第二十九章 ダークプレリュード

第192話 不潔な兵

   第二十九章 ダークプレリュード


 暗く冷たい地下牢にて、フロンスとポック、そして幼きマッシュが転がされていた。

 それぞれは酷く痛めつけられていたが、まだ話しをする余力位は残っているらしく、腫れ上がった瞼を上げていった。


「鴉紋様が一人でここに来てるって、どういう事っすか?」

「……げほっ」


 咳払いをしたフロンスが、何かを確かめる様にして鉄格子に触れてから、項垂れていく。

 鉄格子には魔力を打ち消すベルンスポイア鉱石が練り込まれていて、彼等を正方形の部屋に閉じ込めていた。魔力による干渉は不可能である様だ。


「どうして一人で来るっすか? 鴉紋様はまだボロボロだった筈っす。なんでクレイス達と一緒に来なかったんすか」


 フロンスは言い辛そうにしてしばし返答を保留すると、座り込んだままのマッシュの頭を撫でた。幼き少年も例外無く痛めつけられ、鼻水を垂らしたまま今は黙している。


「招待状がどうとか言ってたっすけど……まさか鴉紋様は……!」

「理解しているじゃないですかポックさん」


 渋々と首を振ったフロンスを見つめると、ポックはわなわなと震えながら口を結んでいく。

 人質に捕られた自分達を守る為に、鴉紋が一人ここに向かっている事をようやく理解した様子のグラディエーターは、屈辱を感じながらに拳を壁に叩き付ける。

 固い壁を打つ鈍い音が、闇に吸い込まれていく。


「俺が捕まったから……俺のせいで鴉紋様は!」

「俺ですよポックさん。私がもう少し戦えれば、こんな事にはならなかった」


 武器を取り上げられているポックは、その小柄な体を使って闇雲に鉄格子に突進する。当然、あざける様に鉄を打つ音が響くのみである。


「鴉紋様は俺達の為に、分かっていながら罠に飛び込んで来るっすか……あんなに疲れきった姿のまま……俺のせいで」


 格子に額を押し付けたままズリ落ちていったポックが、悲痛の声を漏らした。

 フロンスは複雑な心境を物語った表情で、彼の震える肩を見つめた。


「俺も……グラディエーターの端くれっす」

「……ん?」


 そして悔しそうな声と共に、ポックは涙を伝わせる。


「鴉紋様の足手まといになる位なら……今、ここで!」

「君はマイペースな様でいて、実は勇敢な戦士なのですね」


 振り返ったポックに、フロンスは細い目を向けていく。


「貴方の思いに私も同調します。鴉紋さんの足枷になる位なら、全世界のロチアート達の為にも、今ここでそうする事もいとわない」


 そこまで語ったフロンスであったが、何か心残りがあるかの様に固い表情を続けていた。


「ですが……」


 そしてフロンスは、深い愛情を思わせる眼差しをマッシュの頭に向ける。

 小さな少年が声を殺して啜り泣いている。訳も分からずに人間達から受けた暴力に震え、体中にアザを残して。


「……わがままを。一つ言わせてもらっても良いですか?」


 そしてポックに目配せをしたフロンスは、再びに断続的に揺れるマッシュの頭を眺めていく。


「彼だけは、何としてでも救いたい。この命に変えたとしても……」

「……フロンスさん」

「覚悟も何も無く、私達の失態のままにここに連れ去られて来ただけの……この幼気いたいけな少年だけは」


 ポックは申し訳なさそうにマッシュの頭を見つめ、傷だらけになってしまった四肢に目を向けていった。

 

「……悪かったっすマッシュ」


 そして彼は激しい情動を落ち着かせながら、普段の呆けた目に直る。


「分かったっす。フロンスさん」


 彼等が一つの結論に到達した時、この地下へと通ずる石段を降りてくる複数の足音に気付く。


「誰か来るっすよ!」

「分かってます」

「うわぁあ怖いよぉーおじさん!」


 薄ら笑いを浮かべた十人ほどの兵が、長槍を持ってフロンス達の居る鉄格子の前へと立ち並んでいく。

 すると先頭に立った長細い男が口を開いた。


「えっへっへ、残念だったなぁ。あんたらの大将。約束を破っちまったらしいぜ」


 黄ばんだ歯を見せながら、彼等はくすくすと笑っていた。フロンスはマッシュを匿う様にして背に隠す。


「うわへへへ。Mr.カルクスからオイラ達はこう言われちまった。見せしめに一人、家畜を連れ出して殺せってな」

「今なんて言ったっすか?」


 ポックが堂々とした態度で鉄格子の前に仁王立ちになった。すると薄汚い男達はビクリと肩を飛び跳ねて警戒を示すが、向こうからは干渉出来無いと直ぐに思い直して、強気な態度へと戻っていった。


「怖いのか? ん? 見せしめに一人殺して、その頭を送ってやるんだとよぉえへへへ! カルクスの旦那も人が悪いやぁ」

「そっちじゃないっす」

「はぇ?」

「約束を破ったって事は、鴉紋様と誰かが合流したんすか?」


 兵達は顔を見合わせると、顎に手をやって嫌らしい目付きとなっていった。そしてスキンヘッドの痩せた男が口を開く。


「誰かっつーと変な表現だな。だってそいつらは醜いケダモノなんだからよぉ、いーへへへ!」

「ケダモノ……何すかそれ?」

「おいこの馬鹿! 勝手に喋んじゃねぇよ!」

「うげぇ〜!」


 先程の長細い男がスキンヘッドの頭をゴチンと叩くと、彼は小さな悲鳴を上げて下がっていった。

 彼等の言葉を不思議に思ったフロンスが口を挟む。


「ケダモノ……昨今ではあまり使われない表現ですね。つまり……魔物が鴉紋さんと合流したと?」


 驚いたポックの背後で、長細い男は不服そうにして長槍を持ち直す。そしてボリボリと髪を掻いてから、爪の間に挟まったフケを吹く。


「家畜とケダモノ。同じ畜生ちくしょう同士、気でも合うのかねぇ? 魔物が誰かに懐くとは聞いた事も無かったが」


 フロンスは押し黙って、シクスが魔物に助けられた事を話していたのを思い出していた。


「まぁいいや。あんたら、一人選べよ」


 フロンスの思考を断絶する様に、長細い男の声が差し込んで来る。

 目を瞬いたフロンスが、汚い笑みを浮かべた彼の言葉を復唱した。


「一人選べ?」


 長細い男の横で静観していた男が、鉄格子に勢い良く飛び付いて粘付いた口元を開いていた。


「そうだ。おまえらが選ぶんだ。今から死ぬ仲間をよぉ。がへへへ。ざーんこくだよぉ!」


 歯の無い男の不気味な笑みにつられて、地下に嫌味な声が反響する。

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