第197話 火蓋は切られた
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「ポックさん……生きて、いますか?」
地下牢の中で、未だ地面に埋もれているポックをフロンスはつついた。
ギルリートが立ち去ってからもう半刻。脈こそある様だが、ポックは未だに白目を剥いていた。
「ねぇ! ねぇってばポックさん!」
「うぐ……ぅぅ」
「そろそろ起きて下さいってば!」
フロンスは指先でツンツン、ツンツンとポックの頬を小突き続ける。
するとポックの赤い虹彩がぐりんと戻って来た。
「――――ッはーーっ」
飛び上がったポックの面相を眺めたフロンスは、眉根を下げながら呆れた声を出した。
「凄い顔になってますよ」
「えなに、何っすか? ッて痛ぁ!」
ポックのギルリートに殴られた右の頬がパンパンに腫れ上がっていた。この頑丈な男の意識を一挙に連れ去ってしまった打撃を物語っている。これがギルリートのあの華奢な体躯から放たれたという事実を、フロンスは未だに信じられないでいる。
「いつつ……何が起こったっすか?」
「分からないですよ。早過ぎて私には捉えられませんでした。それを貴方にこそ問い掛けようと思ったのですがねぇ」
するとポックは指先を咥えてその時を回想しながら、不思議な事を口走る。
「腕、俺の……腕?」
「はぁ? 強く殴られ過ぎて変になってしまったのでしょうか?」
そこでポックは辺りを見渡して、マッシュの居ないのに気付く。
「マッシュは!? マッシュはどうなったっすか?」
「連れて行かれましたよ。貴方がのびて、私が怖気づいている内に……」
「何落ち着いてるっすか! 助けに行かないとヤバいっすよ!」
走り出そうとしたポックであったが、目前に並んだ鉄格子を思い出して足を止めていく。
「くそ……どうすれば良いっすか! フロンスさん! 俺はどれ位呆けてたっすか!?」
「半刻程」
「そんなにっ…………。ん?」
そこでポックは辺りが妙にざわついているのに気付く。いや、辺りというか地上からの喧騒が微かに聞こえてくるのだ。
細い目をしたフロンスは、髪を耳に掛けながらポックを見つめ返した。
「貴方を今無理に起こしたのには理由があります。何か地上で、私達の好機になる事態が巻き起こっている可能性があるのです」
「え?」
「最も、ここから聞こえる物音で判断したのみですが……恐らくこのゲブラーの都で今、魔物が人を襲っている」
「魔物……? さっきも何か言ってたっすけど……どういう事っすか?」
「分かりませんよ。ただ以前にも一度シクスさんが魔物に助けられた事がある……もしや我々の危機に際して、また動き出したのかもしれません」
「えぇっ、あいつらが味方してくれるって言うんすか? そんなの有り得ないっすよ! それに都には強力な結界だってあるんすよ?」
問答している彼等の元に、強烈な爆発音が起こった。
「うぇっ!?」
驚いたポックが地下へと伸びる階段を眺めると、ごうごうと炎が燃え上がり始めているのに気付く。
――そして次の瞬間
「――へぶぅ!」
「――のフゥ!」
「――あブぅ!」
「どわぁぁあっ! なんすかなんすかなんなんすか!?」
階段から吹き飛ばされてきた男達が、その顔面を鉄格子に押し付けて、ズルズルと地に落ちていく。
「こいつら、さっきの汚い兵っすよフロンスさん!」
「その様ですね……」
爆風に押し流されて来た男達の中には、歯の無い男とスキンヘッドの男、そして長細い男が情け無い顔をして気絶していた。
「――という事は……」
そうフロンスが落ち着いた声音を残すと同時に、聞き覚えのある少女の声が起きていた。
「やっと見つけた!」
鉄格子の前にまで駆け下りて来たセイルは、ただの石畳とでも錯覚しているかの様に
「おっさん! 手間掛けさせんなよなぁ!」
血の付着したダガーを払いながら、渋い顔をしたシクスが悠々と降りて来て、やはり兵を踏む。
安堵したフロンスは微かに微笑みながら、状況を説明した。
「魔力封じの檻に囚われてしまって……」
「待ってて!」
セイルは口早にそう返すと、鉄格子越しに転移魔法を発動させて二人を檻の外へと移動させた。
息を吐いたフロンスがセイルを見つめる。
「貴方達、一体どうやってここまで来たのです?」
「それが私達にも分からないんだけど、都の結界が急に途切れて、それで転移魔法が使えるようになったから助けに来たの!」
「訳が分からねぇついでに付け加えると、地上では魔物が暴れまくって人間様を喰い荒らしてるぜ! ヒハハハッ! 大パニックだ!」
顎に手をやったフロンスが思案するが、あまり考えていなさそうなシクスが答えていく。
「一体何が……」
「知らねぇよ! ただめちゃくちゃ愉快な祭りが始まってんだよ! あはははは、早く俺も殺してぇ!」
そこでセイルが怪訝な目を辺りに向かわせた。
「マッシュは?」
「マッシュは……ギルリートに連れ去られたっす!」
「え……貴方、誰なの?」
「ポックっす!」
ポックは人相の変わる程に腫れ上がった頬を擦りながらセイルに答えて見せた。
「連れ去られたって……」
物憂げな顔つきを見せたセイルが肩を落とすと、フロンスがポックの二の句を継いでいく。
「これから始まるコンサートの最期に、マッシュは何か恐ろしい目に合うという事です。それまでに助けてやらなければ!」
真剣な顔付きに戻っていったフロンスを認め、シクスが眉を吊り上げていった。
「あんのクソ人間共が……何処まで汚え真似をしやがる!」
「もう! 折角鴉紋の足枷を外せたと思ったのに!」
セイルが地団駄を踏む背後で、フロンスが理知的な視線を覗かせる。
「足枷という表現は最早適切で無いと思われます」
「どういう事、フロンス?」
「魔物が襲来してしまった今、ギルリートは我々に一切の情けを見せないでしょう。マッシュを救うのに、最早一刻の猶予だって無い……さしずめそれは、火の点いた導火線の様に」
そしてフロンスの半身を地上からの光が照らし出す。
それは深淵に覗く、魔の者だ。
「だが、この命に替えても救ってみせる。狂った曲が、終わる前に……」
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