第198話 家畜達は思いを繋ぐ

 *


 夕刻の景観。その空の下には、つい先程まできらびやかであったのであろう、荒廃した都の惨状。

 入り乱れた魔物が人を食い荒らし、白い敷石は赤に汚れていく。

 硝煙の臭いに満たされたそこには、時折の発砲音と獣の唸り声、人々の叫喚。


「……都の結界はどうなってる!」


 足を引き摺って前進する鴉紋は、天使の子の待つベルム宮殿へと向かう。


「終夜鴉紋! お前のせいだ! お前のせいで俺の娘は!」


 鈍器を持った民が一人、鴉紋へ向けて走り始めた。その瞳に深い深い怨嗟えんさを携えて。


「――っうア……ぁ……!」

「――――っ!」

 

 赤い目をした狼の魔物が、その民を腹から咥えて噛み千切っていった。

 放心しながら宙を舞まった上半身が、鴉紋の視界をひるがえる。

 そしてべチャリと落ちて、血溜まりを拡げていった。


 ――俺を守っているつもりかよ、このクソ犬共!

 テメェらのせいでフロンス達が……!


 今まさに血に染まっていく都を横目に、阿鼻叫喚の道を行く。


「うわぁぁあ! やめろ、許してくれ! 待ってくれ!」

「妻だけは、俺は喰い殺してもいいから、どうか!」

「この畜生共が!! おのれ、おのれぇえ!!」


 逃げ惑っていく民の光景、その中に、鴉紋に向かって掛けて来るローブの者達の存在に気付く。


「敵か……?」


 鴉紋は青白い顔を奮い立たせ、その両腕と両足を黒く変化させていく。


「鴉紋さん!!」

「あ……?」

「良かった、みんな、鴉紋さんが来たぞ!」


 小汚いローブを纒った十数名の彼等は、鴉紋の前で立ち止まってそのフードを外していった。


「お前ら……」

「鴉紋さん……その、姿は? それに、お仲間は連れていないのですか?」


 彼等はビナ・コクマの都で決別した野生のロチアート達の生き残りであった。マッシュが逸れてしまった彼等は、案外近くの都で潜伏していたらしい。

 見覚えのある女が一人、鴉紋に震えた声を投げ掛ける。傷を負っているらしく、腹を抑えていた。


「鴉紋さんがここに訪れると聞き、私達は都の結界を維持する陣を破壊しました。兼ねてから計画していた通りに、いつ鴉紋さんがやって来ても良い様にと……」


 鴉紋は静かに彼等を見渡していく。皆傷を負っている上に数も少ない。恐らくは陣を破壊する時に、多くの仲間達を犠牲にして来たのであろう。

 だが鴉紋は忌々しそうに吐き捨てた。


「テメェらか!! こんな事をしやがったのは……ッ! ぐっ……」


 叫び付けた拍子に鴉紋はフラついて地に膝を落とした。ロチアート達は訳が分からず、狼狽うろたえながら鴉紋に駆け寄っていった。


「鴉紋さん!?」

「テメェらが奴等の腹をせっ突いたせいで……フロンス達が!」

「なに……どういう事なのです?」

「フロンスとマッシュともう一人の仲間が……既に捕らえられている……俺はあいつらを救う為に、奴等の言う通り、一人で……っ」

「マッシュ!? マッシュが生きて、人質になっているというのですか!?」


 騒々しくなるロチアート達。彼等もやはり、何処ぞで逸れてしまった幼い少年の事を気にしていたらしい。


「お前達がいらねぇ事をしやがるから……! くそ、急いでベルム宮殿に行かねぇと!」


 鴉紋は彼等の手を振り払って立ち上がる。そして虚ろな視線で前を見据えた。


 ――すると遠くで、一斉に魔物達の悲鳴が上がり始めたのに気付く。


「なんだ……?」


 それだけでは無い。地が一定の間隔に合わせて震え、何者かの進軍を知らせていた。その事からも、明らかに敵が並外れた数では無い事が分かる。


「魔人共が……!」


 遠くに見え始めた燦然さんぜんの輝きに、空が明るんでいく。彼等は都を行進し、やがて遠くの視界にその茫漠ぼうばくな数を現した。


 息を呑むロチアート達。しかし鴉紋は彼等に正面から向かい合う様に歩み始める。


「鴉紋さん、そんな体では無茶です! 敵の数は数千所では無い!」

「黙れ……無理でも無茶でも……俺はやらなくちゃなんねぇんだ」

「ですが……!」


 魔物が光の化身に飛び込んで行くが、瞬く間にその数に押し潰されていく。


「あと少しなんだ……もう少しであいつらの所まで……! それさえ叶えば俺は」


 前に出た一人の青年が、鴉紋の前に立ち尽くした。そして問い掛けていく。


「……ベルム宮殿に辿り着けさえすれば、貴方は救えるのか? マッシュを、我が同胞を……」

「……は?」

「その体で……」


 鴉紋は青年に、かつての様な恐ろしい程の気迫に満ちた瞳を向けていた。そして歯牙を剥いてこう答えていく。


「何とかする……!」


 何処までもロチアートを思う鴉紋の心情。その激しさを信じ、ロチアート達は落ち着き払った表情に直って頷き合った。


「鴉紋さん、ベルム宮殿はこっちから行った方が早い。俺達が案内します。出来るだけ破壊の天使たちは回避しましょう」

「……」


 丸い目になった鴉紋に、ロチアート達は振り返る。そして鴉紋を囲む様にしてから、剣を抜き出した。


「一度貴方を裏切り、辛辣な言葉を投げ掛けた事を、俺達はずっと後悔していた」

「今思えば正しいのはあんただった。俺達を思い、死に物狂いで闘ってくれているあんたに、俺達は……」

「だから私達は、次に貴方が現れた時に力になれる様にと、陣を破壊出来る算段を立てていたの……今回は裏目に出てしまった様だけど」


 そしてロチアート達は決起した。かつての後悔と、未練をそそぐ為に……散っていった仲間達の影を胸に、鴉紋未来に託す。


「貴方は俺達が、ベルム宮殿まで送り届ける!」

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