第162話 出ていけ、俺の中から

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 グラディエーター達に取り囲まれたダルフが、丘の上の鴉紋を見上げる。


「……偉そうに……講釈垂れやがって……ッ!」


 ざわざわと髪を逆立てていく鴉紋のまなじりが、徐々に吊り上がっていく。


「叶う筈のねぇ……そんなッ絵空事を……ッッ!!」


 深く腰を落としながら歯軋りを始めた彼の背で、闇が淀みながら爆ぜていく。


「ぁあ……鴉紋様」

「鴉紋様……」


 苛烈に剥き出されていく歯牙に、グラディエーター達は彼の激怒を恐れて尻込みしていった。

 それだけでは無い。彼等も、そしてダルフも鴉紋の噴き出し始めた並々ならぬ悪意を感じ取って身震いをを始めていた。


「オレは認めルものカ――――ッッ!!」


 低く地鳴りの様に叫び始めた鴉紋の体が、闇に染まっていく。翼からの黒の波動に取巻かれていく。


「――――ぁあっ」

「鴉紋様の体が……翼が!!」


 みるみると黒色化を始めた彼の両腕、両足、首元に迫る漆黒。


「オゥあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッッ」


 暴発せんばかりの絶叫を遂げた鴉紋の背に、もう一枚の暗黒が開く。呆気なく花開き、空を広がった2枚の暗黒は、そのまま鋭利へと変貌していく。


「『黒雷こくらいィィゥ゛アアッ゛!!!』」


 青筋を立てて激昂する恐ろしい面相が、ダルフを貫いていた。


「鴉紋……貴様ッ! ――――」


 怖気が立つ程冷酷な判断を下した鴉紋に、ダルフが目を剥く。

 そして即座にクレイモアを手に取ると同時に――


 ――天が張り裂けて黒色の雷火が降り落ちた。


「いがああ――ッ!!!」

「あも……っさ……!!」


 ダルフは決死の形相をしながら、天に向けてクレイモアの全力を打ち付けていた。

 頭上に振り落ちた黒き雷は割れて、そのエネルギーは周囲に撒き散らされていく。


「――っクソ!! 鴉紋!!」


 しかし明滅する激しい稲光は、辺りにいたグラディエーター達をも巻き込んで突き落ちる。


 ダルフ以外の全てのロチアート達は、その衝撃に体を投げ出すしか無かった。


「――ぅう!!?」

「……が……っ!」


 黒焦げとなって陥没した大地に、赤い瞳が伏せって呻く。

 ダルフのおかげで直撃を免れた彼等は、絶命こそしていなかったが、黒き稲光に焼かれ、瀕死の様相となっている。

 その様を眺め見下ろしたダルフは、絶句しながらに叫び付けずにはいられなかった。


「貴様! ロチアート達に構わずに!!」


 未だ滾る瞳を見開いた鴉紋と、侮蔑するダルフの瞳が交錯していく。

 鴉紋は憤懣ふんまんやるかたない心情を語気に孕みながら、その口を開いていく。


「いらねぇんだよ……てめぇらもクレイスと同じだ」

「は……?」


 そうして全身を力ませると、鼻筋に深いシワを刻んで地を踏み込んだ。同時に光を呑み込む暗黒が蠢動しゅんどうしながらその範囲を広げていく。


「……人間なんぞの情にほだされる軟弱者が! 血の記憶に刻まれた激しい憎悪を忘れたかッ!」

「お前……」

「貴様らは足手まといだッ! クレイスの様に人間に毒された赤い瞳……! 長く飼われ過ぎて、何をすべきかも失念しちまったどうしょうもねぇクズが!!」


 人の変わった様な、余りにも残忍極まる態度を目前にして、ダルフはミハイルから伝え聞いた、鴉紋の中に巣食うもう一つの人格の事を思い起こした。


「俺の邪魔になる奴は全員殺すッ!! 赤い瞳であろうと!」


 何時しか鴉紋の中にあった、ロチアートへの情すらもが塵となって消えている。

 真っ逆さまに悪に堕ちていく男を目前に


「…………っ」


 真っ逆さまに悪に堕ちていく男を目前にして、ダルフは愕然として囁いていた。


「お前…………誰だ?」


 終夜鴉紋は護るべき者の為ならば、慈悲も情けも見せ無い悪逆の男である。それはダルフにだって分かっていた。


 ――――だが違う。


 今そこに居るのは、もっと残虐で冷酷で、野望に徹底とした――

 

