第184話 メソメソしてんじゃねぇよ筋肉軍団

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 春にしては冷たい外気が森林を揺らし、葉が擦れた物音を立てている。


「鴉紋は何処に行ったの!? ねぇシクス!」

「落ち着けっての嬢ちゃん!」


 翌朝になって鴉紋の姿が無い事に気付いたセイルが、血眼になって周囲を探している。

 グラディエーター達も動揺したまま、辺りの捜索に走り回り始めた。


「……」


 そんな慌ただしい喧騒の中に、一人胡座をかいたまま沈黙を貫いている男がいる。

 それを異様に感じたシクスは、彼に近付いてからそろそろと口を開いていった。


「おい筋肉ダルマ……テメェなに落ち着き払ってんだ?」

「……」

「おかしいだろうが……誰よりも大声で喚き散らしそうなテメェが、なんでそんな……」


 セイルもまた、決死の形相でクレイスの前に立って彼を見下ろし始める。その明らかに憤慨した表情は、言葉も無く彼に返答を強制していく。


「鴉紋様は一人ゲブラーの都へと向かわれた」


 クレイスの言葉にグラディエーター達は絶句していった。そしてシクスが眉間にシワを寄せながらクレイスに詰め寄り出す。


「なんでそんな大事な事早く言わ――――!」

「――さっさと話せ……早くしろ」


 シクスの言葉を遮る形で、セイルか静かにクレイスを急かす。瞬きする事も忘れて冷淡な口調を見せる彼女に、シクスは思わず肝を冷やしていくしか無かった。


「鴉紋様は封書の真実の内容を察し、拐われた者達を救う為に一人ゲブラーへ向かった」

「一人で!? それに真実の内容って何だよ! 全員で掛かって来いって書いてあったんだろうが!」

「それは真実では無い」

「あ!?」

「あれは俺が、弱り切った鴉紋様を一人敵陣へと向かわせない様についた嘘だ」


 シクスがグラディエーター達を見渡すと、皆それは承知済みであったと頷いている。

 以前として落ち着き払った様子のクレイスは、座したまま続ける。


「お前等も気付いてたのかよ! 何で早く俺にも言わねぇんだ!」

「正直咄嗟とはいえ、見え透いた嘘だったと反省している」

「見え透いただぁ? その嘘に兄貴も気付いたってのかよ!?」


 眉を吊り上げていくシクスに、グラディエーターの一人が囁く様に耳打ちする。


「おそらくシクスさん以外全員。薄々勘付いてはいたのかと……」

「な……!」


 顔を凍りつかせたシクスの背後から、フツフツと煮えたぎる様な熱気が差し込んで来た。

 振り返ると、セイルがその足元から黒い炎を滾らせ始めている。クレイスが返答を間違えれば、即座にでも彼を焼き払ってしまいそうな気迫を瞳に逆巻かせて。


「何で鴉紋を行かせた!! あんなにボロボロの鴉紋を!」


 クレイスが瞑っていた瞳を上げながら細い息を吐くと、グラディエーター達もセイルに同調する様に口を開き出す。


「おいクレイス、セイルさんの言う通りだ、何で鴉紋様を行かせた? あれじゃ死にに行く様なもんだ!」

「鴉紋様は俺達の、ロチアート達の希望だ! 縛り付けてでもここに留まらせておくべきじゃなかったのか!?」


 黙したクレイスに向けて、セイルは手元に溜めた黒い炎を向け始める。


「おい、やめろって嬢ちゃん!」

「鴉紋は……私達の為にあんなに必死になって戦ったんだ。あんなに傷だらけになって、まだ身も心もズタボロだったんだ! 鴉紋が私達の為にどれだけ頑張ってくれたのか、お前も知っているだろう!」


