第182話 優雅で低劣なるヴァイオリニスト

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 曇天の薄暗い明朝を鴉紋は歩いている。

 雲に隠れて射し込むつもりも無い朝陽は、風景の色を失せさせている。


 ――何故だ。何故お前は俺の体を奪わない?


 キッチリと整備された石畳。漠然と白をイメージさせる小綺麗な道程は、遠くにそびえるゲブラーの都へと続いていた。


 ――次に翼を現す時、俺の体を奪うと言った筈だ。


 草原に伸びた白き道を、足を引き摺った亡霊が進んでいく。弱り切った背中は丸く、前を見据える眼は細い。そして何よりも――


 ――持ってけよ。俺と代われよ……!

 ――代わってくれよ……


 眼光に宿った、滾る情熱すらもが失せていた。


 ――何故力を抑え付ける? 何故翼を開くのを拒絶している?

 ――分かってるんだ。お前が同調しないと翼が現れないという事も。


 ――さっさと望む様に、この体を奪い取っていけよ……!


 か弱い男は一人、俯いて呟いた。小雨に濡れた前髪から、雫が伝って足元へと落ちる。


「お前の方が上手くやれるだろう……!」


 薄い闇に溶けていった声に答える者はいない。

 その代わりに、鴉紋の元に正面から堂々と歩み寄って来る者達が見えてきた。


「招待状を寄越した癖に……その道を阻むのか」


 鴉紋は向かいから歩んで来る者達の背後に、闇を打ち消す魔人の群れを認めて戦いを予感する。ツバを吐き捨て覚悟を決めると、その体が足元に至るまで黒に変わっていく。


「や~や~や~。貴方が終夜鴉紋ですか? あれあれ不思議。聞いていたよりもずっと弱々しい」


 きらびやかな衣装に身を包んだ男達の前で、一人調子づいた口調の若い男が話し始める。その声は高く、鴉紋の精神を逆撫でする様であった。


「貴方が終夜鴉紋? 本当に? あらあら以外」

「鬱陶しい話し方をするんじゃねぇ」


 緩くカールしたブラウンの長髪男は、片方の眉を上げてじろじろと鴉紋を観察し始めた。まるで目上から品定めするかの様にして。

 居心地の悪さを感じながら、鴉紋は苛ついた視線を上げる。


「何処ぞの糞コンサートホールに招待したのはてめぇらじゃねぇのか? クラシックとかいうスカしたもんが嫌いな俺が、わざわざ出向いてやっているのにどういう待遇だ?」


 敵意剥き出しの鴉紋に対し、男はどこ吹く風といった具合に背後へと振り返っていく。いちいち鼻につく態度に、鴉紋の機嫌は更に悪くなっていった。


「ウェ〜〜ビィ〜〜。ティーを」

「はい。Mr.カルクス。直ぐにお淹れしましょう」


 男はパッチリとした瞳を瞬きながら、背後のチョビ髭の老人に紅茶を要求する。鴉紋の問いに答える所か、そもそも聞いていたかも疑わしい。


「はぁ……?」


 眉をしかめて立ち尽くす鴉紋の前で、カルクスと呼ばれたキザな男は、差し出されてきた椅子に腰掛けた。そしてティーカップに乗った紅茶を受け取る。


「おい待て、何勝手に茶なんて飲んでんだ?」


「う〜んウェービー。これは良い茶葉だね」


 優雅な所作で紅茶を飲み始めたカルクスは、つくづく鼻につく態度で湯気を鼻腔に吸い込んでいく。ひらついた白の衣装を風に揺らし、広がっていくモーニングティーの余韻に恍惚として瞳を瞑っている。


