第161話 朦朧。そして闇に浸かる

 ――――――――


 瞳を閉じて暗闇となった世界で、フロンスの頬を凍て付く様な冷気が過ぎ去っていく。


「シクスさん! セイルさん!」


 彼の声に返答は無い。ただそれに応えるかの様な、締め付けられる様な吐息が漏れるだけだ。


「そんな……っ! くそ、『狂魂きょうこん』!」


 フロンスは寒気を覚えながらに抵抗の意思を示す。突き出した拳の親指を天に、小指を地に向かって立てながら、それを反転させた。

 すると彼の使役していた死人は地に倒れ、ただ一人残った狂人が誕生する。


「ボァァアアアア――!!」


 脳のリミッターを外した一人の死人が、雄叫びを上げて筋肉を盛り上げる。

 死人であれば、精神に干渉するリオンの右目は影響しない。


「急がなければ……! 行けサハト!」


 記憶の中で最後にリオンが佇んでいた場所に目掛けて、サハトは筋肉を弾け飛ばしながら飛び掛かった。


「っぃぃッギィぃいいい!!」

「――――っサハト!」


 すぐさまフロンスの直ぐ側に叩き付けられて来たサハト。その衝撃に何事かと瞳を開けそうになるが、彼はジッと我慢しながら、胸を巨大な氷の杭で貫かれたサハトを立ち上がらせる。


