第190話 不屈の漢

 あらぬ事が起こっている。

 今や押し潰されんといったばかりの戦況に割って入る様にして、方々ほうぼうから湧き出した魔物の大群が光の兵士達を取り囲んでいく。


 驚きを隠せないグラディエーター達。セイルもまた目を丸くしながら、溢れんばかりに現れる様々な形状をした魔物を見つめる。


「また助けてくれんのか……お前ら?」


 足を止めたシクスの肩を掠めながらに、赤い目をした獣達が過ぎ去っていく。

 そして、一斉に溢れ出した魔物達は光の化身達へと飛び掛かっていった。


「魔物? 魔物が居るのか!? なんでだ! ねぇ、なんで奴等に加勢するの! ねぇって!!」


 乱戦となり演奏を乱れさせたエルバートが喚く。すると彼の直ぐ背後で叫び声が上がった。


「いぎゃぁあ!!」

「なんだ!? なんだなんだなんだ!! うぎぃいい!! ねぇ、どうしたのか教えてよ!! ねぇ!!」


 自ら達の周囲にも黒いもやが起こり、魔物が現れて人間を喰らう。

 パニックになった奏者が叫びながらに演奏を止めていく。


「天使達を戻せ! 早く俺達の身を守らせろ!!」


 既に周囲には魔人がひしめいているが、素早く駆け回る小型の魔物が防ぎ切れず、隙間から飛び込んで来る。演奏を止めて魔人の動きにキレが無くなっているのが原因だろう。

 エルバートが額に血管を浮き立たせて激昂した。


「オイイイイ!! 演奏を止めるな! 止めれば天使が力を失うでしょ! 数はこっちが上でしょ!? 冷静さを欠くな!」


 頷いた奏者達は、周囲に迫る魔物に恐々としながらも演奏を立て直していく。


「そうだ!! そう! ソウソウソウっ!!」


 テンポを取る様にしてエルバートが繰り返す。動転した様子の彼の額から、冷たい汗が鍵盤に落ちて指を滑らせた。


「ミスった!! 僕と、ぼぼぼ僕とした事が、動揺しているのか!!? きぃぃい!」


 奏者達も同じ様にミスを繰り返し、演奏はグダグダになっていく。青い顔をした彼等は白目を剥いてブルブルと震え始めた。

 戦闘を魔人に任せ、まともに戦った事も無い騎士達に迫る魔物の脅威。いかなる状況であれど高水準の演奏をする事を教え込まれて来た彼等と言えど、実際側に迫る死の気配までは振り払う事が出来ない様だ。


「大丈夫だお前達! ほら天使達が戻って来た! 要塞の様にして僕等を守らせれば良い! ねぇそうでしょう!? 今僕達がしなければいけない事は、いつもと同じ演奏だ! そうでしょ!? 違う!?」


 舞い戻った魔人が魔物を蹴散らし、奏者達を取り囲む陣となった。皮肉にも、初めにグラディエーター達の取った円形の陣に似ている。


「ほらほらそうでしょう!? これで奴等は僕達に近付く事さえ出来ない! さぁまた演奏を始めよう! そうすればこの天使達の軍勢は、誰にも覆されないんだから!」


 彼等を守る光の肉壁は、確かに魔物を寄せ付けずに機能している様だ。


「良かった。た、助かった」

「恐ろしい。なんて恐ろしい顔をしているんだ魔物というのは。死ぬかと思った」


 胸を撫で下ろし始めた奏者達をエルバートは隊長らしく励まし始める。


「大丈夫だお前達。この強固な壁は魔物には崩せない! そうだよね!?」

「ああ、そうだ……これなら確かに大丈……」



「ァァァァァアア゛゛――ッッ!!」


 

「――――ハゥッ!!?」

「――ヒィいい!! なんだ、なんなんだこの恐ろしい声は!?」


 揉みくちゃになった乱戦の最中から、消し炭の様になった筈のクレイスが立ち上がり、強烈な雄叫びを上げている。

 目を剥いたエルバートが、わなわなと震えながら怨念の籠もった声に耳を塞いでいく。


「まさか……まさかぁぁあ!!?」


 ――そして彼の予感は的中する事となる。


 凄まじい怨嗟を纏いながら蘇った家畜の戦士は、死に体スレスレの体でもって、新たに握ったグラディウスを、ビキビキと肉を軋ませながら肩に担いでいく。

 そして頭から血を被った恐ろしい姿のまま、その執念だけに突き動かされて牙を剥く。


ァあぁンゴつのヤィイ反骨の槍――――ッッ!!!」


 膨張した筋肉。折り曲げた体から解き放たれた全力の槍が、エルバート達の一団へと猛然と迫る。


「あ……あ……! ぁ、ぁ、あ、あ、あ!!」


 魔人達の守りを突き抜けて、半透明の槍が風を巻き上げて突き立った!


「――――オンギィィァァパァア!!!!」


 纏めて吹き飛ばされた奏者が、そのまま何人か死に絶えている。


「ふぅぅ……ふぅ……あ!」


 地に伏せたエルバートは、荒い息を吐きながら伏せていた。運良く彼はほぼ無傷の様である。

 ――しかし彼は絶叫した。


「ぁぁぁあァア!! 指が!! 指を擦りむいてしまった!! いやぁぁあ!!」


 パニックになったエルバートは、手元を抑え込んで顔を激しく左右に振っている。まるで痙攣している様で滑稽である。


「演奏に支障が出るかもしれない……僕の、この僕の素晴らしき演奏にッぁぁあ!! ぎゃあぉあ!! 撤退! 撤退撤退撤退するよねぇ!!」


 残された奏者達もその意見に同調すると、泣きっ面をして逃走を始める。


「逃げんのか!?」


 みるみると形を崩した魔人が魔石に戻っていく。情け無い背中を見せる彼等を追おうとしたシクスであったが、完全に事切れたクレイスが地に伏せるのに気付いて思い留まった。


「大丈夫かクレイス!!」

「クレイス、おい! 無茶しやがって……」


 グラディエーターの群がり始めたクレイスの元に、シクスが眉を歪めて歩み寄っていく。


「……チッ」


 そうしてうつ伏せになったクレイスをしばし見つめると、シクスは忌々しそうに吐き捨てる。


「自分ばっかカッコつけてんじゃねぇ!」

「おいぃい!! 蹴るなシクス! クレイスはズタボロなんだぞ!? やめろ!! 後頭部をガシガシするな!! 血が、血が出てるから!!」


 セイルは炎の弓を収め、目前で振り返った魔物を見つめる。


「助けてくれたの?」

「……」

「どうして助けてくれるの? 私達の事?」


 魔物は何も語らずに、もやとなって地に溶けていった。まるでこの広大な大地に溶け込んでいくかの様に。

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