第157話 切望する空虚
*
「もう! 早く鴉紋の所に行かなくちゃなのに!」
毒づいたセイルの視線の先、鴉紋とダルフの相克する丘の下で、リオンが左の魔眼を押し開いている。
赤い空の下で息を荒くしながらも、何処か堂々としてセイル達の行く手を阻む佇まいに、フロンスは深い溜息をついて肩を落とした。
「傷を負って、まだ魔眼を扱うだけの魔力を……」
「ビビんなよおっさん。奴が相当魔力を使い込んでんのは確かだ、必ず隙が出来る筈だ!」
だがシクスのその期待を裏切ってリオンの頭上に掲げた手先からは、無数の氷結が槍の様な鋭利を創り上げて広がっていく。
「マジかよ! どうなってんだあいつの魔力量はよ!」
「それにあの魔眼で捉えられている限りこちらは魔力を練り上げられません、とんだインチキですよ!」
シクス達はリオンの左の魔眼『
「……げほッ」
「――――ッ!?」
リオンが口元から血を吐き出していた。しかし、間髪入れずに持ち上げられて来た無表情が、直ぐにセイル達を捉え直す。
「『
冷たい吐息と共に、リオンは左の目を閉じた。その魔眼で自らの氷を捉えれば、たちまちに消し去ってしまうからだ。
同時にセイル達に対する『魔消』の効果は消え去るが、すっかりと練り上げられてから放たれる怒涛の氷撃に、対抗する手立てが間に合わない。
「クソ……だらぁッ!」
「これでは防御魔法を整える時間もっ」
「皆! 私の周りに!」
凍てつく槍の雨が三人へと迫っていく中で、セイルが一人前に出る。
「『
地から湧き出した黒き炎が、高くまでうねる。そこに風を切りながら氷の槍が降り注いでいった。
「…………」
固く練り上げられた氷は、その漆黒の炎に触れた瞬間に沸点を越えて蒸発しきっていた。どれ程巨大な氷塊も、そこに決して超えられぬ壁でもあるかの様に霧散して蒸気へと変わり、そこに形を残さない。
「やっぱり、その炎は厄介ね」
白き蒸気の向こうから、セイルが赤い瞳でリオンを睨んでいる。
「何度やっても同じ。私の紅蓮は全てを焼き尽くす」
「そうみたいね」
リオンは呆気なくといった具合に言いながらに、髪をかき上げる。
「早く退け! 私は鴉紋の所に行かなくちゃいけないんだ!」
「嫌よ」
ふてぶてしい態度のままに、リオンは決して道を開けようともしない。その態度に逆上を示したセイルが、炎の大弓を構える。
「だったら死ね……! 例え私達と同じロチアートであろうと容赦はしない!」
「――待ってセイルさん」
フロンスがセイルの肩に手を置いて射撃を止める。セイルは訳の分からなくなった泣きそうな瞳で彼を責める。
「何よフロンス! なんで邪魔するの!」
「いえ、一つ彼女に問い掛けたい事があるのです」
「殺してからで良いでしょう!?」
「……。殺してからでは口を開いてくれません」
フロンスが理知的な瞳をリオンへと向ける。
「……何かしら?」
「リオンさん……貴方、どうして私達の邪魔立てをするので?」
頭に疑問符を浮かべたシクスが、片方の眉を下げながら口を挟む。
「はぁ、今更何言ってんだおっさん! そりゃあいつがダルフって奴の仲間だからだろうが、馬鹿か!」
「違うのです! 私が疑問に思っているのは、彼女が何故ロチアートの身でありながら、こうも頑なに鴉紋さんの思想に反発しているのか、何故人間へと肩入れをするのか、その点なのです!」
そしてフロンスは、この後に及んでも尚丁寧な口調を崩さずに、リオンへの問いを続けていく。
「ほぼ初対面の相手にこんな事を言うのは不躾かとも思いますが、私にはどうもあなたが人間を守ろうという高尚な心意気を持っている様には思えない」
セイルは気に入らないといった表情を彼女に向けながら口を挟む。
「ましてや人間とロチアートの共生を望んでいる様な、そんな心証もお前の冷え切った心には映っていない」
「あぁ? あぁ? なんだぁどういう事だ?」
シクスだけは一人、理解が及ばない様子で二人の表情を交互に眺めていた。
「……クス」
リオンは僅かに口元を歪ませると、「意外と察しがいいのね、家畜の癖に」と侮蔑した口調を見せる。
「ぁあんだぁー!? テメェも俺らとおんなじロチアートじゃねぇか!」
「待って下さいシクスさん。……して、何故なのですかリオンさん。私にはどうもそれが気に掛かって仕方が無いのです。故に貴方の言動が不気味にも思えてしまう」
リオンは黒いフードを深く被ると、怪訝な表情をしたフロンスへと言葉を返し始めた。
「私は人間が生き残ろうと、ロチアートが生き残ろうとどっちだって良いの。……私にとってはどちらも同じ化け物なんですもの」
聞き捨てならぬ言葉に、セイルが噛み付いていく。
「どっちだって良い……っ? だったら何故ロチアートを守ろうとする鴉紋の邪魔をするの!」
熱のある物言いに、リオンは関せずに続けていった。冷徹で淡々とした抑揚も無い口調で。
「私はね、ただ
その妖しい様相は、彼女が艶っぽい唇を動かしながら、言葉を紡いでいく程に増していって、フロンス達に寒気を覚えさせていった。
「空の向こう、届く筈の無い野望に手を伸ばし。男は天を飛翔する翼を生やした」
「…………?」
「自らの夢を、幻想とも思っていない飽くなき欲望……それが奇跡を繰り返し、至れぬ筈のその世界へと」
「……っ」
リオンの口元から血が一筋垂れ始めた。だが構わずに、彼女は夢中となって思いを馳せる。
「結果はどうだって良い。私はただ、何よりも美しい彼がどこに至り、何を悟り、どう死に絶えるのか……その瞬きの様な一瞬を視てみたい……この瞳で」
その薄気味悪さを体の芯に残したままに、セイルは思わず口を開いていた。
「……イカれている」
そして、リオンは周囲に怒涛の冷気を巻き上げながら、右の魔眼を押し開いていった。
「だから、ダルフの邪魔は許さない」
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