第163話 甘き夢抱いて沈む


 闘争の終着点を嗅ぎ分けた両者が、互いに構えを深くしていく。

 ――自らに出来うる全力の一撃を解き放つ為に、息を整えている。


 ダルフが眩い雷撃をクレイモアへと注入し始めた。


「この剣で突き通して来た。いかなる不条理も、いかなる理不尽も……この胸に燃える正義の為に!」


 白く発光するクレイモアを天に突き上げながら、その切っ先を空に向けて回し始める。


「この剣に切れぬ者は無かった!!」


 空を曇天が覆い白雷が降り注ぐ。それは避雷針の様にダルフの回すクレイモアへと吸収されて、光を肥大化させていく。

 ――――何処までも!


「『因果の雷斬シャルル・バラドレイ』」


 巨大な一つの霹靂へきれきを纏い上げ、そこに目を覆う白熱のつるぎが完成する。まるで巨人の剣と評しても差し支えない程の莫大な剣が。


 今すぐにでも消し炭にされそうな圧倒的たる迫力にも物怖じせずに、鴉紋は空を見上げる。


「この拳で全て砕いて来た。ムカつく奴らも、気に入らねぇ摂理も常識も……赤い瞳の為に」


 鴉紋の上腕に白き魔法陣が現れると、彼の頭上に一際巨大な黒雷が突き落ちて来た。


「この拳に砕けぬ者はねぇ!!」


 あわや直撃といった瞬間に、鴉紋はその黒腕で天からの落雷をぶん殴っていた。雷は拡散しながらその黒き豪腕へと蓄えられていき、漆黒の雷電と共に暗黒のシルエットを腕に纏わせる。


「『黒き執行者ミネルヴァ』」


 一撃必殺の構えを取る両者。あざける様に鴉紋から口を開く。


「何が正義だ……セフトを裏切り、騎士でも無くなった反逆者のお前が」

「例え騎士では無くなれど、その正義は俺の心に宿っている」


 互いに睨み合い膠着した最中で、鴉紋が緩く笑う。


「来いよ」

「――――ッ」


 一瞬でも気を緩めれば灰燼かいじんと化すエネルギーの暴発を前に、尚も挑発的な態度を取る鴉紋。


「貴様の全力を完膚なきまでに叩き伏せて、心の砕け散る様を眺めてやる」

「……やって――――みろッ!!!」


 頭上より、嵐を巻き起こしながら光の剣が落ちて来る。鴉紋は半身となってその一閃を待ち詫びる。


 その斬撃が降り注ぐ刹那にて、鴉紋が猛る。


「オァァアアアアアアアア――ッ!!」


 ――そして滾る拳を雷光にブチかました!

 

「ァァアアアアアアアア!!!」

「オオオオオオオオ――!!」


 襲い来る膨大な霹靂を吹き飛ばした鴉紋であったが、無形である雷撃にその身を包まれる。


「終わりだ――鴉紋!!」

「――――何が終わりだっ!!」

「――――!?」


 雷撃の最中さなかに呑まれようと、鴉紋は歯軋りを立てて踏ん張りながら

 ――前へ、前へと歩む!!