「ギ……ィイ……ッッ!!」


 胸に風穴を開けられたサハトが、貫かれたままの氷塊を打ち砕く。


「――――が!!」


 そこで襲い来た痛烈な痛みにフロンスが悶えた。何時しか横腹に突き立った氷を、彼は苦悶の表情で引き抜いた。


「何処から、何処から来るのです!」


 闇に閉ざされた世界で、フロンスは全面に防御魔法を展開する。


「ふぅァ――ッ!!」


 しかし防御魔法の薄くなっていた背に氷が突き刺さる。気配も無く、いたぶる様なチマチマとした攻撃に、フロンスは鼻息を荒くし始めていた。


「遊んでいるのですか? ……っく……。せめて、お二人だけでも!」

「あグッ! ギィィイイイイァア――ッッ!!」

「サハト――ッ!」


 肉を撃ち抜く程の氷塊が、サハトの体に無数の風穴を開けていた。


「ァ゛ァ゛ァああ――――っつ!!」


 仕舞いにはしっかりと足を大腿から切り離されて、機動力を奪われている。


「――っ……! ――っ……!」


 気配を消してしまったリオンに、フロンスは居所を掴めないでいる。


「――っぶ!」


 地からせり上がって来た氷塊に、みぞおちを突き上げられて血を吐く。強烈な殴打に呼吸が出来なくなったフロンスが、思わず瞳を開けそうになる。


「いたぶって……いるの、ですね!」


 しかし彼は堪え、その場を離れる為に地に転がった。


「何処に居るのですッ!」


 闇に紛れた恐怖を振り払う様に、彼は語気を強めていた。そして何かを取り出そうとポケットに手を忍ばせる。


「――ふっ――ふっ――ッ!」


 視界を奪われる恐怖に推し潰されそうになった耳元で、冷たい吐息が触れた。


「瞳を奪われた世界はどうかしら……」

「うッ――うわァ!!」


 声のした方角へ咄嗟に腕を振るったが、空を切っている。


「ハっ――ハっ――ハっ――!!」


 直ぐ手の届く距離に彼女が居ると思うと、彼の胸は高鳴り続けた。そのまま張り裂けてしまうのでは無いかという程に、バクリバクリと――



「見て。とても綺麗よ」



「――――ッ!?」


 密着する程の背後から首筋にかかった吐息に、フロンスの肩が飛び上がった。

 そして滝の様な脂汗をかいた顔面に、背後から絡み付く様な指先が伸びていく。


「――――っ!」


 その細くしなやかな指先は、無理矢理に彼の瞼を押し上げた。


「あ」


 色を失っていくフロンスの虹彩。白銀の世界を反射する無数の赤き発光を見ながらに、彼は震えていた肩をピタリと止めると、腕をだらりと下げた。





 フロンスの使役していたサハトが、その呪縛を解かれてただの死骸と還っていく。それを見下ろしてリオンは瞳を歪ませた。


「ようやく終わった……」


 白銀に支配された静謐な籠の中。

 リオンは短く嘆息しながら、傀儡と化したフロンスの正面に歩み出していた。


「え……?」


 呆然とした表情を落としている筈のフロンスの面相に、確かな感情がある。


「なん……で」


 奥歯を噛み締めながら眉を吊り上げる、確かな憤りがリオンを捉えた。


「こちらの番です」


 総毛立ったリオンに、ざわざわと緊張感が押し寄せた。額に滲み出した彼女らしからぬ汗を拭うのも忘れて、目を剥いていく。


「何故、私の魔眼が効かない……」


 呟くように放たれた問いに、フロンスはポケットの中で握り締めていた物を取り出して見せる。


「ベルンスポイアという魔力を封じる鉱石です。一か八か手に取ってみましたが、これは魔力による精神干渉も封じる様です」


 かつてセイルに取り付けられたベルンスポイアの手枷。その割れた残骸をフロンスはずっと携えていた。

 サハトへの魔力供給が途切れたのはリオンの魔眼に捉えられたからでは無く、ベルンスポイアに触れ、自ら魔力の循環を断ち切った為に起こっていたのだ。


「……ふふ」


 涼やかな風に目を細めながら、リオンは笑った。

 ――それと同時にフロンスは彼女に飛び掛かった。そして割れた手枷を首元に押し当てる。


「聞いた事も無いわ。そんな鉱石……ッ」

「でしょうね……私もでしたよ。リオンさん」


 フロンスに馬乗りになられたリオン。首元に渾身の力を込めた手枷を押し当てられて、呼吸がままならなくなっていく。


「げほっ…………ッく……っ」

「ご容赦を……」


 魔力を吸い上げたベルンスポイアが紫色に発光する。悶えるリオンの魔力回路が閉ざされて、氷の籠が瓦解していく。


「ッ……ハァーっ! ハァ!!」

「えほっえほっえほ!! ……な、なんだ?」


 リオンの魔眼による呪縛が解けて、セイルとシクスが息を吹き返す。あわや窒息死するという目前で、顔を真っ赤にしながら肺に酸素を取り込んでいく。


「操られちまってたみたいだな……」

「フロンス……!」

 

 瞬時に状況を理解した二人が、血だらけとなったままに魔女に馬乗りになったフロンスに走り寄っていく。


「こ…………っのぉ!!」


 リオンが髪を逆巻かせて冷気を練り上げようと試みる。ベルンスポイアは吸収した魔力に合わせて目を覆う程に発光を強めていく。


「吸収される魔力を上回るつもりですか……その発想が恐ろしいです」


 リオンによる莫大な魔力の放出に、割れたベルンスポイアが魔力を吸い上げきれずに、冷気が漏れ出している。だがそれは緩やかにフロンスの足下を凍りつかせていくだけだ。


「流石です……だが、無駄ですよ」

「……ぐぅ! ぅ……!!」


 首を取るのはフロンスのが早いだろう。更に、リオンの頭上にシクスの『げん』による巨大な刃が形成され始めていた。


「ぜってぇ離すなおっさん! そいつを殺るには今しかねぇ!!」


 魔力を封じられたリオンには、フロンスを振り払う術が無かった。

 それどころか、魔力感知によって周囲を補足していた彼女特有のも閉ざされて、言葉通りの闇がリオンを包み込む。


「――――――ヵ――――っ」


 顔を真っ赤に充血させて、リオンが胸を高く跳ね上げる。

 白んでいく思考の最中さなか。リオンは自らを苛み続けて来たが解けている事に気付く。

 人の心が視える。感情が流れ込んで来る。彼女にとっての呪いは、何かしらの魔力の干渉があっての事象であったらしい。


 ようやくと静かになった世界で、リオンは思う。


 ――ここで死ぬのもいいかな……

 ――醜いものが何も無い、この世界でなら……


 そう思ってみたが、最後にダルフの顔がチラついて仕方が無かった。

















 






「何してんのよ小娘」



 霞んだ意識に唯一ただひとつ、微かに聞こえた声。

 その妙に聞き覚えのある珍妙な声音の後に

 ――強烈な爆風が何もかもをすっ飛ばしていた。


「――ヵハッ! ……ハ!!」


 転がったリオンの傍らに、地を沈み込める程の巨大なワークーブーツが降り立っていた。

 呼吸を整えながらその存在を仰ぐと、彼女は眉間を寄せながら、こう問い掛けられずにはいられなかった。


「なんで貴方が、ここに居るのよ……」


 見上げられた男は彼女を見下ろしながら、場違いな位に明るい声を返す。

 

「こんな所で苦戦するなんて、あんたホントに……」


 そして爆発した様な黄色い毛髪を揺らした。


ね」

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