 涙の溜まっていく彼女の赤い目を見上げながら、シクスは思わず押し黙ってしまった。

 そしていよいよ、彼女の手元に巨大な火球が生成され始める。


「……」


 強い熱波に曝されながらも、クレイスは神妙な顔付きをしてその場を動かない。まるで自身でも、自らを責め立てているかの様に。


「俺達は……鴉紋様に背負わせ過ぎたのかも知れない」

「……っ?」


 堂々と顔を上げながら、大きくなっていく炎を見つめるクレイスは続けた。


「鴉紋様の野望は、いわば天と地を丸毎ひっくり返す程に途方もないものだ」

「だからなんだ……鴉紋はそれでも怯まなかった! 私達の為にその身を何度も犠牲にして、その夢を現実に近付けていったんだ! 一人でも……どんなに傷だらけになっても!」


 セイルの噛み付く様な口調に対して、クレイスはそっと言葉を返す様にする。


「そう、俺達は何時だって鴉紋様に頼り続けた。自ら達で考える事もせず、ただ期待し続けた……」


 ロチアートの喰われる事の無い世界。そんな荒唐無稽な理想を謳う者は、誰一人だって居なかった。

 終夜鴉紋という規格外の男以外、誰も……奴隷としての運命を強いられる、ロチアート彼等でさえ。


「俺達は一人に背負わせ過ぎた」

「…………!」

「セイルさん。貴方には止められたか? 俺達の理想郷の為に奮闘し、身も心も摩耗しきって……使い古された歯車の様になった鴉紋様を」

「それは……!」

「鴉紋様は言っていた。旅は終わりだと、もう自らに我々の希望に答える力は残っていないと」

「でも……でも!! それじゃあ鴉紋が!」


 セイルの手元から収束していく炎。クレイスの語った思いに、全ての者は胸を針で刺された様な感覚を起こす。


 髪を振り乱したセイルは、足元に転移魔法を発生させていく。


「私は行く! 鴉紋の所に、鴉紋が死んじゃわない様に……私は!」


 シクスが彼女の肩に手を置くと、セイルはビクリとしながらグズ濡れになった顔を背後に向けた。


「兄貴はオッサン達を救う為に、封書の通りに一人で出向いたんだ」

「でもこのままだと! 殺されちゃうよ! 何も食べて無いんだよ! ボロボロなんだよ!?」

「嬢ちゃんが行ったら、オッサン達が容赦無く殺されるだろうが……それこそ兄貴が何の為に戦いに行ったのか分からなくなる」

「……!」

「兄貴は最後の力を振り絞って、仲間を取り返そうとしてんだ。それ位、俺にも分かったぜ?」


 膝から崩れ落ちたセイル。力無く体を力ませていくグラディエーター達は、苦悶を刻み付けて顔をしかめていく。

 しかしシクスは違った。


「確かに筋肉ダルマの言う通り、俺達は身の振り方を考えなきゃならねぇ」


 立ち上がったクレイスが、シクスへと寄りながら瞳を伏せていく。


「最早打つ手は無い。我々の夢は終わりだ」

「あ?」


 怪訝な表情を見せるシクスに、クレイスは悔やみきれない様子のまま筋肉を盛り上げていく。


「最凶最悪の悪夢の張本人。終夜鴉紋を討たれれば、最早我々に人間共へと抗う力は無いだろう……」


 クレイスの述べた囁きを最後に、一同は項垂れていっま。

 悲しみに暮れ、すすり泣く声が陰気な空気を醸し出していく。


「はぁ? 何言ってんだお前等」


 ――そこに一人、いつもの様に飄々とした声を出すシクスが残る。


「世の中にゃあ誤解されてるが、兄貴程優しい人物はいねぇよな……いつだって俺達の為に戦い、ロチアートを守ってくれてるんだからよ」


 空気が読めていないのか、はたまたそうでも無いのか、シクスの調子が分からずに、グラディエーター達は彼を注視していった。


「なにメソメソしてんだ。俺達のやる事なんか一つしかねぇだろ」


 そしてヘラヘラしながら尖った犬歯をセイルやグラディエーター達へと向ける。


「今度は俺達が兄貴を守る番だろうが」

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