第二十六章 心潰し

第155話 白銀の雷火、黒魔の霹靂

   第二十六章 心潰し


 クレイス達が一心不乱に天使の子を貪っている。鴉紋は起伏の続くすさんだ丘の上に立ち尽くしながら、驚く程に清らかな晴天と、柔らかな春風を煩わしく感じる。


「――――このぉッ――!!!」


 理解不能なラル・デフォイットの結末に憤り、鴉紋は地を強く踏み穿って、空に黒の稲光を暴発させる。

 ラルに殴られた頬に触れると、得も言えぬ感覚があった。芯からうずく様な鈍い痺れ。それでいて、皮膚の下に虫が潜り込んだかの様に広がっていく、忌々しい不快感。


「――この、人間が……ッ」


 苛立ちを包み隠す事もせずに、鴉紋は顔に深いシワを刻み込む。

 そして、最後まで抗い通した人間がバラバラの肉塊になっていくのを一瞥してから、瞳を伏せていく。


「……俺の道を邪魔するのか。お前の様なロチアートも」


 丘の下では、鴉紋に背を向けた形のリオンが、息を荒げながらセイル達の前に立ちはだかっているのが見える。


「殺してやる。人間もロチアートも、俺の野望を害する存在は……!」


 手負いの魔女を千切り殺す為に、鴉紋は左足を引きずりながら丘を降り始めた。


 地に突き立ったクレイモアの傍らに佇んだリオンが、背後から忍び寄る邪悪を察して、冷や汗を垂らし始める。

 シクスは、ほくそ笑みながら空を赤で撹拌かくはんしていく。


「キハハッ勇ましいねぇ……そんな体で俺達全員を相手にするってのかぁ……あハッ!」


 赤い空から顔中に口を貼り付けた女の巨顔が現れて、涎を垂らして牙を剥いていく。


「『地獄の業火インフェルノ』」


 冷たい瞳をしたセイルが、巨大な炎の大弓を横に構え、漆黒の焔の矢じりを引絞る。


 確かな驚異に顔を引つらせたリオンであったが、この後に及んでも彼女は冷淡な物言いを辞めなかった。


「……弱い者程群れて饒舌になる」


 フロンスの死人がリオンを包囲していく。

 不気味な顔面が大口を開けてリオンに迫り始める。

 何もかも焼き尽くす黒い炎が、熱波と共に放たれた。


 鴉紋は丘を下りながら、右手に握り拳を作って背の暗黒を水平に噴出した。


「言ってろ……」


 雷光の轟音と共に、悪魔が地を捲り上げながらぶち抜けて行く――――。


「――――っ」


 リオンの前方から猛威が迫る。しかしそれ以上に、背後から忍び寄って来る悪意が怖ろしい。


 リオンを包囲する驚異が色を濃くしていく中で、セイルが叫んだ。


「鴉紋の邪魔をする奴は許さない……誰が敵であろうと、絶対に燃やし尽くす!」


 ――――瞬間。全ての者が肌をヒリつかせる様な感覚を覚えた。


 クレイモアの側、リオンに背を付き合わす様にして、白き二枚の翼が地に墜落した。


 その衝撃波に後退りながら刮目するナイトメア。空に花開いた巨大な稲光いかずちが、自在に変化して全ての殺意を弾き落とていく――


 その風圧に髪を流しながら、セイルは目を疑った。


「嘘でしょう……私の炎が、光に呑み込まれて」


 一人、白雷を拳で弾き飛ばした鴉紋も、怒涛の進撃を止めて、腕に走る痺れに眉をしかめる。


「鬱陶しいんだよ……!」


 そして憎き宿敵の相貌を睨み上げた。


 ――精悍な顔付き見せるダルフが、クレイモアの前で堂々として腕を組んでいる。その力強い佇まいに、不撓不屈の心火が表れている。


「無茶をしたな、リオン」


 背後のリオンに語り掛けながらも、星屑の瞳は輝きを増し、鴉紋を見据えて揺れる事が無い。


「来てくれると思っていたわ、ダルフ」


 膠着した状況で、フロンスとシクスはダルフの背から伸びた雷の翼に動揺を見せた。


「なんだ、ありゃあ……まるで兄貴の翼みてぇな」

「我々の渾身の一撃を一薙ぎで払ってしまった……あの凄まじい閃光は何なのですか?」


 滾り、逆巻き合う白銀の雷火と黒魔こくま霹靂へきれき

 禍々しいヘドロの様な邪悪と、清廉せいれんとした神の怒りが空を侵食し合う。


 ただならぬ生命力同士のぶつかり合う予感に、グラディエーター達は震えた肩をさする。そしてクレイスは複雑な面持ちをして呟いていた。


「あの二人が雌雄を決するのか……ッ今ここで!」


 シクスの研ぎ澄まされた五感が、ダルフの危険性を感じ取った。


「おい……おいおいおい、あのダルフとかいう奴、兄貴と同じ位」


 彼は信じられないものでも目撃しているかの様に、思わずその口元だけを笑わせていた。


「……いや、もしかすると兄貴より――っ」

「――鴉紋が負ける訳無い!!」

「じょ、……嬢ちゃん」


 シクスの言葉を鋭い視線をしたセイルが遮っていた。そしてフロンスは死人を起き上がらせながらに頷いて見せる。


「我々も鴉紋さんに加勢しましょう。万が一にも鴉紋さんの身に何かが無いように」


 張り詰めた緊張感。


 それは破るのは、やはり暴虐の男であった。


「なんだその目は……」


 怒気を孕んだ鴉紋を真っ直ぐに見据える金色の瞳。そこに、希望を宿した星屑の煌めきが灯っている。


「貴様を見ていると……はらわたが煮えくり返る――ッッ!!」


 力まれた体で、闇が爆ぜる。顎が外れる程の咆哮と共に、鴉紋が髪を逆立てる。


「…………」


 おぞましい怒りの波動を受けながらも、ダルフは退かず、動揺もしない。ただ腕を組んだまま眉間を寄せて、金色の瞳を苛烈にしていく。

 それはまるで意地と意地のぶつかり合い。互いが互いを真っ向からねじ伏せるという気概が、見えない火花を起こしている。


「ダルフ――ッ!!」


 体内から溢れ出す怒気に任せて、鴉紋が飛び上がった。

 ダルフは頑なに組んでいた腕を解き、そっと眼下のクレイモアを手に取って言い放つ。


「民の為、もう二度と負けない。貴様にはッ!」


「我々も行きますよ皆さん!」

「うん!」


 加勢する為に駆け出したセイル達の前に、リオンが歩み出る。


「行かせない……」


 そしてゆったりと開かれた左の魔眼が、三人を射貫いていた。

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