第204話 Kyrie【憐れみの賛歌】
「「キァァアアッッガ!!」」
茜の空から光の異形が降り注ぐ。それぞれに二つ備えた頭部から、鋭い牙が鴉紋にムシャぶり付いた。
「ぁあ゛っっ!!」
その歯牙は、鴉紋の黒き鋼の皮膚をも貫いて血を散らす。
続々と落ちてくる異形を見上げていると、そこに巨大な十字架があった。
【2.Kyrie】
(憐れみの賛歌)
«Kyrie eleison.»
(主よ憐れみたまえ。)
突如として始まる重厚な低音。そして続く高き美声。
“Christe eleison.”
(キリストよ憐れみたまえ。)
二重のコーラスは絶えずに掛け合い、互いを彩りながらに荘厳なフーガを織り成していく。
“Kyrie eleison.”
(主よ憐れみたまえ。)
«Christe eleison.»
(キリストよ憐れみたまえ。)
鴉紋は体中に噛み付かれたまま、十字架の先に項垂れた少年を見つめた。
『人にはそれぞれ役割があるんですッ! 私にも、そして貴方にも!!』
自らに思いを繋ぎ、散っていった仲間の声が頭に響く。
『マッシュを……息子をよろしくお願いします……』
ギルリートは神々しい賛歌をその身で感じながら、鴉紋をせせら笑う。
「もう終わりか? この世の最悪よ」
「…………ッ」
何を思うか鴉紋は静かに歯を喰い縛り、次に憤激した面相をして、胸に食らいつく頭を掴み、潰し、引き抜いた。
「「ォォアアアアッッ!!」」
まとわりついた異形を豪快に貫き、その黒き腕でひき潰す。男女の悲鳴がホールに響き、消えていく。
「……ふぅむ。ようやくやる気になったか?」
身の回りに群がっていた異形を蹂躙しながら、鴉紋は何とか立ち上がっていく。
「そんな姿でよくやるものだ」
血に濡れた亡霊を、ギルリートはマスク越しに見下ろした。
“Kyrie eleison.”
(主よ憐れみたまえ。)
«Christe eleison.»
(キリストよ憐れみたまえ。)
天上から続々と異形達が降り注いで来る。だがその数が予想よりも遥かに少ない事に、ギルリートは子首を傾げていた。
「魔物風情に遅れを取るとは思えんが……」
«Kyrie eleison.»
(主よ憐れみたまえ。)
“Christe eleison.”
(キリストよ憐れみたまえ。)
優雅な管弦楽器の旋律に支えられ、ひたすらに繰り返される賛歌の合間で、鴉紋は目前に立ち並んだ光の群れを見据えて声を吐く。
「俺の役割が何なのか……それが俺に叶うだけのものなのかも分からねぇ」
「ん……?」
“Kyrie eleison.”
(主よ憐れみたまえ。)
«Christe eleison.»
(キリストよ憐れみたまえ。)
光の化身が鴉紋に飛び掛かっていく。
震える体で拳を溜めて、激しい瞳を向けた鴉紋の右腕に闇が発生した。
«Kyrie eleison.»
(主よ憐れみたまえ。)
“Christe eleison.”
(キリストよ憐れみたまえ。)
目を見張ったギルリートの前で、光の化身達が闇に爆ぜていった。
「ほう、それがお前の……」
«Kyrie eleison.»
(主よ憐れみたまえ。)
“Christe eleison.”
(キリストよ憐れみたまえ。)
勝ち気な目をした鴉紋が頭上で揺れるマッシュに視線をやる。そして闇のまとわりついた腕で魔人を殴り、四肢を粉砕していく。
「俺が守ると言ったんだ……俺がこいつらに、夢を見せたんだ!」
猛り猛進する鴉紋が魔人を蹴散らし、ギルリートへと迫り始めた。捕らわれた少年だけは救うと決意した眼光は鋭く、勢いが戻り始めている。
「クッフッフッフ……」
しかしギルリートは動じない。
烈火が迫るが如くのプレッシャーに曝されながらも、不敵に声を漏らして口元を拭っていた。
“Kyrie eleison.”
(主よ憐れみたまえ。)
«Christe eleison.»«Christe eleison.»
(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)
高く長く伸びるソプラノ達を追い立てる様に、男達が繰り返す。
“Kyrie eleison.”
(主よ憐れみたまえ。)
«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»
(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)
神に懇願し、縋りつく。その執着は恐ろしいまでにその一文を繰り返し――
«“Christe eleison.”»
(キリストよ憐れみたまえ。)
楽想は共鳴し、そのテンションを頂上まで連れて行った。
「お前の夢に突き合わせたこのガキをせめて救いたいと? 取るに足らないチンケな願望だ。今更
「ダマレェッ!!」
激しさを増す鴉紋の進撃が、双頭の魔人達を蹂躙する。
そして遂にはギルリートとの間を阻む者が無くなっている。
両腕に闇を揺らめかせ、鴉紋は一挙に地を踏み込んで間合いを詰めた。
«Kyrie eleison.»
(主よ憐れみたまえ。)
“Christe eleison.”
(キリストよ憐れみたまえ。)
«“Kyrie eleison.”»
(主よ憐れみたまえ。)
「その力も夢も、下劣でくだらない。とても矮小だな、鴉紋」
「いつまで余裕ブッこいてるつもりだッ!!」
地を蹴った鴉紋を阻む様に、ギルリートの腕から闇の濃霧が発生する。
「――ギルリートォオッ!!」
互いの闇が反発し、侵食を始める。
漆黒と暗黒はせめぎ合い、互いにその道を譲らない。
壮絶な黒の鍔迫り合いの最中において、ギルリートは面相も崩さず歩み出てきた。
「その程度なのか? もっと頑張れよ」
鴉紋は深く地を踏み込み、獣の様な瞳で全身を力ませる――
「調子こイテンじゃあネェァァアアアッ!!!」
«“Kyrie eleison.”»
(主よ憐れみたまえ。)
盛大なる歌唱が起こると同時に、鴉紋の豪腕が暗黒を打ち払い――突き抜けていた。
「砕けろギル――ぁがぁッ――!!?」
頬にとてつもない勢いのカウンターを捻じ込まれた鴉紋が、後方の壁に叩き付けられていく。
「――――――がっ!」
ギルリートの繰り出した想像を絶する
「ぁ――っ――――」
ブレた景色の一面が白に変わってしまいそうだったが、それを引き止めたのは、鴉紋を苛烈に追い立てながら、ワンフレーズ毎に激しさを増していく恐ろしい楽想だった。
«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»«Christe eleison.»
(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)(キリストよ憐れみたまえ。)
「ふぅむ、
「――っ……!」
«“Kyrie eleison.”»
(主よ憐れみたまえ。)
瓦礫に埋もれたまま、天から注ぐ魔人達の光に照らされたギルリートを見上げ、鴉紋はあらぬものを見る――
「闇に光が咲くからといって、光に闇が咲く事は出来ない」
Kyrieを締め括る壮大なるラストフレーズが都に響き渡っていく。
«“Kyrie eleison.”»
(主よ憐れみたまえ。)
そしてホールに反響するは、クライマックスを迎える楽想と、ギルリートの冷たい声音。
「この闇は、闇の中でこそ開くのだ……より濃密な
――ギルリートの右腕が、鴉紋の黒き豪腕へと変貌していた。
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