第185話 偏屈盲目ピアニスト


 調子の抜けた一同は、ポカンとしてシクスを見つめる。


「あ? なんか変な事言ってるか俺?」

「あ……いや……」


 潤んだ瞳を上げたセイルは立ち上がると、シクスのみぞおちを突き上げる。


「うぐ……ぉっ!?」

「守るって言ったってどうするのよ! 素直に付いて行ったらフロンス達が殺されるってあんたがさっき言った所でしょう!」

「それは今から考えるんだよ……ごほっ」


 緊張した空気が解けていくと、グラディエーター達は視線を交わして頷き合い始める。


「そうだ……そうだよ! シクスの言う通りだ!」

「何を難しく考えてたんだ! 俺達だって鴉紋様に頼りっきりじゃ申し訳が立たねぇ!」

「お前達……」


 クレイスの胸の前で組んだ腕が力まれ、筋を立てていく。そして沈みきっていた瞳が輝きを取り戻していった。

 そしてグラディエーター達は続けていく。


「でもどうする……もし俺達の暗躍がバレたらポック達は殺されるうえに、鴉紋様に多大な迷惑を掛ける」

「だがこのまま鴉紋様を見殺しにする訳にも行くまい」

「しかし望まないだろうな、鴉紋様は俺達の助力を」

「そうだろうな……」


 彼等の葛藤を遠目に眺めながら、クレイスは貫禄を見せ付ける様にして、ゆっくりと鼻から息を吸い込んだ。


「鴉紋様は最後にこう伝えてくれと言い残した」


 クレイスの野太い声に、セイルとシクスもまた注目していく。そして彼等の迷いし決断は、その一言で揺るがぬものとなる。


と」


 歯を剥き出して爽やかな笑顔を見せるクレイス。セイルは落ち着きを取り戻して頷き、シクスは邪悪に微笑みながら続ける。


「決まりだな……兄貴の言う通り、好きにやらせて貰おうぜ」


 森の深くで、一つとなったロチアート達の咆哮が共鳴した。



 しかし息巻いた彼等に忍び寄る影があった。

 唐突に草木を掻き分けて、光の魔人達が現れたのだ。

 それにいち早く気が付いたグラディエーターの一人が、目を見開いて声を上げた。


「うわぁあまた魔人だ!?」


 たちまちに姿を現し始めた魔人の群れは、既に凄まじい数でクレイス達を取り囲んでいた。

 グラディウスを構えてクレイスは鼻を鳴らす。


「鴉紋様と分断した我々を早速狩りに来たらしいな」


 それぞれにグラディウスを構える男達の横で、セイルは不機嫌そうにシクスを睨む。


「ちょっとシクス、何で気付かないのよ! 自慢の五感はどうしたのよこのグズ!」

「っあ〜? 無茶言うなよ嬢ちゃん。こいつら匂いもしねぇし物音も全然立てねぇんだからよ」


 言いながら二人も臨戦態勢となると、魔人の群れの奥から、雑多な森には似つかわしく無いタキシード姿の男達が現れる。既にその手には魔楽器が握られている様だ。


「なにあれ、楽器なの?」

「あっひゃひゃひゃ! 演奏会でも始めようってか!?」

「油断するな。昨日の事もある……魔人には何か秘められし力がある事を忘れるな」


 丸型の盾を構え、クレイス達がセイルとシクスの前に歩み出る。すると魔人達も足を止め、ドレスコードの男達もまたその後方で動かない。


「……」

「……」

「来いよ……来いよこらぁ! なーにやってんだ、あぁ!? かかってこい!」


 シクスだけが喚く膠着した状況で、一人の青年が木陰を抜けて、クレイス達の居る広場へと踏み込んで来る。


「……」

「あん? んだテメェ!」


 何処を見ているのかも分からない位に細い目をした短髪の青年は、シクスに喚かれるまま、風に黒い髪を揺らして沈黙している。手には長いステッキを持っている様だ。


「……」

「……あ?」


 長い沈黙のままピクリとも動き出さない青年に向けて、シクスはダガーを振り上げながらがなり立て続ける。


「おい何だこの細目! 何か言いそうな感じで出て来た癖に、何も言わねぇのかよ!」

「……」

「どうしたよ! ビビっちまってんのか!?」

「……」

「おい!! 何とか言えよ!」

「……」

「お……おーい……!」


 頑なに沈黙を貫く青年は、いかにも育ちの良さそうなきめ細かな白肌を天に向けてから、ゆっくりと語り始める。


「ラフマニノフのピアノ協奏曲なら……何番が好き?」

