第191話 王の依代

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「……ふぅぅ! ゥウ!!」


 獣の様な吐息を繰り返す鴉紋の前で、四本腕の双頭が列を成していく。

 その数は優に千を超えていた。疲弊しながらなんとか葬った先程の魔人の五倍程の数。


「あれぇどうしたの? おやおや意気消沈?」


 優雅にヴァイオリンを奏でるカルクスと管弦楽団。皆が余裕そうにしてニヤつきながら鴉紋を見つめる。


「「「――キィィィイイイアアアアア!!」」」


 醜い化物達が空に鳴くと、木々は震え、耳鳴りがする。脳に響いて来る女の様な奇声に、鴉紋は頭痛を催すが、奏者達は慣れているのか顔色の一つも変えていない。


 目を血走らせた鴉紋が項垂れていく。その様を認めたカルクスは、真っ白い歯を見せて瞳を弓形にする。


「あれあれぇ……諦めたの?」

「……」


 鴉紋は答えない。ただ黙したままに魔人達に取り囲まれていく。


「下民らしく足搔いてみせれば良いのにぃ! うふ! ずっとそうして来たんだろ、終夜鴉紋? 下民は足掻かなければ生きていけないだろ〜?」

「……」

「ん〜っ! それにしても羨ましいねぇ。世界最高峰の演奏と共に、生涯最期に見る男の顔が、見目麗しきこの……僕! だなんて……嫉妬しそうだよぉ」

「……」

「んまっ……このビューティフルかつチャーミングかつエレガントかつクールな美貌も、僕は鏡の前に立つ度に見られるんだけどねぇえ〜?」

「……」


 風にそよぐ様にして優雅な管弦楽が流れている。

 演奏中に話し掛けられるとキレるクセに、調子が良いと時は自分から話しまくる奇怪な男、カルクスは、今や鼻歌と共に弦を弾いている。


「……ふ……くく」

「おやおや〜? どうして笑えるのかなぁ終夜鴉紋。この絶望的状況で」


 醜悪な魔人に取り囲まれながらに、魔力も尽き果てた男が一人声を漏らし始める。


「……嬉しいよ」


 そして鴉紋は邪悪に歪んだ顔で天を仰ぎ始めた。敵勢に呑まれたその空の下で。


「精魂尽き果てたこの俺を殺す為だけに! こんなにも醜い化物達が雁首がんくび揃えていやがる!」

「ワッツ……?」

「今の俺はただの抜け殻みてぇなもんなのによ。ご苦労なこった……」


 再びに肩を落とした鴉紋を、カルクスは不気味そうにして見下していく。


「……君とは会話が成立しない」

「それはこっちの台詞だ変態ヴァイオリニスト!!」


 冷めた眼差しをしたカルクスと、怒る鴉紋の瞳が交錯する。

 そして魔人が鴉紋に踏み出していき始める。フラフラとした足取りをした鴉紋は下を向いたまま、その黒い拳を握り締めていく。


「たとえ中身の無くなっちまった不甲斐ねぇ抜け殻でも。俺はまだ……倒れる訳にはいかねぇんだ」


 頭痛の続く頭に向けて、鴉紋は自らの拳を打ち付けた。髪の隙間からたらりと血液を垂らしながらも、頭痛は止まっていた。

 そうして、剣を乱舞した魔人の群れが鴉紋へと飛び掛かる。


「まだ貴様等に奪われたフロンス達あいつらを取り返してねぇからナァ!」


 ギラつく瞳に闘志を宿し、鴉紋は顔を挙げて拳を握る。


「「キィィイイイイギ!!」」

「うるせぇンダこのぜんまい人形共!」


 その迫真の拳が魔人を一挙に貫き穿つ。


「ガァアア――ッ!!」


 猛り、抵抗するも、次第に鴉紋は膨大な光の渦に呑み込まれていく事になる。


「舐めてんじゃねぇぞ……舐めてんじゃ! どいつもこいつも!!」


 殴り、切り払われても鴉紋は過激に暴れ回り続けた。