「――なんだとっ!?」

「ぐぅぉオオオオっ!!!」


 ダルフは柄に力を込めながら、その光景を戦慄として眺めていた。その身を焼かれ、激痛に襲われながらも、前へと踏み込んで来る激情の男の姿を。


 ――その怨毒えんどくの烈しさを物語る足取りに、ダルフの体が竦む。


 鴉紋は体を焼かれながらも背の暗黒で抗い、拳を前にして、たどたどしく口を開き始める。


「お前を潰せば……この復讐を遂げられる」

「復讐……!」


 何もかもを消し飛ばしていく光の中で、よろめきながら無理矢理に前進してくる男が、悪魔の様な面相と化していく。


「復讐だ……フクシュウ!! それを果たす為ダケに! 俺はイマここにいるッ! 人類への復讐を果たす為に!」

「…………っ」

「あの女の受けた地獄の苦しみ! その無念を晴らす為ならば……俺はコロス、誰だってコロス! スベテ! 人間も、赤い瞳も、あの女の為ナラバ!!」


 益々と踏み出し始めた凄まじい憎悪を感じて、ダルフは雷光の威力を上げる。


「ァァァああ!!!」


 だが塵一つも残さぬ光線の中で、鴉紋は叫び、その身を留めている。2枚の翼と拳の雷火を推し進めながら。

 負け時と白雷の翼を噴出したダルフも叫び始める。


「全てを破壊し尽くした誰も居ない荒野で、お前はどうする! 何もかも殺し尽くしてお前の前に何が残ると言う!」


 過去の為に闘う鴉紋の虚しさを悟すダルフ。しかしその言葉に反論する様に、鴉紋の力が増していく。その心中を表す様にして闇が空に爆ぜていく。


「黙れ……お前に何が分かる……グザファンが人間から受けたあの凄まじい屈辱の! 遺恨の何がッ!!」

「ゥあッ――――!」


 鴉紋は焼け焦げていく顔を上げ、その表情に狂った様な激しい憤怒と悲しみを刻み込む。

 ――そして苛烈に叫び合う。鴉紋ともう一つの意思が一つの体を奪い合う様に。


「梨理の!」「グザファンの!」「梨理のッ!」「グザファンの!!」「梨理の!!」「グザファンの!!」

 ――――「「ナニがッッ!?」」


 復讐に取り憑かれた鴉紋が二人の女の名を絶叫していた。その迫力に負けた白雷は押しやられ、黒雷が震えた足で歩んでいく。


「――――っ!」

 

 ――だがダルフは凄絶な気迫に呑まれながらも、まだ勝負を諦めてなどいなかった。

 極限まで力み、顔を真っ赤に紅潮させたダルフが瞳を上げる。その満点の星屑を散りばめた黄金の虹彩で、鴉紋を見据えていく。


「お前は過去を忘れない様にと、その女の名を呼んで心を滾らせ続けているだけだ」

「……!」

「大切な人のその姿も、輪郭も、表情も……もう朧気にしか思い出せなくなっているから……!」


 抵抗する白き翼が、燦然と瞬きながら形を大きくしていく!


「どれだけ大切な人も、失えば……陰る。

 ――だがそれは死者が生者へと手渡すバトン」


 鴉紋の中で逆巻く人類への猛烈な怨讐えんしゅう。それを振り払ってダルフは断言した。


「忘れる事を恐れて過去に縋り付くのは辞めろ。……そうして人は未来を生きられるんだ!!」


 再びに拮抗状態となった両者。互いのプライドを賭け、天に怒涛の翼が広がり合う。叫び合う口角が、何処までも吊り上がっていく。


 譲れぬ意思がぶつかり合い、威力を増していく光の中で、鴉紋は尚も痙攣する足を前に踏み出していく。皮膚を、肉を焼き、髪を巻き上げながらも、彼の中で蠢く心火が燻る事は無い。

 

「何が人間……何が未来ッ! それはテメェらのした事を無かった事にしようとする手前勝手な都合だろうが!」


 悪鬼の様な激しい憤怒が、もう目前で手を伸ばしている。だが民を、赤い瞳を思うダルフの情熱のほむらは、それを凌駕せんと一層の赫灼かくしゃくを見せた。


「その念を捨てろ……! でなければ人とロチアートとの共生は叶わない!」

「何が共生だ!! 貴様らのしでかした事を棚に上げてッ! 甘えきった戯言たわごとかすんじゃねぇ! 忘れると思うか、忘れられると思うのか!? あの悪夢の様な仕打ちをッ! グザファンの恨みヲッ!!」

