第177話 弱き者は委ねる

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 セイルの転移魔法でキャンプ地へと戻った鴉紋達。

 ものの数十分しか経過していないにも関わらず、彼等の視界に映り込んだのは、踏み荒らされた空虚なる地であった。

 ほうれい線を立てながらクレイスが重い息をつく。


「遅かったか……この俺が謀られるとは」


 潰されたテントへを覗き込みながら、セイルは彼等の名を叫ぶ。


「フロンス! ポック、マッシュ!!」


 静かに憤り始めた鴉紋は、声も無く辺りに視線を行き渡らせる。

 グラディエーター達も散会して辺りを探り始めたが、見付かるのは地に無数に転がった魔石のみである。

 息を飲んだ彼等は口々に語り始めた。


「魔人の群れに襲われたんだ」

「だが何故だ、あのポックならば、どれだけの数に囲まれようとあの魔人に破れはしまい」


 クレイスは苛立ちを抑えながら、魔石の一つを拾い上げて指先で潰す。


「これは……」


 そこから立ち上る魔力の残滓は微量であり、残りカスの様でしか無い。これまでに葬った魔人の魔石は、確かに高くまで上がって煙を巻いていたのに。

 背の筋肉を膨張させて怒るクレイスに、シクスは語り掛ける。


「言われてみれば、きな臭ぇとも思ったぜ。余りにも弱過ぎるんでなぁ」


 舌打ちをしたシクスにクレイスは勢い良く振り返った。厳しい顔付きにシワを刻みながら、悔しさを滲ませていく。


「ポックは小柄で臆病だが、実力は我々グラディエーターのナンバー2だ。魔人が秘めた力を解放したとあっても、ものの数分でなど……っ」


 額に手をやったシクスが、地に落ちた赤い封筒をつまみ上げて流し目を向ける。


「ここに来たのがならな」


 殺人鬼の頃の鋭い目付きをしたシクスに、セイルは怪訝な表情を向けていく。


「一番に思い付くのは、ゲブラーの憲兵隊だね」

「クソッ!!」


 地に拳を着いたクレイスの眉間が険しく寄っていく。


「これは計画的な襲撃だ……既に居場所が割れていたのだ!! なんて迂闊なんだ俺は!!」


 静まり返った一同が鴉紋を窺う。しかし彼は怒りをその顔に刻み付けながらも、真一文字に結んだ口元を動かさない。


「これ……読むぜ兄貴。文字読めなかったよな」

「…………」

「ヴェる……ベ……? ……き、きゅう……だあっ! 俺も文字読めないの忘れてたぜ。これ読んでくれ筋肉ダルマ」


 投げ渡された赤い封書を開き、クレイスは細い目をして流暢に読み上げていった。


「ベルム宮殿大コンサートホールにて待つ。ただし…………」


 どういう訳なのかそこで言葉に詰まったクレイスであったが、瞳を上げてその続きを読み上げた。


「ただし……仲間も引き連れて来い……ギルリート・ヴァルフレア。そう、あります」


 クレイスの揺れぬ赤い虹彩が鴉紋を見つめる。

 鼻息を荒くしてそのメッセージを聞いていた鴉紋に、シクスはニヒルな笑みを見せた。


「俺達も連れて来いってか? キハハっそいつぁ随分と自信家だ! 誰だか知らねぇが丁寧に名まで記してやがるし、こいつは挑戦状だぜ兄貴?」

「……ギルリート・ヴァルフレア」

「……あぁ〜? 兄貴?」


 鴉紋はただ、その書面を記した男の名を繰り返しすのみだった。

 その名に聞き覚えのあったセイルは大きな声を上げる。


「それって確か……」


 複雑な心境に瞳を伏せたクレイスは、ソッとその問いに答えた。


「あぁ、ゲブラーの天使の子だ」


 どよめき立つ周囲の声に紛れて、ギラついた歯牙を剥いたシクスが鴉紋に向ける。


「カッハハ! 向こうから御出ましとは都合が良いなぁ兄貴! まとめてブッ潰して挽き肉にしてやろうぜ! 今の兄貴にゃあ敵なんていねぇもんなぁ!?」

「……あぁ。……そうだなシクス」


 だが鴉紋はいつもの様に荒くれた口調にならず、ただ冷めたような瞳をシクスから反らしていく。舌を突き出してチロチロとしていたシクスは、期待していた反応を裏切られて固まる。

