事休す……ですね」


 案外と表情を変えないフロンスは、何か決断を迷う様にして顎に手をやると……結局首を降って、胸に抱いた少年を見下ろした。


「彼を守る為ならば、もう未練など……」


 悲しき楽想の響き渡る広場にて、フロンスは冷めた瞳を上げた。そこに四方八方から迫る光の異形達。


「いや…………あるか」


 ずっとずっと心に思い続ける、ある少年の姿をフロンスは思い浮かべる。


 ――自らで手に掛けた……最愛の少年サハトとの最期を……


「なればこそ……」


 鋭い視線に赤い虹彩が光る。そして彼は何かを決意して奥歯を噛み締めた。


 ――しかしその時、胸に抱いた少年の額から眩い金色の光が拡散を始めた。


「な……ッこれは?」


 空を割る光の柱がマッシュの額から発せられている。その目も当てられぬまばゆさに顔をしかめていると、魔人の群れがピタリと動きを停止した事に気付く。


「「ィィく……」」

「ん?」


 魔人はその体をカタカタと震わせると、恐れおののく様にして気弱な声をひり出していた。


「恐れているのですか……? 覚醒を始めた、この魔石を」


 するとマッシュが、フロンスの胸で微かに口元を動かし始める。


「『ラ』ラ」

「「ファア……ッ!!」」


 その声に怯えてみるみると散会していく光の群れに、フロンスはただキョトンとして目を瞬く事しか出来なかった。

 そして不気味な感覚が、フロンスの眼下で産声を上げ始める。


「『ララ』たララ『ララ』ララたラ」

「――!?」


 額の魔石を輝かせ、突如赤い目を剥いたマッシュ。

 地鳴りの様に低い男の声と、天使の様な少年の声が代わる代わるに楽想を口ずさみだした。


 目覚めてしまったを悟り、フロンスはそっと彼を地に置いて距離を取った。


「ララ『たララ』ラルラルら『ラララララ』ララララララ『ララララララララララララ!!!!』ラララララララララララ『ララララ』ラララ!!!!」


 狂い始めたその声から覗く、感じた事も無い程の神々しさと怖ろしさ。相反している様でしていない、ミステリアスな狂気がフロンスの前で立ち上がり始めた。


「『アララララ!!!』ララ『ララララ!!』ラ、『たラララララララララ!!!!』ラ『ラララララ!!!』アラら『ララララララララララララララララララララ!!!』」


 次第にネジの外れていくイカれたハミングを口ずさみ、マッシュは無表情のままフロンスの前に佇んだ。

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