第211話 赤い豹
空から降り落ちて来た黒き炎の閃光が、ギルリートの顔面を掠める。
「ぬぁ――ッ!」
そして動揺した声を上げてよろめくと、カタンと目元のマスクを落とした。
「おのれ、貴様……ッ!!」
目元を手で覆い隠しながら、ギルリートは闇を振り乱して激怒する。
鴉紋はその闇にかき混ぜられながら、吹き抜けになった天井からホールを焼き始めた存在を見上げていった。
「セイル!」
そこに赤い髪の少女を認め、鴉紋は愕然とするのと同時に、何か妙な安堵感を覚えてもいた。
「なんで……来たッ!」
……しかし彼女はやはり来るべきでは無かった。何故ならば、今頭上には魔石を埋め込まれたマッシュが捕らえられているうえに、ギルリート自身の力も、手が付けられない程に膨張している。
「鴉紋!」
セイル一人が助太刀に来た所で、この敵を討てるだろうか?
――否、マッシュの命の終わりを早めるだけでは無いだろうか?
「貴様、また約束を
未だ背後の来訪者へと振り返らないギルリートは、顔を覆ったままマスクを拾い上げようと手を伸ばす。
――だがそれは、黒き炎で焼けて灰となった。
「……ッ」
酷く興奮した様子で、ギルリートは背の闇をかき荒らす。
それは消える筈の無いセイルの炎をも消し飛ばすが、未だ対象を捉えきれずに、魔人を巻き込んで闇雲に暴れまわるだけ。
「なんだ……?」
鴉紋はその逆巻きに堪えながらに、ギルリートの妙な様子に気付き始める。
「何故振り返らない?」
ギルリートは鴉紋に相対したままに、指の隙間から前を見据えている。その背後では、雨の様に降り注いだ炎が舞台上を焼き始めているというのに。
舞台の上で奏者達が悲鳴を上げ始める。だが彼等は誰一人としてその場を逃げ出そうともせず、血眼になって魔楽器を握り締めていた。
「なればこのガキと、そこの女をとっとと始末してやる」
ギルリートの翼が、セイルの声のした天井へと向けて噴き上がる。
入り乱れる激しい闇の暴圧を、セイルは転移魔法で転々と避けながら降りて来た。
そして着地すると、その手に炎の大弓を、そして黒き矢じりを精製してギルリートの背に向ける。
「『
確かに向けられた殺意に、ギルリートは動揺するのを辞めてピタリと足を止める。
そして事の他静かに、落ち着き払った様子でその手元をストンと下ろしていった。
「覚悟は出来ているのだろうなぁ、王に群がる下等生物共……」
「赤い目……ッ」
セイルの放つ黒き炎の射線上で、ギルリートは振り返った。
「――えっ」
自らの炎が闇を打ち払いながらも空を切った事に、セイルは驚嘆の声を上げていた。
そして明らかに形状の変わってしまったその男を眼下に見下ろしていく。
「愚劣なるロチアートの力など……死んでも使ってやるものか」
ギルリートの背に咲いた闇は消え、凝縮した暗黒は四足歩行の獣となり、赤い目を灯らせていた。
――まるで魔物の様に。
「魔……物?」
そう漏らしたセイルに向けて、獣は牙を剥き始める。しなやかな体躯は巨大に膨張していき、長き尾は垂れて
形容するならば、それはまるで
「ダマレ!! 俺は魔物ではない! ましてやロチアートなどでも!!」
闇と共に駆ける猛獣が、その爪でセイルに飛び掛かる――
想像を絶するその速度に、セイルは転移が間に合わず、左腕を裂かれて後退した。
「痛っつ!!」
「セイル!」
闇を全身に滾らせながら、豹は不服そうにして語る。
「この忌まわしき赤目はミハイルに力を授けられた時に変異したものだ……! お前ら下等なる生命と……この俺を一緒にするな!!」
沸々と沸騰する様な怒りを内包する声に、ホールが震える。
奏者達もまたフォルナを除いて、彼の
「だんだんと見えてきたぞ、ギルリート」
炎の広がっていくホールで、鴉紋は立ち上がって拳を握る。
「お前が何故、絶対凌駕の能力を持ちながらも、俺が
鴉紋を認めると、ギルリートは再びに人の身となって背に闇を暴発させ始める。
「その能力の対象は一人……そしてその力を行使し続ける為には――」
「……」
「その赤き目で、対象を視認していなければならない」
ゆらゆらと燃え始めた赤きホールで、ギルリートは冷めた目をして鴉紋を睨む。
「今更分かったからなんだ……」
そして怒涛の如く、暗黒の翼を鴉紋へと差し向けていく。
――しかし
「私の鴉紋をいつまで見つめているつもりなの?」
背後から来た黒き炎に、ギルリートは再びに振り返り、豹の姿へと戻るしか無かった。
華麗に宙を舞い、闇を走りながら、ギルリートは咆哮する。
「おのれこの家畜共――――ッ!!」
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