第152話 鬼眼

 *


 ダルフの胸に抱かれて蒼天を漂うリオン。眼下では再びに銀の大木がひしめきながら成長を遂げている。


「リオン!」


 リオンは空を上がっていく感覚を覚えながらに、ただその両の目を手で覆っていた。


「……っやられたわ。人の心がうつろいやすい事は、充分に知っていたつもりだったけれど」

「攻撃を……受けたのか?」


 存外に落ち着いているリオンの声音に、ダルフは妙な感覚を持ちながら胸に抱いた彼女を見下ろす。


「こんな世界。視たくなんか無いって言ったのに」

「リオン……?」


 そっと下ろされていったリオンの掌。そこに赤き虹彩の双眸そうぼうが落ちていた。


「――――リオン、目が!」


 数年越しに開いた視界、眩しい光にそれを少し歪めると、程なくして順応した視線をただ、眼前にあるダルフへと注ぐ。


「でも悪い事ばかりじゃなかった……」


 そう言うとリオンは、戦闘の最中さなかであるという事を忘れさせる程の、可憐な笑顔をダルフに向けた。


「やっと見られた……貴方の顔」


 そして彼の黄金の瞳と、家畜の瞳が混じり合っていく。


「思っていた通りだっ」


 リオンは掌を伸ばすと、愛でる様に優しい手付きでダルフの頬を撫でた。

 そして吹き上げる風を受けながら、リオンは一面を青に巻かれた世界でハッキリと告げる。



「好きよ、ダルフ」



 目前にしたリオンの破顔に、ダルフはやや動揺を隠せない面持ちをして呟いていく。


「ぁ…………え、…………っ」


 リオンの瞳は柔らかく、彼の瞳を真っ直ぐに見つめている。

 ダルフの頬が赤らんでいく。そして彼は口をモゴつかせながら言葉を返そうとした。


「リオン、お、俺――――――」

「そんな事よりダルフ」

「え、ぇえっ……?」


 接着しそうな目前には既に、普段の通りのリオンの無表情が完成されていた。


「さっきスレスレだったわよ? 貴方の翼に毒霧が触れたら、また引火して大爆発を起こしていたわ。そんな決着つまらないわ。私は貴方が選び、勝ち取る様が見たいの」

「そんな事って……」

「何よ、今は戦いの最中でしょ。そんな事は些末さまつな問題よ」

「些末って……」


 冷酷な視線がダルフを見上げている。その状況にむず痒い感覚を覚えて混乱していると。


「……ふふっ」


 リオンは吹き出して、目を細くして笑った。


 するとそこで、空を漂う二人に向かって重厚なプレッシャーが迫り始めた事に気が付く。

 悪鬼の様な形相をしながら、鴉紋が背の闇を噴出して飛来して来ていた。余り時間が無いのを察したリオンは口早に伝える。


「ダルフ、ただ一瞬で良い。あの毒霧の晴れた空間が欲しい」


 地上は既に毒霧に覆われてしまっている。そこに火花も起こさずに、ぽっかりとセーフティな空間を開けて欲しいとリオンは言う。


「それを使えば出来るんじゃない?」


 リオンはダルフの右手から吊り下げたクレイモアを見つめる。

 するとダルフは険しい顔付きを見せていく。


「ただ一点、一時的に霧を払いのける事は出来る……だが既に散布された毒はすぐに君を包み込む。あそこまで充満しては、もう俺は近付く事も出来無い」


 だがリオンは飄々と言ってのける。


「いいわ。やって」

「はぁ!? リオン、まさか死ぬ気じゃ……」

「馬鹿ね。そんな自己犠牲、私がするとでも?」

「……。だが毒はどうするんだ?」

「問題ないわ」

「……っだけど!」


 彼等の元に怒涛と鴉紋が迫る。もう幾許の時間も残されていないだろう。リオンはそれを横目に見ながらに、その瞳でダルフを見上げた。


「信じるでしょう? 貴方は私を」

「………………っ」


 鴉紋が闇を拡散させて拳を振り上げ始めている。もう目前に悪魔が来ている。


「……ぁあ! 信じるさ!」


 ダルフは左腕でリオンを抱き寄せながら、右手に持ったクレイモアに力を込める。

 そしてとてつもなく重いその鈍色のクレイモアを、地に向けて解き放った。


「じゃあまたね、ダルフ」

「ぁあっ……て!? リ、リオン!! ここは遥か上空だぞ!?」


 ダルフの腕を抜け出して空に飛び出したリオンは、旋回しながら、じっくりとその瞳でダルフを見つめる。


「大丈夫。私は魔女よ?」