「どいつもこいつも、俺から奪っていきやがる!! 梨理も、仲間も!! この世界の人間達お前達は!!」


 何度押し潰され様とも、鴉紋は咆哮しながら魔人をブチ破って駆ける。だが敵の数は減らず、ただいたずらに体力を浪費しているだけに過ぎない。


「ああああ――ッ!!!」


 それが無駄な行為だという事は、彼自身が一番良く理解していた。だが鴉紋は、目先に見える明白な結論に蓋をして、がむしゃらに荒れ狂った。

 彼を突き動かすは、果ても無い憤怒。

 この世界への激憤。

 それだけだった。


「ぐぅ……あッ……が!!」


 だがその思いをまかり通させるだけの力が、もう彼には宿ってはいなかった。

 ――これまでの様には。


 剣の乱舞で体を薄く切り刻まれ、鴉紋はうめき、苦痛を刻む。

 そして頭上に群がるは数え切れぬ程の軍勢。それを見上げ思う。


 ――何時だって奪われて来た。奪われ、虐げられて来た。

 ――人間に。この世界の人間達に。


「だから……俺……は――」


 虚ろな視界に、光の刃が落ちて来るのが見える。


「――――!?」


「……ワッツ? あぁ、あ……ワッツ、ワッツワッツワッツワッツワァアッツ!!?」


 押し寄せて来た赤き目の大群が、光の魔人に喰らいついていく。

 何処からとも無く現れた四足歩行の魔物達が、光の大群を押し返して拮抗する。


「魔物……? 何故俺を助ける?」


 涎を垂らした無数の牙が、鴉紋の周囲に集まり始めた。


「わぁァァ!! パニック! パァァニック! どうするウェービー? ……ウェービー!? タクトが乱れているぞ!」


 だらだらと汗をかきながらも、何とかタクトを振る老人がカルクスへと振り返る。


「まま、魔物が! ぃぃ、いかがいたしましょう坊っちゃん!?」

「バカやろぉぉ! 坊っちゃんなどと呼ぶな!! Mr.カルクスだろうがじい!!」

「ぁぁあ゛坊っちゃんんんん!! 後生ですから、こここは撤退を! この爺めは化物に喰われるのだけはごめんで御座いますぅ!」

「おいウェービー!! ヴェルダント家お抱えの執事でしか無いお前が、出過ぎた意見をするな! みんなが指揮者であるお前を見てるんだぞ!」


 へっぴり腰の指揮棒がテンポを乱していく。つられて演奏も崩れ始めた。余裕ぶっていた管弦楽団の表情が焦りに変わっていく。心配性のウェービーに至っては、ジェントルを気取っていたのが形無しになる位に焦り、泣き喚いている。


「何を狼狽えるんだウェービー! 僕等の天使の方が数は多い! 落ち着いて演奏すれば問題など無い筈だ! 常に誰よりも平静であったお前に一体何があったという!?」


 するとウェービーは奥歯をカタカタと鳴らしながら赤面していく。鼻の下のちょび髭は汗でぐっしょり濡れていた。


「話した事はありませんでしたが……わ、私は魔物恐怖症です!」

「ワッツ!?」

「私の祖母は魔物に喰われて死にました。その様を目前で見ていた幼き私は、それ以来魔物が恐ろしくて怖くて堪らないのです」


 遂には指揮棒を投げ出したウェービーを、カルクスは演奏しながらに糾弾する。


「バカやろう! 恐怖症だなんだと今更言う奴があるか!」

「ぁぁ……見てくださいあの鋭い牙を! 地を這うのや空を飛ぶのもいる! なんておぞましい造形なんでしょう坊っちゃん!」

「ウェービー!!! ママに言い付けるからな!!」

「だってだって坊っちゃん! ここは都の結界内、本来魔物が現れて良い場所では無いのですよ!? 多少取り乱すのは仕方が無いでしょう? そして是非お母様にはご内密にして頂きたい!」


