第169話 潰れた心はもう戻らない

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 黒き嵐が吹き荒ぶのを止めるのと同時に、リオンはその丘を駆け出していた。咄嗟にその後に続いたピーターも、彼女と同じ様に血の気の引いた表情をしている。

 反応の遅れたセイル達を残して、二人は砕け散ったダルフの元へと、そこに佇む鴉紋の元へと向かう。


 紫電の残滓が残る地で、鴉紋は吹き飛んでいったダルフの頭に歩み始める。空に滾っていた四枚の翼が霞んで消えていく。

 嵐に体を投げ出していたグラディエーター達の前を過ぎ去ると、薄目を開けて腹に風穴を開けたクレイスの元で鴉紋は立ち止まった。


「起きろ」


 既に心臓の止まっている亡骸に、鴉紋は黒雷の満ちた掌を向けた。

 そこから明滅する細き電流が起こり、クレイスの体を包み込むと、その身を跳ね上げ始める。


「鴉紋様何を?」

「クレイスはもう……」


 程なくしてクレイスは瞳をカッと見開き、息を吹き返していた。


「――――ヅぁ゛ッ!! がホ……っ!!」

「ク――クレイスッ!?」

「まさか、クレイスが息を!」


 止まった心臓を電気ショックの要領で無理矢理に動かし、鴉紋は彼を恐ろしい瞳で見下ろす。


「鴉……紋さま……」


 口元から血を垂らしながら、クレイスは風穴の空いた体を震わせて身を起こし、主の前で膝を着く。


「この身……鴉紋様の為だけに……」


 忠誠を誓う彼の声をつまらなそうに聞き流した鴉紋は、そのままダルフの首の方へと歩み出していってしまった。

 クレイスは浅い息をして地に寝そべると、おぼろげな瞼を起こし、自らの腹を確かめる。


「急所を外して…………ぁあ、やはり貴方は我々ロチアートの……」


 気を失ったクレイスにグラディエーター達が群がって、治癒魔法を施し始めた。

 急所を外れているとはいえ、その生命が助かるかは五分だろう。しかし生命力の高いグラディエーターならばあるいは……。


 鴉紋の前へと駆けるリオンの前に、桃色の魔法陣が現れる。


「行かせない」


 行く手を阻んだセイル達三人が、各々の攻撃をリオンへと向けて解き放った。

 地を走るサハト、風を切る漆黒の矢、宙を飛ぶ巨大な腕が襲い来る。


「……クソ!」


 しかしそこで、歯軋りをしたリオンの体が首根っこを掴まれて宙に浮き始めた。


「行け小娘――ッ!」

「ピーターッ」


 空高くぶん投げられたリオンが、セイル達を高く越えてその背に着地した。元居た地点で爆炎が上がるのにチラリと振り返りながら、リオンはダルフに向かって駆け出していく。


「やらせませんよ!」


 炎の中からサハトが奇声を発して飛び上がって来た。リオンの背に向かってその牙を剥き出している。


「それはコッチのセリフなのよ!!」


 爆炎の中から男の怒号が起こり、長い鎖が伸びて来た。その先に着いた棘付きの鉄球が、飛び上がったサハトの背に墜落して地に叩きつける。

 炎の中へとリオンが視線を戻すと、そこから彼女を急かす声があった。


「……っ行きなさい小娘!!」


 リオンは一人包囲を抜け出して、鴉紋の元へと走っていく。彼女らしからぬ必死の形相を抱え、先にあるダルフの首を見つめる。


 悠然と歩んでいた鴉紋の前に、息を荒げたリオンが立ち止まる。その背には匿う様にダルフの転がった首が落ちている。


「……赤い瞳。何故貴様が人間を守る」


 冷めた瞳を僅かにも揺らさずに、鴉紋はそのまま血の噴き上げる体を動かしていく。

 絶望そのものでしか無い暗黒を目前に、リオンは息を震わせながらも、最後の魔力を振り絞る。


「魔眼ドグラマ左の目第一の目魔消ましょう』ッ」


 捉えたモノの魔力を打ち消すリオンの魔眼が鴉紋を見据える。


「…………っ!」


 しかし男は厳しい顔付きのまま、その右手に雷火を集中してバリバリと音を立て始めた。

 体内の魔力構造の違う鴉紋に、その目は通用しない。

 鴉紋は尚も歩み寄りながらその口元を動かす。


「何故だ……よりにもよって、その男の事を!」


 苛烈な口調から迸るプレッシャーに気圧されそうになりながらも、リオンは左目を閉じて額に掛かった前髪を上げる。


右の目第二の目傀儡かいらい』――!」

「――――っ」


 その瞳に捉えられ、鴉紋は眉をピクリと動かして歩みを止めた。

 僅かな笑みを口角に見せたリオンが白い歯を見せる。


「このままッ終わらせる!」


 瞳を向かい合わせた者を傀儡にする力で、リオンは彼の体を操ろうと試みる。


「……おれ…………のっ」

「――――ッ!?」


 動く筈の無い口元が微かに動き出した事に、リオンは仰天して魔眼を剥いていく。

 ――間もなく、その身の束縛すらも振り払って、鴉紋は絶叫していた。


「オレの体に入って来るんじゃネェッッ!!」

「――きゃあアッ!!」