「リオン――――ッ!!」



 地に猛烈に付き落ちていくクレイモア、その風烈は辺りの大気を押し退けて大地に突き立った。


「――なっ、なんだぁ!? まだ何かするつもりかぁ!?」


 ラルはその衝撃に面食らって後退ると、土煙の消え去った一点を見つめる。

 ダルフの言う通り、字の如くぽっかりと霧の晴れ渡った円の中に、空から薄氷を何重にも割りながら、リオンが降り立つ。

 遅れて、クッション材にした氷が割れた硝子の様に陽光を反射して散り落ちて来た。


「貴様ぁ! しつこいんだよクソロチアート!」


 ラルが喚き散らすのを聞きながらに、リオンは元居た地点へと舞い戻っていた。視界の開けたその側には、這いずった先で義手の破片を握り込んだリンドの亡骸がある。


「わざわざ死にに来たかぁ!? 馬鹿め、再生した眼球が邪魔で、幻影の瞳を発動するスペースがねぇだろう!? 貴様の魔眼は封じてやった! 貴様等に残された術はもう無いんだよぉ!」


 勝ち誇った表情でリオンを睥睨へいげいするラル。

 リオンは一帯に咲き渡っている白き花弁を、開かれた視界で見渡す。


「あっヒャヒャヒャ!! 俺様の力で、久方ぶりに外界を覗くかクソ女!? その奴隷の瞳で見る世界はどうですか〜ッ? きぃヒヒヒ!」


 丘の上で幾本もの巨大なチェーンを現し始めたラルに向かって、リオンが赤い視線を上げる。


「マーガレットなんて……この都で咲き誇るにしては、皮肉が効き過ぎてるんじゃないかしら?」


 そう言って微笑するリオンに対し、ラルもまた強きな面相を崩さずに丘を下り始めた。


「その汚ぇ瞳で見るんじゃねぇ奴隷が! 誰でもねぇ、この栄光の存在たる俺様を!!」


 ラルは威嚇する様に銀の翼と、細い自前の翼を空に広げる。


「あら、その奴隷に欲情していたのは誰かしら?」

「ァアんッ!? 黙れ! 俺様が欲情なんてするもんか!」


 怒りに鼻筋にシワを寄せるラルに、リオンは赤い瞳を歪ませていく。


「あっはは……そうよね、そう。からかっただけよ? だって貴方は欲情なんてする筈ないもの」


 ラルは思い至る事でもあったのか、その言葉に歯牙を剥いて歯軋りを始めていた。


「何が言いたい!」

「貴方は私を愛していなかった……いいえ違うわ。


 ラルは口元を見事なへの字にしながらに、赤面しながら歩みを早めて来た。リオンはそんな彼の表情を眺めて愉しむかの様にして、口元を綻ばせる。


「貴方は愛せないのでしょう? この私だけじゃなく、他の全ての女達も?」

「こ…………ころす」


 足を止めたラルは、髪を逆立ててはち切れんばかりに憤激していた――――


「コロシテやるぞクソロチアートがぁあッッ!!!」


 顔を真っ赤にしたラルの気迫に合わせて、夥しい量の銀の水面が天に舞い上がった。


「――『銀波』ぃいいいいいイイイッッ!!!!!」


 高く上った銀の高波が、リオンを一挙に呑み込まんと躍動する。一面を覆い尽くすであろう大津波は、空の陽光さえも遮って地上に暗い影を落としていく。

 

「ただ一人、愛せる人を殺してしまったのは誰よ……」


 暗い闇に染まりながら、リオンは地に倒れた片腕の無い屍を見つめる。


「醜いわ……いびつで、矛盾している」


 人の有様に落胆しながらに、リオンは両の手をそっと持ち上げた。


「バイバイ、ダルフ」


 ――――そしていつかの様に


「ぅう…………ッ……っう゛――――」


 リオンはその指先を眼窩へと滑り込ませていた。


 水銀の波が頭上に迫り、益々と影を濃くしていく景色の中で、リオンが視界の先に思い浮かべたのは、二度とは視る事が出来ぬであろう、ダルフの姿だった。


「――――っ! ぅ――――――ッ」


「終わりだゴミクソカースト最下位女!! 銀に呑まれ、毒に悶えて死ねぇ!! 家畜らしく!!」


 暗黒に呑まれ始めた世界で、リオンは眼窩から抉り出したものを引き抜き、その拳に握り潰す。

 そして目元の涙を拭うと、澄ました顔でそのを押し開いた。


 視界の閉ざされた、発光する緋色が2つ灯る。


「魔眼ドグラマ両の目第三の目――――『虚無鬼眼』」

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