第154話 彼を守る為に天使の手を取った


 ようやくと体の感覚を取り戻していったラル。

 周囲は未曾有の大嵐が過ぎ去ったかの様に吹き荒んでいる。彼の持っていた神遺物しんいぶつの水銀も、彼の下半身も、全てが闇に消滅してしまった。


「ぅ…………ぅう!」


 消滅した上半身を起こして、ラルは何よりも先に、丘の下に寝そべったリンドに手を伸ばして唱える。


我が手に癒やされるエロヒム……!」


 しかし手元から放たれた光は、そのまま宙に霧散して消えていく。


「ぁ…………なんで、え…………?」


 彼の治癒魔法がその様な反応を示す時。


 それが対象を捉えられない時の反応だという事は、誰よりもラル自身が理解していた。


 ラルは血の気の失せた蒼白の体を揺らす。


我が手に癒やされるエロヒム……っ我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム……!」


 彼の完全治癒魔法『我が手に癒やされるエロヒム』の発動条件。それは僅かにでも対象の心臓が拍動している事。


我が手に癒やされるエロヒム!! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒムぅぅう!!」


 何度リンドに手を指し伸ばしても、ラルの魔法が対象を捉えない。先程まで彼の手を固く握り締めていた筈なのに、リンドの心臓は、ずっと前からそうなっていたかの様に冷たくなったままであった。


「うわぁああああ!!! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒムっ!! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム! 我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム我が手に癒やされるエロヒム!」


 それを認められずに、ラルは何度だって唱え続けた。自らの体を治す事もせずに、ただ友の命を救い上げる為に、啜り泣きながら。


「…………我が手にエロ………………癒や…………される…………」


 最後に神に祈る様な声音を残して、ラルは瞳を剥いた。


「ァァァアアアアアアアアアアアアアアア――――っ!!」


 空に上ったラルの悲鳴に合わせて、空から爆裂的な暗黒の稲光が降りて来た。

 顔を真っ赤にして泣き叫ぶラルの頭を、鴉紋が引っ掴む。


「俺の足を治せ」


 凄まじい悪意を孕ませながらに、鴉紋は吊し上げた眼下のラルを睨み、竦ませる。


「治せ」

「えがぁあ――――ッッ!? ――――」


 鴉紋はラルの左腕を掴むと、躊躇ためらいも無く握り潰した。

 肉の引き裂ける断裂音。柔らかな物を潰される感触。ひしゃげた骨が傷口から飛び出すが、鴉紋はそのまま腕を捻り上げていく。


「――ッ――――――ッ!!」


 歪となっていく腕の痛みに失神したラルだったが、すぐに頬を叩いて起こされる。


「俺の足を治せ」


 ラルの薄い青の瞳が、震え上がって鴉紋を見上げる。


「さもなくば死ぬよりもツライ苦痛をお前に……」


 今度は額を鷲掴みにされたラルが、鴉紋の頭上に掲げられていく。


「――あぎゃ…………ぅぐぁあ!!」


 みしみしと音を立てながらラルの頭蓋が軋み始める。耳や瞳からは血の雫が垂れ、潰されていく頭の音が耳の奥にひずむ。


「さっさと治せ、ラル・デフォイット!!」


 悲鳴を上げるばかりのラルにしびれを切らした鴉紋は、より苛烈となったまなこを怒らせた。


「ぃぃ……ひ…………いいい」


 加減無く締め上げられていく頭蓋。万力で潰されていく様に砕けていく頭。ぼたぼたと垂れ落ちる顔面からの血液。


「――――ッ治せ!!!」


 それは最早人の出せる威圧を超越していた。有無を言わせぬ絶対的支配。その暴圧は全ての者を意のままにする迫力に満ちていた――


「ぅぅぅ……ぅ…………ぅうう!!」


 ラルの、先程までリンドと永劫の時を握り合っていた右の掌が、固く握り合わされていく。


「ぅぅ……ぁああ、アア!!」


 壊れていく自らの頭。額を掴んだ黒い指の隙間から、丘の下に横たわるリンドの亡骸がチラつく。



 そしてラルは――あの日あの時、リンドを救う為に巨悪に立ち向かっていった、あの運命の日を思い出した。










「くたばれ…………っ下郎…………」










 顔面に押し付けられている小さな拳が、鴉紋にはしばらく理解出来なかった。

 だが、みるみるとその顔面は憤怒を刻み始め、最後には叫び付けながら、ラルを上空へと放り投げていた。


「もういいッ! 貴様の力など無くとも!! この体で充分に事足りる!!」


 空に放り投げられたまま回転するラルが、微かにその口元を微笑ませた。


「――――『反骨の槍』!!」


 投擲されて来た巨大な半透明の槍が、ラルの胸を穿った。彼はそのまま串刺しとなって地に突き立つ。


「……ぁあ…………」


 心臓を貫かれたラルが、蒼天を見上げて血を吐いている。

 視線を下ろすと、胸には奴隷の使うグラディウスが刺さっていた。

 我先にと群がり始めるグラディエーター達。幾つもの赤い双眸が、怨みを込めて彼を取り囲む。


「……リン……ド」


 ラルは最後まで自らに治癒魔法を掛けようとはせず、遠くに倒れたリンドへと手を伸ばす。


「……もう、二度と離さない、から……」


 震えながら伸ばしたラルの掌を、ロチアートが踏み潰す。

 そして正気では無い様な瞳。獣の様な声で叫び合う。


「死ねラル・デフォイット!! 思い知れ、我々の痛ミヲ思イ知レッ!!」


 獣欲に突き動かされたロチアートに、天使の子はその身を貪り喰われていった。


 友との想い出を胸に、ラルは一瞬、空に向かって清々しい面相を見せた。


「――――。」


 けれど生きたまま肉を喰われていく耐え難い痛みと、むせ返る様な死の臭気が、彼の美しく尊厳ある最後をも蝕んでいく。


「――ッ!! ――――づッ! ッぅ――――――ッッ――――――――!!!」

 

 ラルは死の間際まで痛みに歯を喰い縛ったまま、その屈辱に悶え、最後にはこう言い残した。

















































「天使の子……になんて…………

 ………………

 ……………………………………

 ならなければ……………………………………………………………………

…………よかっ……た…………………………………………………………」









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