 無理矢理に魔眼の拘束を解かれ、次に来た衝撃に悲鳴を挙げたリオン。

 自らの右目が割れて血が滴り始めている。


「……そんな事って……強過ぎる自我に、私の魔眼が通用しない……? 無茶苦茶よ、そんなの!?」


 精神への干渉を強烈なる自我に弾き返されたリオンは、信じ難い事実に歯噛みするしか無かった。

 憤怒した鴉紋は髪を逆立てて語り始めた。


「そいつを守って何の意味がある?」

「……っ」

「そいつはもう壊れた玩具でしか無いのに」


 魔力も尽きて成す術も無いリオンは、微かに残った力を振り絞って手元に鋭利な氷を創る。


「ダルフは負けない――! ダルフは壊れてなんかいない! 絶対に、次こそはお前を!!」


 柄も何も無い氷のナイフを握り、彼女の手から血が流れていた。

 鴉紋は尚も彼女に詰め寄りながら、冷淡な口を押し開く。


「お前も感じた筈だ。確かに瓦解したそいつの心を。完全に壊れちまった奴の魂を」

「……違う……っ! ――違う違う違うッ!!」


 その目元に薄っすらと涙を浮かべながら、リオンは鴉紋の言葉を認めようとしない。彼のいう光景を確かにその目で見ていようと、口先で述べた希望に縋り続ける。


「ダルフは蘇る……何度でも……! お前の喉元に剣を突き立てるまで!」

「…………」


 鴉紋は黙り、リオンの目前で立ち止まった。


「その身が蘇ろうと。そいつはもう立てない」

「違う……」

「闘えない」

「やめて!」

「不死であっても、は戻らない」


 赤面したリオンは大粒の涙を落として否定していた。だが彼女も分かっている筈なのだ。彼の言う言葉が真実であるのか否なのか。

 ――その心を視る目で全て捉えていたのだから。


「ダルフは……ダルフ、は……」


 泣き崩れる彼女の姿に、その予想はするまでも無かった。


「こんなのは……違う。こんなのは私の望んだ結末じゃない……! こんな最後を見たかった訳じゃ……!」


 取り乱すリオンの頭上に黒き腕が振り上がり、細く長い影を落としていく。


「死ぬ時ってのは惨めなもんだ……何を夢見ていた?」


 紛れも無い死の予感に、リオンは押し黙る。


 だが――――


「ゲハ……ッ!! ……ガッホ!! ……ぐ」


 鴉紋が大量の血を吐きながら白目を剥いた。


「――ガ…………ぁ……」


 そしてそのまま膝を着き、体の黒色化は消えていく。


「…………ぁ……………………」


 右腕と左腕、そして上半身に到るまでの黒い肌を残して、鴉紋の体は元の肌色へと戻り、相貌には真っ白な色を残して倒れ伏す。


「――――!」


 突然に消え去った驚異。目前に落ちた無抵抗な体を見つめながら、リオンは氷のナイフを振り上げていた――


「――鴉紋に触れるな!」

「――ッハ!」


 突如起きた桃色の魔法陣から、セイルが現れてそのナイフを止めていた。


「私の……鴉紋に!!」


 憤激したセイルの瞳がリオンを見上げている。額を突き合わせる程に接近させたまま、右の掌を貫いた氷のナイフにも動じないまま、彼女は深い闇を思わせる瞳をしていた。


「――――っく!」


 セイルに胸を突き飛ばされたリオンがよろめく。だが彼女は止めを刺すでも無く、膝を折って鴉紋の体を心配する様にした。


「ひどい……すぐに治癒魔法を施さないと死んじゃう!! どうしよう、鴉紋が……鴉紋が鴉紋が鴉紋が!!」


 酷く動揺したセイルの元に、至る箇所に火傷を負ったフロンスとシクスが走って来た。そして鴉紋の体を見下ろしながら絶句していく。


「これはマズイ……すぐに治療に取り掛からないと!」

「兄貴はとっくに動かねぇ筈の体を無理矢理に動かし続けてたんだ! ッくそ!」


 治癒魔法を施し始めたフロンスを見下ろしながら、シクスは一人、力無いリオンへと振り返る。


「今のうちに殺しておかなくちゃなぁ……」


 舌を突き出したシクス。だがそんな彼等の頭上高くに、棘付きの鉄球が鎖を伸ばして舞い上がる。


「退くよシクス!」

「ちっ」


 墜落して来る鉄球よりも早く、桃色のサークルが彼等を包む。光の中でシクスは中指を立て、セイルは瞳孔の開いた様な暗き眼差しをリオンに向けた。


 何も無い丘にモーニングスターが突き落ちる。そしてその場に傷だらけになったピーターが駆け上がって来た。


「小娘。ダルフくんは……」


 ピーターの声に言葉も返さずによれよれと立ち上がったリオンは、ダルフの頭の元へと歩んでいく。


「次は必ず勝つ……ダルフが、絶対に……ッ」


 彼女はその身が血に濡れていくのも構わずに、その首を愛おしそうに抱きかかえる。


 何も無くなった荒野で、眠る様に綺麗な顔をしたダルフの首を、彼女は愛おしそうに抱き締めた。

 そして哀しげな表情のまま、血の道筋を残して歩んでいく。

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