「は……?」


 異様な雰囲気のままに口を開き始めた青年であったが、その言葉の真意がセイル達にはまるで分からない。


「皆は3番が好きだって言うけど、僕はやっぱり2番の第一楽章が至高だと思うんだ」

「何言ってんだこいつ……なぁクレイス?」

「い、いや……おそらくはクラシック音楽の話しを……?」


 無表情だった青年は、シクス達の反応にも取り合わず、にこりと笑って見せる。


「ピアニストなら誰が好み?」

「おい、また始まったぞ……」

「ラフマニノフならやっぱりジョージ・フォルスト? それともウラジミール・ルーヴィット?」

「大丈夫かこいつ?」

「そこに女の子は居るの? ロチアートでも女の子なら少し位はクラシックについて勉強した事がある筈だよ? ねぇ教えてよ僕に。聞きたいんだ。君の意見を。ジョージ・フォルストかウラジミール・ルーヴィットならどっちの演奏が好き?」


 青年は手に持った銀のステッキを前方に向けて彷徨わせる。ハッとしたクレイスが、セイル達へとそっと伝えていく。


「あの男……多分目が見えていないぞ」

「え、そうなの?」


 青年は色の無い瞳を前方へと向けながら、打って変わって絶え間なく話し続けた。


「ねぇ答えてよ。居るんでしょ女の子が? 今声が聞こえたよ? ……ピアノってのは不思議だよね。同じ譜面でもピアニストによって全く聴こえ方も印象も変わってしまうんだ。僕は君の感性を知りたいだけだよ。それだけなんだ。あれだけ対照的な演奏をする彼等を引き合いに出せば、分かりやすいかなって」

「……」


 顔を青ざめさせていったセイルは口籠る。するとすかさずに青年はまくし立てる。


「ねぇ教えてよ。僕はただクラシックの話しをしたいだけなんだ」

「……」

「儚げな余韻を残し、深い哀愁を感じさせる演奏をするジョージ・フォルストがA。よりゆったりと暖かくノスタルジックな風景を呼び覚ます様な演奏をするウラジミール・ルーヴィットをBとすると、AかBどっちが好みなんだい?」

「なにこの人……」

「僕? 僕は第13国家憲兵隊隊長のエルバート・ロバンス。ゲブラーピアノ交響楽団のリーダーでもあるよ」

「ひぇッ……聞かれて……!」

「聞かれてる? ……聞こえるさ。音だけが僕の世界なんだから。さぁ答えてよAかBだけで良いんだ。簡単な事だろう? なに、別に君を性愛的な対象に思っている訳じゃないから安心して」

「……」

「だって君は家畜だろう? そういうんじゃないんだ。ただ君と僕の感性的な相性を知りたいってだけなんだから。それによって今から演奏する曲も変えようかなって。ねぇ早く教えてよ。どちらも偉大なる名演奏者だろう? どっちが好みかって話しで、そこに正解も不正解も無いんだからさ」


 ゾッとするセイルに向けて、同じ様に不気味そうにするシクスが耳打ちする。


「めんどくせぇから適当に答えちまえよ」

「う、うん……」


 エルバートは整った白い歯を見せて、声のするセイルの方へとその顔を向けている。


「え……A! これで満足?」


 セイルの返答を聞いたエルバートは、どういう訳かみるみるとその表情から笑顔を消していってしまう。


「え、え……どうしよう。私何か間違ったのかなシクス?」

「どうでも良いだろ。どうせ今から殺しちまう相手なんだからよ」


 エルバートはおもむろに懐から巨大な魔石を取り出した。するとそれは光に包まれて、たちまちにグランドピアノとなって地に沈む。そして彼は据えられた椅子にドカリと座ると、苛立った口調で叫んだ。


「不正解……不正解不正解不正解フセイカイッッフセフセフセフセフセフセッッ!! ぎゃぁぁぁああ!! 分かりあえない……やはり醜い下民とはッ」


 彼の豹変ぶりに気味の悪さを覚えるグラディエーター達。黙り込んだ後方の演奏者達は、彼が鍵盤に指を添えるのに合わせて楽器を構えていく。


「正解は『どちらの演奏もクソ』だ!! 最高峰のピアニストはこの僕。エルバート・ロバンスなんだから!!」


 指揮棒も無く唐突に、怒りを叩き付ける様な激しいタッチでピアノが音を奏で始める。


「ねぇ、ソウデショウ!!!?」

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