第213話 Lacrimosa【涙の日】
【8.Lacrimosa】
(涙の日)
哀しみを孕む慎重な管弦楽曲の音色が始まった。
火の手の広がる壇上で、奏者は焼かれ始めている。
「――――っ」
また一人、豪火に焼かれて命を消した。だが誰一人としてもが声を上げず、死にゆく者は声を殺して絶命していく。
その聖歌をうめき声で
歯を食い縛り、赤面したまま横たわる。
再開した楽想にマッシュの魔石が光る。
セイルは気味が悪そうな顔をして、再びに手元に黒き炎を蓄え始めた。
「弱い人間がどれだけ結託した所で一緒なのに!」
だが彼女の前に、魔楽器の共鳴で息を吹き返した魔人達が立ち塞がって翼を広げる。
鴉紋は鼻を鳴らし、ガクつく体を突き動かしてギルリートの元へと歩み出した。
限界を越えたダメージを残し、だが確かに肩を怒らせながら、黒の瞳に一抹の光を見せる。
「始末をつけるぞギルリート……!」
そして握り込んだ拳に闇が滾っていく。
しかしギルリートは、地に落ちた無様な姿で笑い始めた。
「くっくっく……っははは……」
「……何を笑っている」
そこに暗黒が爆ぜて、ギルリート
「力がみなぎってくる……素晴らしい、感嘆するぞ……やはりお前達の演奏は、天にも届き得る」
獣の姿のままでギルリートはその身を起こしていった。そして赤き目を灯らせて、闇の体から暗黒を発散し始める。
――そして嘆く様に、そして祈る様にフォルナの歌声が響き始める。
“Lacrimosa dies illa,”
(涙の日、その日は)
「愚民が……いいや、民ですらない愚畜めが」
ギルリートの開いた自身の暗黒。それは鴉紋のものとは受ける心象を変え、禍々しいというよりは、ただそこに何処までも続く虚空があるかの様な感覚を覚える。
より冷たく、夜の様に静かに。
それが余計に、彼が身の内に内包する冷酷さを現している様に感じる。
「暗黒魔法『
ギルリートの冷たい翼が天井を覆う程に巨大に広がり、柳の様に垂れ始めた。
「何をする気だ……ッ」
途端に寒気を覚えた鴉紋はギルリートへと踏み込んだ。
“qua resurget ex favilla judicandus homo reus:”
(罪ある者が断罪される為に、灰の中から甦る日。)
「悪いなぁ鴉紋。もうフィナーレまで待てそうに無いんだ」
「な――――ぁっ!」
異様に静かなる歩法。
獣の脚で音も無く鴉紋の懐に飛び込んでいたギルリートが、その牙で鴉紋の胸に喰らい付き、鋼の皮膚毎食い破った。
「ぁあっが!」
口に赤を滴らせた黒き豹は、巨大な二枚の翼で空を闇に覆う。
「お前達の赤面する顔が、今すぐに見たくなった」
ギルリートは口元に暗黒を蓄えながら、頭上の十字架に縛り付けたマッシュへと差し向けていく。
「やめ……ろ! ギルリート!!」
獣はそれを
「
冷たい声音と共に、呆気も無く暗黒の波動が打ち出されていた。
それは一筋の漆黒となって、マッシュの心臓を目掛ける――――
「サハトよ……」
「――――んっ!?」
天井より飛来した何かが、その漆黒よりも早くマッシュを抱き止めて、十字架を叩き割った。
そして地に降り立った存在をギルリートは不気味そうに眺める。
「死者……? では無いのか?」
血に濡れた男は、溢れんばかりの筋肉に衣服を膨張させて、着地した衝撃に足の骨を飛び出させていた。
だがそいつは声の一つも上げず、白くなった目を頭上へと彷徨わせている。
マッシュを抱いたままに、奇妙な死人はまた飛び上がった。砕けた足すらものともせずに、周囲にその血を飛散させながら。
「――――させるか!!」
ギルリートは恐ろしい程の瞬発力で男に飛び掛かると、その腹にかぶり付き、真っ二つに千切った。
“Lacrimosa dies illa,”
(涙の日、その日は)
臓物を撒き散らした男だったが、残された上半身でマッシュを抱いて旋回したまま、肉を膨れ上がらせて醜い声を上げる。
「――ふギィィイイイイギぁッッ」
そして盛り上がった腕と胸で、胸に抱いた小さな少年を天井の風穴へと投げる。
「なんだと!? まだ動けるのか!」
ギルリートは動揺を声に隠さずに驚嘆しながら、墜落した死人でなく、天井に立ち尽くしている男を見上げていった。
「その声……ギルリートさんでよろしいですか?」
「――っ、貴様……なんで」
少年をその胸に抱き、風巻に髪を揺らす男が豹変した彼を見下ろしている。
「お前は処分した筈だぞ……フロンス!」
ギルリートは口角を上げて、何故だが声音に少し明るみを帯びている様だった。
「何故、何故だ……なんで生きているっ? アハ!」
既に殺害した筈のロチアートを見上げ、彼は奇妙な事に少し喜んでいた。
目を白黒とさせる鴉紋を差し置いて、ギルリートは彼に釘付けとなっている。
「
そしてフロンスは、嫌味のつもりでこう続けていく。
「丁度今の貴方の様に……這いずり回り、死人の肉をも喰らってね」
「…………っ!」
するとギルリートはその口元を大きく開き、瞳を糸の様に細く、そして
「あハァ〜〜っっ……アハ、アハハはァ」
彼の目元に浮かぶ涙は、果たしてどういう意味であるのか……それは彼自身でも知覚していない故に、誰にも分からない。
“«qua resurget ex favilla judicandus homo reus:»”
(罪ある者が断罪される為に、灰の中から甦る日。)
より厳かで鮮烈になっていく男女のコーラスが、冷たい夜に激しい楽想を残す。
「こん……な時にまで愉快な冗談を言う奴があるか! クフッははは!」
「え、冗談?」
「あっハハハは!」
「おい待て、待てよフロンス! ふっははは!」
そして獣は吠える。嗤っているのか嘆いているのか怒っているのか、彼ですらも分からない情緒を帯びて。
「逃げたらまたお前を殺してやらなくちゃいけなくなるだろうっ!」
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