第176話 性悪なるディーヴァ
肌にビリビリとしたプレッシャーを感じながら、フロンスは変わり果てた魔人の群れに刮目する。
「なんという……」
体から鋭利な光の突起を逆立てて、パンプアップした図体は人の倍程になっている。更に表情の無かった面相に大きな口が表れ始めた。
何かを悟ったポックがわなわなと口を開いていく。
「……逃げるっすフロンスさん」
「え……」
「マッシュを連れて逃げるっすよ!」
歯牙を剥いて、ポックはフロンスの前に立った。そして双剣を構えて姿勢を低くしていくと、彼の周囲に風が立ち上り始める。
「見たら分かるでしょ! あいつらヤバいっす! 鴉紋様の元まで逃げて下さいっす! そんなに離れてないっすから!」
確かに鴉紋達の居る地点はここから精々二百メートル程であった筈だ。何だったらこの大音量の歌劇も聞こえていて不思議では無い。
「たすけてぇえ!! 敵だよおおッ!」
甲高い声でマッシュが叫ぶが、声は一向に返って来ない。
「どうして返事をしてくれないんだよぅ、終夜鴉紋〜っ」
それ所か、耳を澄ますと先程まで聞こえていた木々の揺らめきや風の音までもが聞こえて来ない事にフロンスは気付く。
「遮音結界か……」
辺りに音を遮る結界が張られている。用意周到に自ら達を取り巻く歌劇団に睨みを効かせ、フロンスは既に彼女達の策略にハマっている事を悟る。
「……分断して戦力を削ぎ落としていく気ですか?」
フォルナは答えぬまま、その情緒を深みに沈めて哀歌を歌う。悲しみを身振り手振りで表現し、その美声を器楽合奏が彩る。
「演奏隊の方は無防備っすよね!」
「待ってポックさん!」
風を纏い、高く飛び上がった双剣の煌きが、魔人を飛び越えて歌劇団へと向かう。
するとフォルナが細かく俊敏なアジリタを始める。ソプラノの美声が転がると、その素早いリズムに合わせて魔人の手元が光り始めた。
「魔法っすか――ッ!? うぁあ!」
「ポックさん!」
「ポック!」
無数の光弾に身を貫かれたポックが地に落ちて悶える。
「いつつ……音楽に合わせて変化しているっすか?」
見ると魔人の手元が銃槍の様に変化している。そこから魔力弾を打ち出した事は明白であった。
「逃げてください!」
「あぁもうッ! うんざりっす!」
そのまま美声は速いパッセージを続けた。彼女の声の変化にも器楽合奏は柔軟に付いていき、決して音を外さない。指揮者も無く一団として流麗な音を奏でる彼等は、演奏者として高みに達している。
そして類稀なる才覚を思わせる歌声と共に、ポックに光弾が降り注いだ。
「うぬぅああー! キツいっすよ!」
立ち上がり、疾風に乗って光の霰をかいくぐったポックであったが、彼を追い立てる様にして演奏は転調する。
「早く逃げて下さいっす!」
「とは言っても……既に魔人に取り囲まれています!」
「あぁーもう!」
哀しみに暮れていた情緒が激しく暴発する様に、演奏はより一層に激しい様相となり始めた。
撤退を決めたポックは飛び上がり、フロンスとマッシュの前に立ちはだかる魔人に剣を乱舞した。
「ッ硬い! 何時の間にか、皮膚が石みたいになってるっっすよぉお!!」
とは言いながらも光の魔人を一人なぎ倒して、ポックは二人を抱えて素早く駆け始めた。
すると彼の背を眺めながら、フォルナは両手を振り上げる。
壮大な演奏の最高潮の盛り上がりに合わせ、力強い発声のアクートを始める。
「抜けるっすよ!」
腹に力を込めながら高く長く張り上がるソプラノの声は、空気を揺らし、空を突き抜けていく。
すると魔人の手元の光の剣が、それぞれに身長を越える超大なサイズへと変化を遂げていく。
「――ッあ!」
風に乗り、魔人の群れを振り切ったと思った三人の前方から、無数の光が発光していた。
足を止めるしか術が無くなったポックの懐から、フロンスは愕然として瞳を剥いた。
「これだけの兵力を無尽蔵とは……」
既に仕掛けられていた魔石から、光の魔人が増殖して立ち塞がっていた。
「なんでこんな事になるっすか……」
未だ鋭く伸びるビブラートの余韻と共に、走り込んで来た魔人の長剣が、ポックの背を裂いて光が暴発した。
「――ッか!!」
そのインパクトに白目を剥いた三人は、一挙に気絶して地に伏せる。
続々と集まって来る魔人が、牙の様になった鋭い歯牙を口元に見せた。
歌劇団はクライマックスを演り終えて、尚も続く寂しげなパートを続けていた。
たとえ会場から観客が消え失せても、彼等は曲を途中では切り上げなかった。それが崇高なる音楽家、プロフェッショナルの流儀であると言わんばかりに。
そして消え入る様なデクレッシェンドと共に、器楽合奏がフェードアウトする。
終幕となり静謐となった檀上で、フォルナは感極まって垂れた涙を払った。
「下民。下民。おい下民。ディーヴァのオペラを生で聞けるなんて、貴方達には二度と無い事よ」
彼女の舞台での美しき様相は影を潜め、ライトアップが終わったかの様に暗い心象を与える。
フォルナは地に伏せた家畜を見下す様にしながら、大胆に開かれた胸元から、赤い封書を取り出して地に捨てる。
「招待状よ……終夜鴉紋」
魔力を噴き出し続けた魔人はみるみると収縮していき、石に戻って地に散らばる。籠められた魔力を使い果たした魔石は、もうただの石塊に変わり無い。
魔楽器を魔石に戻し、演奏隊はフロンス達を担ぎ上げる。
フォルナは再びに闇を纏いながら、赤い口元から艶っぽい声を残した。
「ナイトメア……今度は私達が貴方に夢を見せてあげる……最上級のコンサートホールでね」
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