 確かにこの地点は都の結界の及ぶ範囲。これまで魔物の一匹だって寄せ付けた事は無かった。不思議に思ったカルクスが、細い目をしながら鴉紋の周囲に集まっていく魔物を見つめる。


「終夜鴉紋の奴……どうやったのかは知らんが、魔物を従えていやがる!!」


 鴉紋は訳も分からずに、見覚えのある様々な動物達の背中に守られていく。


「……っ」


 すると風格のある一匹の雌鹿が鴉紋へと振り返り、赤い目を光らせる。


「…………目覚……メヨ」

「――あ!?」


 たどたどしく語られ始めた明らかなる人語に、鴉紋は面食らう。


「我等ガ………………オウ……ヨ」

「王……? 何寝ぼけた事言ってやがる、俺が何時お前等の……」


 そこまで言って鴉紋はふと気付く事になる。それが自らでなく、自らの内に巣食う影に向けられた声であるという事を。


「目覚メヨ……ソノ依代よりしろハモウ……」

「依代? 何を知ってる……お前達は、あいつの何を」

「聞コエテイルノダロウ」


 そしてしばし鴉紋はその雌鹿と見つめ合う。鴉紋の内に潜む何者かは全くもって反応を示さない。


「……。ソレガ答エカ」

「……は?」

「我等ノ永キ闘争ハ、コンナトコロデ終ワルノカ?」

「……」

「随分ト入レ込ンデイル様ダナ……ソノ男ニ」

「俺の事を言っているのか?」


 そこで演奏を辞めたカルクスが喚き始めた。


「おい! どういうつもりだい終夜鴉紋! 招待状には一人で来いと書いてあった筈だ! 貴様はその約束を破ったのだ! それがどういう事かも分からない程おバカじゃないよな!」


 鴉紋は目前に佇んだ雌鹿を睨む。


「いらねぇ事しやがって」

「知ラヌ……我等ノ使命ハ王ヲ守ル事ノミ」


 形を崩した魔人達の後方で、奏者達が撤退の準備をしている。


「捕えた仲間は無事ではすまないと思え! ギルリート様に言いつけてやるからな! 震えろ!」

「逃げるのかよこの変態野郎!」

「黙れぇ! こんな得体の知れない奴等とやってられるかぁ!」

「なっ……テメェどの口が言いやがる!」

「僕等は安全地帯から弱者をいたぶるのが好きなんだ!」


 そそくさと撤退を始めたカルクスに、奏者の一人が耳打ちする。


「しかしMr.カルクス。この事をギルリート様に伝えれば、我々が抜け駆けして来たのがバレるのでは?」

「知るかぁ!! 全部ウェービーのせいにしてやる!」

「そんなぁ、坊っちゃん〜!! お待ち下さいませ!」


 鴉紋は木偶となった魔人を押し退けて走り出そうとするが、血を吐いて膝を着いてしまった。


「くそ……!」


 振り返ったカルクスは、手に持ったハンカチを頭上でひらつかせた。去り際だけは思い出した様に紳士然としている。


「アデュー終夜鴉紋。ギルリート様の恐ろしさ、今に思い知る事になろうよ! ハッハッハ!」


 魔石に戻った光の化身達。そこに残された魔物達も地に溶けていき始める。


「オ前ノ酔狂ニ、シバシ付キ合ッテヤル」

「あん? おい待て! まだ聞きたい事が!」


 地に消えながら、雌鹿が赤い瞳を鴉紋に向けている。


「ソノ男ニ見切リヲツケルマデ」


 そして地に溶けた。最期にこう残して。


「サッサト喰ラッテシマエバ良イモノヲ……ソノ男ニ何ガアル」


 一人残された鴉紋は、荒れた大地で歯を喰い縛った。


「好き勝手言いやがって……何が依代だ! 奴は頼んでも俺と代わっちゃくれねぇんだよ!」


 体から流れる血を撫で上げながら、鴉紋は震える膝で歩み始める。


「急がねぇと……フロンス達が……!」


 左足を引き摺りながら、彼はゲブラーの都へと向かう。ズタボロになった身と心で。

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