第186話 楽想に合わせ、湧き出す化身
オーケストラが短い序曲を奏でると、エルバートによる情熱的で素早いピアノが刺し込んで来る。
「――んがぁっ……なんだぁ!?」
風を巻き上げる程の爆音に、シクス達は思わず耳を塞ぎながらも、完成された楽曲に早々と聞き入ってしまった。
セルゲイ・ラフマニノフによる偉大なる傑作。ピアノコンチェルトの第3番の第3楽章が始まった。
幾度もピアノによる超絶技巧を繰り返すこの曲は、広い鍵盤の上を指先が激しく飛び回って躍動し続ける。
ただ通しで弾く事すらも困難で一流でも四苦八苦する難曲を、彼の率いる音楽団はいとも容易そうに奏で上げていく。
「タン! タタン! タララッタタラタラタンタンッ!!」
フレーズを口ずさむエルバートの体が激しく揺れる。
だが特筆すべきはやはり、この偉大なる楽曲の主役であるピアノの旋律だ。
エルバートの独創的な解釈を含めたその演奏は例の無い程に激しく、ペダルを執拗に踏み、鍵盤に叩き付ける指は、あらん限りの怒りを具現化しているかの様であった。
通しで弾けば数時間を越えるこの曲に余りにも適していない演奏。
だが、だからこそ彼の激しい情念が、果てども無く感じられる。
面食らって蹲るシクスに、クレイスが叫んだ。
「――いっきなり始めやがって!」
「シクス! 魔人を見ろ!」
彼等を取り囲んでいる数百の魔人が、その音に共鳴しながら変化していくのを一同は目撃する。
蠢動していく光のシルエットを見つめ、セイルは手に炎の大弓を現しながら顔をしかめた。
「この曲に干渉して姿を変えてる……? やっぱりこいつらがフロンス達を……!」
「お前達! 円形の陣を組め!」
得体の知れぬ事態にクレイスは守りの号令を出していた。
セイル達の周囲を盾で固めていくグラディエーター達。
そこに熱烈に盛り立てていくオーケストラの音色が渦巻いていく。
「なんなんだ……こいつらは」
盾を構えたグラディエーター達の内部から、クレイスは驚きを隠せないままにそう漏らした。
魔人達の下半身に強靭な足が二本生え揃う。そしてめきめきと太くなっていくと、前屈みになったその顔面に、
オーケストラは激しさから転調し、優雅かつ緩やかなパートとなった。体を揺らしながら涎を垂らしすエルバートは、あぐあぐと口を開け締めしながら快感に打ちひしがれると、白くなった目を見開いて笑った。
「ぁあはぁあ〜〜〜♡」
そして魔人が地を踏み締めて足を膨張させていき始める。
「来るぞ、我等の最強の盾で弾き返せ!」
反応の遅れる程の速度で走り出した一人の魔人が、円形の陣に向けて膝をブチかました。
「がっ……な、なんて威力。たった一人で!」
「俺達の絶対防御の陣形がっ」
丸型の盾に魔人の膝が食い込んでいる。鉄をも歪ませる脚力は、やはり複数本からなるその足から生み出されている。
まるで静かな水面の湖を思わせる美しい情景の旋律、その
次々に襲って来る衝撃に、グラディエーター達の盾が剥がされていく。
シクスは吹っ飛んで来たグラディエーターを抱き止めながら、肉の壁を固めていくグラディエーター達に問う。
「大丈夫なのかよお前ら!」
テンポを上げて来た曲調に合わせて、呻き声が続いていく。
呆気なく破られていく絶対防御の陣に眉をひそめたクレイスは、自らの盾を構えて吠えていた。
「いかん……っ『反骨の盾』!!」
陣を覆う様にしてその前方に、半透明の巨大な盾が宙空に現れた。
そこに突っ込んで来た魔人の膝が砕けていくのを見ると、セイルは拳を振り上げた。
「やった! これなら防げるよ!」
しかし見計らったかの様にして再現部へと突入した楽曲は、音量を上げて更に壮大になっていく。
「チャカチャカチャン、チャカチャカチャン、チャチャチャチャチャララン♪」
更に静寂の後の
まるで人の一生をその僅かなパートに一挙に敷き詰めたかの様な。はたまた疾走していく生涯と、栄華へと辿り着く集大成を目の当たりにしているかの様なソロが軽快に転がっていく。
それに合わせ、無数の魔人が身を砕かれるのに構わずに突撃を繰り返していく。盾に砕かれていく魔人達の体が、光の粒子を散らしていく。
「ぐぅぅうが……ッ!」
全身をパンプアップさせたクレイスが、食い縛った歯牙の隙間から声を漏らし始める。
「……いやッ次の手を……考えてくれ! これは想像以上に……ッ」
「え……?」
盾を構えたクレイスの腕が、怒涛の衝撃を受けて痺れ上がっている。
そして堪らず――――
「うがぅあ――ッッ!!」
「クレイス!!」
反骨の盾が魔人の嵐の様な突撃に瓦解していく。クレイスの意志に同調した強度の盾ですらもが、砕け散っていく光の魔人達の特攻に耐え切れ無かった。
守る物が無くなり、再びにグラディエーター達の円形の陣に頼る事になる三人。
鉄のひしゃげるけたたましい騒音の中で、セイルは半ばパニックのままに叫び付ける。
「シクス! 『
「あのなぁ嬢ちゃん! 俺の『幻』は対象の知覚を操るんだよ!」
「だから何よ!」
そこまで問答すると、肩を抱えたクレイスがシクスの代わりに答えていく。
「意志の無い魔人には通じないんだ」
「そ。そゆこと! だがどうして、俺の夢想は向こうからの干渉は受けるんだな。つまり殴れねぇけど殴られるって感じだ」
「……っッもう何呑気にしてるのよ!! 全然使えないじゃない!」
セイルが地団駄を踏んでいると、シクスが右眼の眼帯を外して地に落とした。そこに顕になったロチアートの赤い目で、盾の隙間から体を揺らすエルバートを睨む。
「早とちりは困るぜ嬢ちゃん。魔人にゃあ駄目でもよぉ……!」
空が赤く染まり、辺りに小型の異形が湧き出して駆け回る。それぞれにナイフを持った醜いクリーチャーが、涼しい顔をしながら演奏を続ける奏者達へと飛び掛かっていった。
――しかしシクスは直ぐに驚きの声を上げる事になる。
「あんッ!?」
自らのパートを終えて手持ち無沙汰な奏者達が、懐から魔石を取り出して辺りに散らしていた。
すると即座に形を成した魔人が、シクスの異形を餌食にしていく。
苛ついた表情をしたままにシクスは舌打ちをするしか無かった。その横でセイルが手元に漆黒の炎を起こしながら大弓に添えていく。
「私の炎なら――!」
そのまま貫かれていった矢じりの黒き射線。焼き尽くせぬ物の無い彼女の炎が、膨大な数の肉壁に阻まれる。
「どうするの? ねぇ、どうするの!? アギャーっギャギャギャギャ!!」
せせら笑うエルバートが、嘲る様に小鼻をピクつかせる。
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