に聞いてるんじゃない――!」


 差し迫る暗黒を目前にしながらも、怯む事無くダルフはを名指しする。


「俺はお前に聞いているんだ!!」

「……っ!」

「貴様の心の底に、まだ人とロチアートの共生を望む思いが残っているのなら……答えてみせろ!」


 一度目を見開いた鴉紋は、口をつぐんでから、想像よりもずっと静かな声音で答え始めた。


「何時まで夢を見ている……何があろうと、人間を生かすという結論はねぇ」


 その物静かな口調は、確かにダルフの望む男の声であった。物憂げに沈む漆黒の瞳が、彼を真っ直ぐに見つめながら続けていく。


「お前も見ただろう……人間の醜さを。救いようの無い、あの劣悪さを」

「…………っ」


 何処か哀しげな感情を帯びた瞳の奥に、彼の人間味を感じた。

 そしてその哀しき正体はまるで――



 ――まるで非情に徹しながらも、心の底で未だ甘き夢を捨て去れないでいる、一人の男の様であった。



 光の中、手を伸ばせば届きそうな距離に踏み込んだ鴉紋を前に、ダルフは瞳を閉じて彼の言葉を思う。


 激しい目に直った鴉紋が、バリバリと轟音の鳴る右腕を振り上げた――――


 そしてダルフの瞳が開かれる――!


「あぁ、だがその先の可能性も――!」


 そのダルフの言葉を最後に、辺りに衝撃の波動が走る。


 やがて輝かしい光は収束し、蒼天に照らされた2人だけが佇んだ。


「…………」

「…………」


 黙り込んだ両者が、冷めた瞳で互いを見つめ合っている。穏やかな風が互いの睫毛を揺らしていく。



「俺はそれに賭ける……」


 そう残したダルフの頬に、一筋の切れ筋が走っていた。


「…………」


 鴉紋の胸には、深く切り込まれた斬撃の形跡が刻み込まれている。


 血の噴き出す鴉紋の体を見上げて、グラディエーター達は悲痛の声を漏らし始めた。


「あぁ……ウソだ……そんな」


 どれだけ非情な扱いを受けようと、彼等にとって終夜鴉紋という男が、ただ一つ輝く希望の明星である事に変わりはない。


 鴉紋は彼等の想いに応える様に、未だ倒れる事を拒絶しながら、か弱い呻きと共によれよれと歩み始めた。


「……あ…………ぅ……」


 震えた体を起こす彼の勇姿を見つめ、ロチアート達は自ら達の野望が打ち崩れていく様に落涙せずにはいられなかった。


「お願いです。立ってください……立ってください鴉紋様。貴方が立ち上がらなきゃ、俺達の……俺達はっ」


 全身に負った火傷。爛れた皮膚。割かれた胸から鮮やかな肉が見える。浅い呼吸。意識を剥奪しようとする激痛に唇を噛んで堪えながら、荒々しくその身を引き摺っていく。


「ァ、ァァ……ァ゛……っ!」


 ボロ雑巾の様になって尚もロチアートの為に悪意を滾らせる鴉紋の声は弱く、呻いているのか、叫んでいるのかも分からない、そんな掠れた声を絞り出すだけだった。


「鴉紋さ……ぁも…………さ……」


 彼等にとって何処か神々しくも見えるそんな男の姿に、グラディエーター達の言葉は詰まり、ただ静かに涙する事しか出来なくなっていった。


 焼け焦げた全身から白煙を上げ、血を吐き、夥しい流血をしたままに、霞み行く瞳がダルフを目指す。


 やがて黙して待っているダルフの前に幽鬼が辿り着いた。

 そして血走った瞳を上転させながら、拳を振り上げる。


「…………」


 ダルフの胸に血に濡れた黒き掌が触れて、ずり落ちていった。そこに血の手形が残っている。

 正義の膝下で、天を見上げる様にして両の膝を付いた鴉紋。それを静かに見下ろしながら、ダルフは囁いた。


「お前の夢は、俺が継いでいく」


 蒼白となっていきながら、虚ろな瞳を明後日に向けた鴉紋が――こう言い残す。


「人間を守って……どうする……ダルフ」


 剥げた大地に沈む鴉紋。彼の黒色化や暗黒の翼が消えていく。

 方々から上がる驚嘆の声を背に、ダルフは黄金の髪を流麗にたなびかせた。そして熱意を含んだ瞳を上げる。


「正義の為に散れ……鴉紋」

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