 血の通っていない。でしか無かった。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――――ッッ!!」


 邪悪極まる声を上げて、鴉紋が飛び上がった。そして手近のグラディエーターを一人、見せしめの様にして掴み上げる。


「何をする気だ鴉紋!!」


 悪に染まった男が、ギリギリと握り込んだ拳を引絞っていく。それを眼前に掲げたロチアートの眉間へとぶち込む為に。

 護るべきであった者すらをも、肉塊に変える為に。


「全身の肉を引き摺り出される様なあの怨み……忘れたならば思い出させてやる」

「やめろ! そんな事をして何になる!!」


 ダルフが翼を広げて閃光の様に飛来していく。

 だが鴉紋は深く息を吐きながら、その引絞った腕を力ませていくのを辞め様としない――


 引き伸ばされていく大胸筋、屈曲した肘の上で上腕二頭筋が血管を立てて膨張していく。拳がミキミキと音を立てて固められていく。


「やめろ!! やめろ鴉紋ッ!!」


 ――そして憎悪の塊の様なまなこが、グラディエーターに向けて力まれた――




 ――が、その時であった。


「……ぅうっ……ウ!!」

「――――!?」


 鴉紋は掴み上げたロチアートを手離すと、まるで激しい頭痛にでも襲われているかの様に、額に手をやって悶え始めた。


「……ぁ! っ……ぐ…………ぅ……!」


 放り出したロチアートに一瞥もくれずにフラフラとよろめくと、顔を深く俯かせていく。


「――なんだ?」


 彼の体中に広がっていた暗黒が引いていくのを目撃して、ダルフは思わず立ち止まっていた。


「ぅぅう……! ……ゥ!」


 みるみると彼の黒色化は元の右腕だけに戻り、ただ背に生えた2枚の翼は携えたまま、鴉紋は顔を上げていた。


「認め……ねぇ……」


 ――もう一つの意思を無理矢理に抑え込んで、鴉紋は自らの意思で叫び始める。


は……お前を認めねぇぞッ!! ダルフ!!」


 それはまるで、彼が一人の人間としてダルフと対峙する事を選んだ様にも見えた。


「…………っ!」


 動揺したダルフであったが、直ぐに思い直してクレイモアを固く握り締める。そして鴉紋もまた、左足を引き摺りながら前へと歩み出て来た。


「ダルフ!」

「鴉紋……!」


 二人の翼が同時に空に躍動した――!

 そして猛烈に飛び込んだ両者の拳とクレイモアがぶつかりあう――


「ぁぁぁあああッッ!!」

「ウオオオオオ!!」


 風を巻き上げながら開く巨大な光と闇。その鍔迫り合いを制したのは――


「かぁぁぁあッッ!!」

「……っく!」


 鴉紋である。

 クレイモア毎その拳に吹き飛ばされて、ダルフが膝を付く。


 ――――鴉紋の力が増しているっ!


 2枚に変貌した暗黒の翼に加え、抉り取られた腹からはドクドクと血が溢れ出している。


「――がハッ」


 クレイモアを地に突き立てて吐血したダルフを見下ろしながら、鴉紋は悪意を剥き出しにして微笑んで見せた。


「不死ってのは気の毒だよなぁ……」

「……っ?」


 そして黒い指先を眼前でゴキゴキと蠢かしてみせた。


「血反吐を吐く苦しみを、内臓を潰される気の狂いそうな痛みを、お前は幾度経験して来た?」


 黒き拳が眼前で固く握り締められる。ダルフを過激に睨み付けながら。


「不死の殺し方を知っているか……」


 奥歯を強く噛み締めながら、ダルフは体を起こした。悪に立ち向かう勇敢なる心に背を押され。

 鴉紋は一度首を鳴らし、半身となって右腕を後方へと引き絞りながら言った。


「貴様の心を潰す事だ……ダルフ」

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