 踵を返し、切り株の方へと足を引き摺って行った鴉紋。彼の心情が分からず、頭上にクエスチョンマークを出現させていたシクスに、セイルが近寄っていく。


「なんだよ兄貴……どうかしたのかよ、変だぜ」

「まだ心身共に疲弊してるんだよ……だって、さっきようやく目覚めたんだよ?」


 何処かいつもの覇気に満ち溢れていない背中に、シクスは瞳をパチクリとさせてクレイスへと振り返った。


「一月も意識朦朧だったんだ。ろくに食べても無いし、力が出ないのは当たり前だ」

「お、そっか……そうだな。うんうん、そうだ! そうと決まれば――」


 何かくだらない事を閃いた様子のシクスをセイルが止める。


「やめなよ。そっとしていてあげないと」

「兄貴には血が足りねぇんだよ嬢ちゃん! 何か喰えば元気に戻るんだよ」


 巨大な切り株にドカリと座り込んだ鴉紋に、シクスは駆け寄っていく。グラディエーター達も意図を察したらしく、共に続いて崩れたテントの中をま探り始めた。

 何か考え込んだ様子で瞳を瞑った鴉紋の前に、手に様々な食料を持った男達が集っていく。


「兄貴! こいつらから聞いたぜ? もう喰えるんだろ?」

「なんだシクス……少し休ませろ」

「鴉紋様、俺達に言って下さいましたよね? だから是非これを食べて血を蓄えて下さい!」


 緩やかに目を開けていった鴉紋の前に並ぶは、彼等の手に乗った干し肉や、塩漬け肉、燻製肉の数々。


「あ…………?」


 あんぐりと口を開いた鴉紋に、グラディエーター達は朗らかな笑みを向ける。


「大丈夫ですよ鴉紋様! これはです。ロチアートのじゃありません?」

「なに……を、言って……?」


 突き出されて来た鍋の中に、赤茶色い肉が浮かんでいる。


「肉って……人間……の肉……?」


 色を失っていく鴉紋に気付かず、グラディエーターは溌溂と口を押し広げる。


「言ったでは無いですか鴉紋様! すぐにロチアートが人の肉を喰う時代が来ると! 報復なのだと!」

「…………え……っ」


 屈託の無い笑みを放心しながら見下ろしていると、手に大きな干し肉を握らされた。


「さぁ食べるのです鴉紋様! 野菜や穀物では力が湧きませんよ! はは!」

「俺達の分は気にしないで。もう充分に口にして来ましたから、


 黒い手に握った巨大な肉塊を見つめ、鴉紋は確かに自らの叫んだ言葉を思い出す。

 驚愕とする鴉紋を、セイルとクレイスが静かに見守っている。


「あ……人間の…………ぁ? 俺と同じ……人げ……?」


 茫然としながらも、鴉紋の腹は鳴って、口元には唾液が垂れる。疲弊しきった体が肉を渇望しているのを感じる。


「ほら兄貴。喰わなきゃよ、人間共をブッ殺せねぇだろ?」

「シクス待って……待ってくれ」

「んだよ兄貴、喰わなきゃマッシュもオッサンもポックも助けに行けねぇだろ?」

「頼む……ま、待っ――――」

「なんだよ兄貴。まさか喰えねぇって言うのか?」


 シクスは困った様な表情のまま、邪気も無く白い歯を見せて続ける。


「ロチアートはこうやって人間に喰われ続けて来たんだぜ? だから?」


 言葉を失った鴉紋は、その言葉を脳内で反芻しながら、瞳を闇に沈めていく。

 笑みに囲まれながら、耳にグラディエーター達の声を聞く。


「さぁ鴉紋様。仲間達を救う為にも!」

「野望の為に、闘争の為に!」

「さぁ!」


 カタカタと震える掌のまま、鴉紋はそっと肉を口元へと近付ける。

 久方ぶりの香ばしい肉の香りが、鴉紋の脳を駆け巡ってアドレナリンを分泌していく。

 嗅覚に刺激された唾液腺から水が溢れ出す。空っぽの胃が痛い位に震えて歓喜し始める。


「――――――ッッ!!!」


 梨理のあの時の肉が。蠢く食感が、流れ出す肉汁が、


 吊り下げられ、肉を削ぎ落とされた彼女の姿がフラッシュバックする。


「あ、兄貴……?」

「どうしたのですか、鴉紋様……?」


 口元でその手を止め、涎を口元にだらだらと溢したまま、鴉紋は引きつった顔で泣いていた。


 そして肉はポロリと掌から落ちる。


 弱々しく、しゃくりあげながら泣く鴉紋は、涙で朧げな視界の先に、また彼女の幻影とその香りを思い起こす。


 トラウマに負け、落涙しながらに鴉紋は項垂れる。

 貧血を起こした頭がぐわんと揺れる。


 ――もう駄目だ……俺は、俺は…………


 生きる為に、戦う為に、鴉紋は肉を喰らわねばならなかった。あらゆる力の糧となる肉を喰わねば。


 ――俺じゃあ駄目なんだ……俺はもう、戦えないから


 だがそれすらもが鴉紋には出来なかった。そして彼は自身に落胆し、失意の最中へと放り込まれる。


 ――赤い瞳こいつらの夢にも期待にも、もう俺には応えられない




 




 結局、ロチアート彼等の期待に応えてきたのはずっと、鴉紋自身では無く、もう一人の影なのだと鴉紋は気付く。


 ――――じゃあ……


 そして自身を軽蔑し、嫌悪しながらに、鴉紋は黒い掌を力強く握り締め出した。


 ――


『次に翼を開く時。それがお前の最後だ』


 影の声を思い起こし、鴉紋はその全身に力を込めていく。

 みるみると、その足元から黒い肌が侵食を始める。


 必死に彼を止めようとするセイルの声を遠く聞き覚えながらに、鴉紋はこう最後に思い、歯を食い縛った。


 その背に翼を開く為に。


 ――もう大切な人も死んだから

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