第181話 破壊の天使


「なんだそのセンスの欠片もないジョークは!」

「あい……ぁあ……」

「しかも何だ!? それは嫌味か! 俺への当て付けのつもりか!」

「そんな事は滅相も……!」

「当て付けか? 当て付けなのか! 当て付けなのだろう!!?」

「ぅぁあぁ……!」

「そのゲスを追払え!! 演奏も出来ずジョークも言えぬクズがッ!」

「あぁギルリート様……どうか、私めに……」

「黙れぇ! さっさと蹴り出せ! 二度とこの敷居に足を踏み入れるなっ!」


 愕然とした男はホルンを落とし、有無も言わさずに檀上から引き摺り降ろされていった。


「フゥ……!! フゥ……! なんて品の無いジョークだ……俺はそんな冗談が大嫌いなんだ、反吐が出る!! お前達も愛想笑いなどするな! 自らのセンスの無さを露呈するのと同じだぞ!」


 しばらく息を荒くしていたギルリートは、やや落ち着きを取り戻してから、檀上で泣くチェロの女へと視線を向けていく。


「さぁ女。次はお前の番だ。お前もここで自慢の曲でも演奏するか? それともこの俺にジョークを聞かせてくれるのか?」

「あぅうう……ひぃぃ……」


 あわや失禁しそうな有様で膝を震わせた女は、歯をカチカチと鳴らせて眼球を上転させていった。

 ――するとそこでコンサートホールへと続く大扉が開かれた。


「ギルリート様。昨日捕えた下民をお連れしました」


 フォルナを先頭にして第14国家憲兵隊、及びゲブラー歌劇団の面々がホールへと踏み込んで来る。後方からは、一晩かけて拷問に掛けられたフロンス達が縛られていた。


「フォルナか……相変わらず突発的な女だ」

「それは失礼ギルリート様。昨晩は帰りが遅くなったので日を改めたのですが、夜半に寝室の扉を開け放った方がよろしかったでしょうか?」


 やれやれと言った具合に肩を竦めたギルリートを他所に、フォルナは檀上へとフロンス達を担ぎ上げる様に指示をする。


「勘弁してくれゲブラーのディーヴァよ。神聖なるステージに下等種を上がらせないでくれ」


 ギルリートの横でツンとして腕を組んだフォルナは、何も聞こえないフリをしてそのままフロンス達がステージに転がされるのを黙して見ていた。

 ボロ雑巾の様になった三人のロチアートを認めると、ギルリートは汚物でも見たかの様に顔をしかめて呻き出す。奏者達も悲鳴を上げ始めた。


「おぇ……良く触れるな。俺にはとてもムリだ。直視する事にさえ嫌悪感を覚える」


 フォルナはギルリートに取り合わず、淡々と質問を続けていく。


「この下民達、いかがなされます? 言いつけ通り招待状は置いて来ましたが、こいつらたった3匹の命で終夜鴉紋がノコノコと現れるとは思いませんわ」

「ふぅむ……それもそうだな。よしんば来たとしても、お行儀良く一人で来るとはとても思えん」


 赤いメッシュの入った髪を指に巻き付けたギルリートは、少し考えてからあっさりとこう告げた。


「殺せ。そしてその首を奴に贈ってやろう。それ位せねば、奴も言いつけ通りに来る気にはならんだろうからな」

「はいギルリート様。仰せの通りに」

 

 フォルナは開いた胸元から黒い魔石を取り出して檀上に向けて投げた。すると発光し、瞬く間に魔人の姿となって、うつ伏せになったフロンスの髪を引っ掴んで引き起こす。そして右手の光の剣がその首へと狙いを定めていく。