「このコク……微かに残るフルーツの香り。口に広がっていく独特の茶葉の余韻。僕には分かるよウェービー。これはクルネ地方のダージリンだろ?」

「いいえ、こちらはアッサムで御座います」

「……」


 カルクスは眉根の一つも動かさずに、張り付いている優雅な居住まいのまま、口元を微笑ませる。


「だと思ったよウェービー」


 カルクスの涼やかな返答。途端に後方からは歓声が上がる。


 勝手な振る舞いに怒りながら、鴉紋はうんざりとして一歩踏み出していた。


「おい……!」

「う〜ん〜。凡人は気が短くていけないね」

「うるせぇ。やるんだろモヤシ男! さっさと来いよ、てめぇの引き連れた雑魚も人形も、全て捻り殺してやる!」


 カルクスは残った紅茶を地に捨てると、ティーカップを手渡して立ち上がった。

 そして彼を筆頭にして、後方の男達も懐から魔石を取り出していく。


「貴族として名乗っておくよ。僕はカルクス・ヴェルダント。皆はMr.カルクスって呼ぶよ。肩書きとして第15国家憲兵隊隊長という事で、一応騎士でもあるんだ」

「俺にもそう呼べって言うのか? 充分イカれてるぜてめぇ」

「oh! 威勢が出て来たね。それでこそ抜け駆けして狩りに来た意味があるよ」

「狩り……てめぇが? 舐められたもんだぜ」

「そうさ。この世を混沌に陥れた男を、この僕カルクス・ヴェルダントが討伐する。そうすればこの僕の名と美貌は、一生語り継がれていく事になるだろうっ」


 彼等の持った魔石が管弦楽器へと代わって手に構えられていった。

 そしてカルクスは半身となってヴァイオリンを肩と顎で挟みながら、横目で鴉紋を見下ろして笑む。


「この僕だけで無く、我等ゲブラー管弦楽団の名と演奏もね」


 ヴェービーが懐から指揮棒を取り出して奏者達へと振り返った。

 そしてカルクスが得意気に指を鳴らすと、振りあげられたタクトと共に、管弦楽器の演奏が始まる。

 おどろおどろしく、それでいて優雅に、力強く、悠然としたままに、まくし立てる様なに演奏がテンポを早めていく。


「ちっ……いけすかねぇ奴等だ。戦いの最中に演奏なんて始めやがって、訳が分からねぇんだよ」


 草原に響く管弦楽器よる演奏。魔楽器による特徴的な旋律は、屋外においてもその音を何処までも伸ばしていく。


「ドヴォルザーク。交響曲第9番第4楽章『新世界より』」


 カルクスが踊り出す様にしてくるりと回りながら曲名を告げると、荘厳なホルンの音色が鴉紋の耳に差し込んで来る。


 何処か聞き覚えのある曲に気付き、鴉紋はハッとした顔を彼等へと向ける。


「何故……をお前らが知っている?」


 鴉紋はこことは全く違う異世界から、訳も分からず転移して来た筈だ。

 繋がる筈の無い世界線が、ある一点であるが重なっている事に驚愕していく。そして頭に手をやって思い出していった。


 ――思えばそうだ。こっちの世界に来て直ぐに、あの忌々しいジジイの家で聞かされた曲も、俺には聞き覚えがあった。梨理の肉を喰わされながらに聴かされた、あの曲は……

 ――グレゴリオ聖歌。そうだ、あの宗教音楽も俺の世界に既にあったもんだろうが。


 ――何がどうなってる? 何故てめぇの命を諦めた途端に、元居た世界との因果に気付く?


「おい! なんでお前らがその曲を知っている!」


 鴉紋が叫び付けると、心地良さそうにヴァイオリンを弾いていたカルクスは豹変し、顔を真っ赤にして叫び出した。


「エンソウ中に話シ掛けるなゲボが――ッッ!! ソンナ事も分カラネェのか!!?」


 発狂したかの様に甲高い声で、カルクスは目を吊り上げていく。そこに先程までの余裕ぶった態度は無く、ただ偉大なる曲に対する崇拝のみがあるのだ。


「このド腐れ野郎!! マナーも知らねぇテメェの相手はコイツラがスルンだよぉ!」


 ブチ切れたカルクスの醜い本性を垣間見ながらに、鴉紋は鼻を鳴らして吐き捨てる。


「そうかい貴族様。だったら勝手にやらせてもらうぜ……」


 カルクス達の前に光の魔人達が歩み出して来る。その数はざっと二百にもなるだろう。何やら魔人達の体から放出されている光が拍動する様に明滅している。


「このクソみてぇな演奏に反応してんのか?」


 魔人の纏う光が、その形をとろけさせていきながら、形を変えていく。


「気に入らねぇな……俺はクラシックを好む高飛車共が全員いけすかねぇんだ。丁度良い……」


 激しくなっていく音色に合わせて、魔人達の群れが一斉にその姿を変形させ始める。

 不敵に笑んだ鴉紋は、次に激情の顔を上げ、地を蹴って高く飛び上がっていた。


「全員細切れにしてヤル――ッ!!」

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