第203話 絶えざる光で照らしてください


 エルバンスとカルクスの前に出た演奏に、静まり返った旋律が追従する。


 ギルリートの返答を静かに噛み締め、ブチ切れた鴉紋が地を踏み込んだ。


「その舐め腐った態度……ッ俺の前では許さねぇ!!」


 ほとばしる怒りに支えられ、鴉紋の肉体が突き動く。黒き足の脚力で地を踏み抜き、そのままギルリートの目前で拳を解き放った――


「……なッ!」

「なんだ、その程度か?」


 鴉紋の振り抜いた渾身の一撃が、不鮮明な闇の壁に阻まれて静止していた。

 更にギルリートはそのまま闇を振り払い、鴉紋を豪快に薙ぎ払った。


「くァッ……ぐ!」


 壁に打ち付けられて吐血する鴉紋。自らと同じ闇の一撃が体の内部で痛みの波紋を起こす。


「ぅぅウ゛っ!」


 だが鴉紋は踏み留まってギルリートを睨む。

 そして形も無く漂う黒の塊に向けて、忌々しそうに吠える。


「なんだそれは!」

「貴様と同じ闇だ。さぁお前も出すが良い好きに、そして存分にな」


 しかし鴉紋には最早そんな力が残っていない。余裕そうなギルリートの視線に、鼻筋にシワを刻んで怒りを露わにするだけだ。

 するとギルリートは調子づいた口調を披露していく。


「おや……出せぬのか? 出せぬというのか? くっはっはっは! その痛めつけられた身体には、もうそんな力も残っていないと」

「黙ってろ!!」

「クッハハハ! そうか……なら何故逃げずにここに来た? 何を成しに? 守れるのか、救えるのか? そもそもお前は誰の為に? 何を守る! 何故そこまでして!」


 その言葉を受けて、何故か鴉紋の脳裏には顔の無くなった梨里の姿が浮かび上がっていた。

 だがギルリートは遠慮なく続ける。


「お前の一番大切なものはなんだ?」

「黙れ!」

「教えろよ。壊すから」

「うるせぇ! ……もうとっくに、そんなもの……っ!」

「……ほぅ」


 声楽家達が歌い始めた。先ずは低い呻く様な男の声が――


«Requiem aeternam»

(永遠の安息を)


 そして何処までも届きそうな女の高き声が――


“dona eis,”

(彼らに与え、)


 共に再現し、交互に、そして入り乱れながら。美しく、そしておどろおどろしくもある混声四部の四重唱を――


«Requiem aeternam»

(永遠の安息を)

“dona eis,Domine, ”

(主よ、彼らに与え、)

“dona eis,”

(彼らに与え、)

«Requiem aeternam»

(永遠の安息を)


 ――執拗な迄に、絶えず


「お前にゃ関係ねぇンだよ!!」


 鴉紋は手近に散乱した巨大な瓦礫を掴み、奏者達へと投げる。


 しかしそれは、呆気なくもギルリートの半身を溶かして霧散した闇に捕らわれていた。


「この、野郎がッ!!」

「ふぅむ、貴様は随分な傲慢ごうまんだと聞いていたが……何の事は無い。ただ傲岸ごうがんなだけでは無いか」


 倍以上の速度で打ち返されて来た岩盤が、鴉紋の腹に炸裂して体毎壁に叩き付けられる。


 そして声楽家達は歌い、管弦楽器は奏でられる。


“dona eis,”

(彼らに与え、)

“dona eis,”

(彼らに与え、)

«Requiem aeternam»

(永遠の安息を)


 ――執拗な迄に、狂信する様に


“dona eis,”

(彼らに与え、)

“dona eis,”

(彼らに与え、)

“dona eis,”

(彼らに与え、)


 ――呪いの様に……だが美しく。調和して。


 強烈な一撃で天を仰ぎ、夕刻の空を見る。


「――ぁ……っ!!」


 そして耐え難い激痛と、かろうじて残った意識で鴉紋は思う。


 ――あぁ、なんで俺こんなになるまで闘って……闘って……


“«et lux perpetua»”

(絶えざる光で)

“«et lux perpetua»”

(絶えざる光で)


 ――殴って、殴られて、痛めつけて、痛めつけられて、殺して、殺されて……

 いつまでも、なんで――――



«“luceat eis.”»

(照らしてください)




 ――なんで…………だっけ……?



 

 荘厳なるメロディの後に、微かな声で女達はその曲を締め括る。


“et lux perpetua luceat eis.”

(絶えざる光で、照らしてください。)


 霞がかった視線の先で、強烈な発光が現れる。


 二つの頭に、

 四つの腕

 四つの脚で、


「「ァガアアアアオオオオオオギギィイイイイイ」」


 裂かれた天井から覗き、ギョロリとした目を這わせながらに、二つの口は男と女の断末魔を同時に上げる。


 巨大な図体に棘のようになった皮膚を逆立てて、

 背に太い光の翼をそれぞれに躍動やくどうさせながら


 醜い光の異形達は


 無数に




 振り落ちて来た――――

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