「おいやめろフォルナ! こんな所でやる奴があるか!」

「……ぅ」

「あ? まだ意識があるじゃないか!」


 ギルリートが慌てふためくと、瞼を腫れ上がらせたフロンスが、薄目を開けて玉座の男を見つめ始める。


「おい、あの赤い目で俺を見つめさせるな、嫌な気持ちになる! さっさと連れて行って首をはねろ!」

「あな……たですか……ゲブラーの天使の子……ギルリート・ヴァルフレアというのは」


 たどたどしく紡がれ始めたフロンスの声に、ギルリートは耳を塞いで動揺を示す。


「おい下等生物が俺に話し掛けているぞ、良いのか! 気持ちが悪い! 最悪の気分だ!」


 余程ロチアートを嫌悪しているのか、ギルリートは寒イボを立ててフロンスから視線を逸らしていく。


「そんなに怖がらなくても良いですよ……ギルリートさん」


 フロンスの声にギルリートの耳がピクリと反応を示す。


「怖がる? この俺が下等なお前達を恐れている様に見えるのか! 家畜は低俗故に何を考えているか分からん! でもしたらたまらんから言っているのだ!」


 フロンスは一度クスリと微笑むと、じっくりと間を開けてから口を開いていった。


「私達は恐れませんよ。直にこの都は陥落し、我々は家畜の様にして貴方達人間を扱いますが、その時には慈愛を持って、優しくあげます」

「……!」

「喰う事は私にとって、=イコールなのですから」


 おぞましき思想を口にする家畜に、奏者達はざわめきながら軽蔑を刻み付ける。


「なんて危険思考だ……よもやギルリート様に向かってこれ以上の狼藉があるか!」

「家畜が人間の肉を喰らうというのか……なんと恐ろしく、愚劣なのだ」

「卑しく低俗な冗談はそこまでにしておけ! よもや天使の子の御前である事を忘れた訳ではあるまい!」


 天使の子に対するこれ以上無い暴言。それによってフロンスに向けられ始める誹謗中傷の嵐。奏者の全てが怒り、一人として侮蔑を露にしない者は居ないと思われた。


「…………くふ…………く……っ」


 漏れ始めたギルリートの声に、奏者達は彼の言葉にならぬ程の怒りを予感して振り返っていった。

 だが――――


「くふっ……クッふふふ! くぅワッハハハハハッ! あっはひひ!! ひぃぃ!!」


 足をバタつかせて玉座にふんぞり返り、腹を捩るギルリートに奏者達は目を疑った。


「あーーヒャヒャヒャ!! クフッフフフフ!!」

「ギルリート様……?」

「余りの怒りに感情がひっくり返って笑っているのだ、そうに違い無い」

「そうだ、あれは怒りの表れだ。となると、どれ程怒っているのか計り知れんぞ」


 マスクから涙を頬に伝わせて破顔する天使の子は、ひとしきり笑い切った後に、大きく息を吸っていく。

 そして奇妙そうにしているフロンスに向けて、ギルリートは称賛の手を打ち始めた。


「そうか……ひ、お前達の噛み付き方を俺はどうやら勘違いしていたみたい……くふっははは……! また思い出して……っくく!」


 気味悪そうにするフロンスに、ギルリートは皮肉や嫌味とはまた違った様な声音で続けていく。


「さっきのジジイより百倍マシだ。人間よりも家畜の方がセンスが良いとは誤算だった……ふふ、ふ……腹が痛いぞ……!」

「貴方、本気で笑っているので?」

「あぁそうだ。俺は家畜は差別するが、上質なジョークに差別はしない……くぅウフフ! お前はセンスがあるな! 家畜にしておくには勿体無い位だ!」


 げんなりした様子のフォルナの横で、ギルリートは涙を拭う。


「殺すのが惜しくなって来てしまったでは無いか……クフフ」


 すると再びそこで、ホールへの大扉が勢い良く開け放たれて来た。


「ギルリート様! 至急耳に入れたい事が!」

「なぁーんだ雑兵。次から次へと今日は……くく」


 明らかに機嫌が良くなっている天使の子に、軽装の兵は口早に伝える。


「終夜鴉紋が一人、ここに向かっているとの連絡が入りました!」


 会場はざわめき、ギルリートもまた口をすぼめてその僥倖に驚いている。


「意外。こんな簡単に釣れるとは思っていなかったぞ、ククク。喜べ家畜、お前を人質として生かしておく理由が出来た」


 不敵に微笑む彼に、フロンスは嫌味を持って投げ掛けていく。


「さぁどうするので? 鴉紋さんは恐ろしく強いですよ」


 ギルリートは緩く笑みながら立ち上がると、微かに緑掛かった大きな翼を開いた。ヒレの様に尖った羽が、高揚する様に震えている。


「いかに強烈なる駒も、圧倒的たる数の前には成す術も無いのだ」


 前開きになったコートの懐から、ギルリートは溢れる程の黒の魔石を取り出して空に散らす。

 ホールを埋め尽くす程にひしめいた光の魔人達に、フロンスは声を失い掛けていく。


「魔人は、やはり貴方が使役する使い魔だったか」

「魔人? そんな下卑た名で呼ぶな。こいつらは――」


 足元に大量の魔石を溢しながら、ギルリートは自信気に諸手を開いていった。


「天をも埋め尽くす使だ」

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