第三十章 REQUIEM

第201話 神々しく、そして恐ろしい楽想が始まる

   第三十章 REQUIEM



 白く、これ以上なく神聖で、金の装飾と歴史的な絵画がきらびやかなコンサートホールに、一人血みどろの男が息を荒げている。


 奏者の整列する壇上から、彼を不敵に見下ろす黒いコートの男は、隠し切れぬ程の気品を漂わせ、赤いメッシュの髪をかきあげた。

 そして一人、大胆に鴉紋へと歩み始める。


「フロンスとポックはどうしたギルリート!」


 問い掛けられた天使の子はくすりと微笑み、後方に佇む赤いドレスの女に視線をやる。


「奴等は地下牢に留めている……くっく、特にフロンスという男は俺のお気に入りでな。まだ殺さずにおいてある……まだ、な」

「なんだと……!」


 フォルナは胸元から小さな魔石を取り出して見せた。そしてキツイ眼差しで鴉紋を睨む。


「なんだそれは?」


 鴉紋がそう問うと、ギルリートは愉快そうに肩を揺する。


「起動装置だ。その魔石を破壊すれば奴等の居る地下牢毎消し飛ぶ」

「……っ!」

「くっふは! その顔だ! それが見たくてこんな面倒な細工を仕組んだのだ!」


 面食らっている鴉紋の前で、ギルリートは眉をひそめていった。


「しかしあのユニークな男は惜しい……実にだ。家畜の身でありながらもな! ――故にその魔石を破壊するのはお前が俺の言いつけを守るまで待ってや――」


 そこまで言いかけた所で、壇上から呆気なく何かを砕く音が起こったのに全員が気付く。

 ――そして遠方で爆発音が起こった。


「は?」


 フォルナが冷徹な表情のまま、その掌で魔石を砕いていた。そしてパラパラのその破片を足元に落とし、ヒールで踏み付ける。


 呆気なく殺されてしまったフロンスとポックを思い、鴉紋は声を張り上げた。


「おっ…………オマエ!!」


 途端に激情した鴉紋に続き、ギルリートも目を剥いていた。


「フォルナ!! 何をする!」


 巻いた髪を撫で付けながら、フォルナは赤い唇を冷静に動かし始め、こう答えてみせた。


「どちらも死ぬのだから同じでしょう? あんな下民に肩入れするのはもう辞めて頂けます? ギルリート様」


 横柄な態度で腕を組んだフォルナを見つめ、ギルリートは額に手をやって頭を振った。


「あぁもう、お前にそれを任せた俺が馬鹿だった……」

「ッそこのクソ女!! 今から殺してやるから待ってろ!!」


 歯を剥きながら四肢を黒く変化させていった鴉紋。今や飛び上がろういう刹那、ギルリートが頭上の十字架を指し示す。


「待てよ鴉紋……うちのディーヴァが粗相を働いた事には謝罪しよう。だが許してやってくれ、あれでも我等楽団の宝なのだ」

「クソが、何を言っていやがる!!」


 彼の示した巨大な十字架の先には、額に金の魔石を埋め込まれた幼き少年が居る。

 ギルリートは嘆息してから口を開き始めた。


「ふぅむ、残念だ……しかし奴が下等生物だったのは事実……仕方が無かったのかもしれん」


 ギルリートはそれ位の落胆を見せただけで、直ぐに顔を上げて堂々とした顔付きに戻っていく。


「寝ぼけてんのかテメェら……仲間が、俺の仲間を!!」


 飄々ひょうひょうとした態度の男に我慢ならず、鴉紋は遂に拳を握り込んで踏み込んでいった。


「――ァアッ!!」


 ――そしていざ殴り付けるというその瞬間……天使の子はネットリとした口調でこう語る。


「許せよ鴉紋。ドレスコードもしていないお前に、今から史上最高の大曲を送ってやるのだから」


 ――鴉紋の視界を一瞬、闇が埋め尽くす。


「――――はッ!?」


 突如として感じ始める怖気おぞけ、鴉紋の野生の勘が、その足を一歩後方へと引き戻す。


「ッ――――!」


 ――結果として、彼の体を突き動かしたその不確かな直感のおかげで、鴉紋の首は消し飛ばずに済んでいた。


「惜しいな、あと半歩踏み込んでいれば」

「な……んだ、これは?」


 鴉紋の頭上に曇天の夕明りが、そしてその下で闇が蔓延していた。


 両腕を原型も無く霧散させたギルリートの闇嵐が、天井を突き破り、屋根を吹き飛ばして風穴を開けていた。


「やがて民の叫喚も止むであろう」

「ウあっ!」


 ギルリートは不鮮明なままの漆黒を振るい、コンサートホールの屋根を砕き、吹き飛ばしていく。

 まるで空を裂き、そのまま千切り捨てていくかの様に。

 豪奢なホールは呆気なく崩れ、その天上に夕と夜が漂う。

 奏者達は瓦礫の降り注ぐままの壇上で、もうあの時の様に、顔色の一つも変えない。

 彼等が絶対の君主、ギルリート・ヴァルフレアの前では。


「夜明けを告げる鎮魂歌が都に響く。悪を終わらせる神話は我等の手によって」


 暴風に体をもっていかれた鴉紋が、転がりながら地に手を着いて止まる。

 そして闇を纏い、鋭利な羽を広げた天使の子を睨み付けた。

 ギルリートがマスクの向こうから落ち着き払った視線を返す。

 まるで自らの力を信じて疑わぬ様に、堂々として……


「心しろ稀代の演奏者達よ。今から奏でるは、世を変える伝説の楽想」


 ギルリートのその声に、壇上の奏者は居住まいを正して魔楽器を握る。


「例え何が起ころうと、一音も、ワンテンポもズラす事を赦さない……この峻厳しゅんげんのギルリート・ヴァルフレアが」


 風すさび、瓦解したホールに一筋の西陽がある。

 荒廃しながらも何処か美しく、神聖であるステージで、約三百の奏者が緊張の糸を張り詰めていく。


 そしてギルリートは闇から戻した腕を上げ、その神聖なる曲の名を告げた。


「Mozart:【REQUIEM】-Arranged by Gillyt Valeforea」

(モーツァルト:レクイエム/ギルリート・ヴァルフレア編曲)

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