第212話 獣の主君


 半壊したホールの方々で火の手が上がり始める。奏者達は身を焼き始めた炎と、主君の変わり果てた姿に怯えて演奏を辞めている。


「演奏を止めるな!」


 獣の様に変わり果てたギルリート・ヴァルフレアが、セイルの炎をかわして壁を駆け回る。


「言った筈だ! この俺に何があろうとも、そしてお前達の身に何があろうとも、この聖なる楽想を辞めるなと!」


 魔人達の動きは鈍くなり、マッシュの額で輝いていた金色の魔石が色を弱くしていく。

 ――そこに闇をはらんで瞳を歪ませる者の声。


「この演奏を辞めさせれば、マッシュは助かるかな?」


 セイルが反転して舞台上の奏者達へと魔法陣の浮かぶ掌を向け始めた。それに気付いたギルリートは、脱兎の如く闇を跳ね回ってセイルへと向かっていく。


「全員、焼き殺すから……」


 薄ら笑いと共に、セイルの手元に黒き豪火球が形成されていく。


「おのれロチアートが!」


 脇目も振らずにセイルへと飛び上がったギルリートを――


「――――ぐハ……ッ!」


 ――鴉紋の鉄拳が叩き落とす。

 地にめり込んだ獣は血を吐いて、始めてダメージらしいものを見せた。


「演奏を……っ」


 豹の姿のままに、ギルリートは舞台へと赤き視線を送った。


「アッハは!!」


 そこに愉悦に浸る少女と、黒き炎の大玉が映る。


「『黒炎こくえん』――!」


 そのまま顔を起こしたギルリートであったが、既に放たれていた火球は、三百の奏者へと迫っていた。


「――――!」

「アハハハハハハっ!!」


 魔人達がその身を盾に炎に向かうが、直ぐに焼かれて勢いすらも殺せないでいる。

 ただ熱波に曝されるだけの奏者の前に、一人の女が歩み出た。


「演奏を止めるな!!」


 ギルリートの言葉を継いだ赤きドレスの女、フォルナ・ヒートニーが毅然とした顔付きで矢面に立っていた。

 何者をも骨まで焼き尽くす黒き炎を前に、フォルナは髪を払って、魔石の埋め込まれた喉を晒した。

 ――そして彼女の美声が見えない波動となって炎を阻み始めた。


「ん〜〜ッ美しいよフォルナ! 実にエレガントだっ!」


 そこに激しいヴァイオリンの音色を添えるカルクス・ヴェルダント。


「良い格好しちゃってさ、君がやらなくても僕がやってたたんだ。分かってる? ねぇ!」


 そしてエルバンス・ロバンスのピアノの旋律が差し込む。

 渾然一体となった三名の隊長の織り成す波動が、セイルの炎の軌道を変えていた。


「お前、達…………」


 ギルリートが思わずそう漏らしていると、黒き炎は舞台を逸れて壁を突き抜けていた。

 左腕から流れ出る血液を抑え、セイルは眉を潜める。

 フォルナは堂々とした佇まいのまま、振り返って奏者達を睨む。

 ――そして語り出した。


「ギルリート様が赤い瞳だったからなんだ。魔物の様になったからなんだ?」

「……ッ」

「我等が主君は唯一人!」

「……!」

「聖歌を捧げし神の御子が怯えてどうする、その演奏を辞めて誰が主に届ける! さぁ民が怯えているぞ、いかなる魔共を払い除け、闇を切り払って光を射すのだ! ゲブラー交響楽団よ!」


 熱き演説の後、ヴェービーはタクトを振り始めた。

 そして奏者達は頷き、確かな意志を宿して魔楽器を構え始める。


 使命を帯びた彼等に向けて、獣の主君は言葉を贈る。


「さぁ人類の練り上げた文明の極地よ。悪魔共へとその威光を示せ」

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